考えるアッシ

少し前のことになりますが、『シン・ゴジラ』と『君の名は。』を観ました。
もちろん他にもよい映画はたくさんありますが、今年はこの二本も特に記憶に残る作品になるような気がしています。

さて、ジャンル・作風ともに全く違う作品であるにも関わらずこの二作品は同文脈で語られることが少なくないようです。
理由はもちろんいろいろあるかと思いますが、中でも大きな理由として、両作品ともどうやら2011年に起きた地震が作品全体を覆うテーマになっているらしいことが挙げられると思います。
物語に直接地震が描かれるわけではない、それどころか一切明言はされていない、けれどもそれを観終った時、我々は作者が強烈にあの地震を意識していたのだろうと忖度することを禁じえません。
そして僕はこの両作品を地震が起きて六年がたとうとしている現在までにあまた描かれた地震にまつわる表現物の中でとりわけ重要なものであると考えています。
理由を詳らかにしたためるのは今回のテーマからはいささか外れるので、要点だけかいつまむなら、こうなります。
地震の直後、脊髄反射的に表れた一次的な作品群は例えば「怒り」や「悲しみ」のような感情を内面化したものばかりで物語が震災に隷属しているものばかりでしたが、この両作品は震災をとことん一般化し、映画作品という範疇に見事に収めながら物語に隷属させたと、ともかくは言っておきましょう。
なにより、僕は作り手たちの中で『震災』の記憶が発酵してきたこと自体を祝福したい気持です。彼らが「あの時もっとできることはなかったか?」という忸怩たる個人的感情を突き詰め、内面化だけに満足せず、外在化させ作品に仕上げたことに驚嘆しました。そこに作家の落とし前のようなものを見たのです。

さて、この二作品を観た後いろいろ考えさせられた中に一つ『区切り』ということがありました。
「特異点」と言い換えてもいいし、「パラダイム」、もしくは「エピステーメー」と言ってもいいのですが、(実はいまいちうまい言葉がみつかりません)とにかく、その前と後ろでははっきりと価値観が転換してしまうような出来事、その一点という意味における『区切り』です。

あの地震は圧倒的な『区切り』だったのだと思います。
『区切り』の後の世界を生きる者はしばしば前の世界観を忘却させられてしまいます。
後の世界の価値観がその一点を境に反転し、あたかも『区切り』によって再起動を強いられるかのようです。
「覆水盆に返らず」とはよく言ったものだと思います。水がこぼれた後、我々はどのような盆に水が収まっていたか容易に忘れてしまいます。しかし水がなくなるという事はありません。床にこぼれたままだろうが、かき集めいびつな器に収めようが依然水はあります。盆は制度・社会、水は我々、覆は『区切り』だと、どうやら僕は世界をこのようにイメージしているようなのです。

僕はこの五年ほどしばしば曰く言い難い居心地の悪さを何度も感じました。
再起動を強いられ消えかかっている前の世界の記憶が疼くとでも言いましょうか、人々がかかずらう諸問題と至ってまっとうなそのかかずらい方がふと狂信的に見えてしまうことが何度もありました。
それらのもとをたどるとすべてあの地震にたどり着いてしまうような八方塞がりな息切れによって思考が止まってしまいます。
そして決まってこの言葉が思いだされて、そっと思考を停止するのです。
「スベテアツタコトカ アリエタコトカ
パツト剥ギトツテシマツタ アトノセカイ」

しかしあの地震がなければ決して作られなかった冒頭に紹介した二作品に接し、強烈に地震を想起させる内容だったがゆえに逆に僕は「もしかしたら違うのではないか」という疑問が湧きました。
不謹慎な言い方になってしまうかもしれませんが、たとえばその疑問はこういうことです。
「地震はそれほどのことではないかもしれない」
そう考えると、先ほど紹介した原民喜の「夏の花」の中の一節がとりもなおさず、それを証明しているではないかと、僕は得心がいったわけです。
というのも、原民喜の「剥ギトツテシマツタ アトノセカイ」は、地震にも敷衍できますが、そもそもは原爆を『区切り』とした前とアトノセカイを書いたものです。
地震に限らず、原爆に限らず、アトノセカイはいくつもあったのではないか、この着想は僕に、すべてを地震で片づけてしまわなくてもいい、というか、片づけてしまってはいけないのだというアイデアをもたらしました。

僕は『区切り』のアトノセカイを生きているに違いありません。しかし、『区切り』は果てしなく繰り返され、これからも繰り返されるでしょう。
日本は、もしかしたら『区切り』の国なのだとも考えられるかもしれません。
近代をざっと見返してみても、まるで『区切り』の連鎖です。
明治維新、日清日露戦争、明治天皇崩御(乃木将軍の殉死)、関東大震災、大東亜戦争から敗戦、東京オリンピック、全共闘と三島由紀夫の自決……。
昭和天皇崩御と東西冷戦終結……。
阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、ウィンドウズ95、同時多発テロ……。
あげればキリがありません。
人によっては、「当り前だ、今頃気付いたのか」と一笑に付すかもしれません。ですが、僕はこの「その都度、世界は変わり、日本人は適応してきた」事実に気付いて、妙に納得がいったのです。

納得がいくと共に、新たな疑問が二つ、湧いてきました。
一つは、上にあげた『区切り』の連鎖のうち、昭和の終焉を境にあることが決定的に変化したのはなぜかということです。そのあることとは、年を区切る序数の喚起の仕方です。 僕は昭和の終焉以前の『区切り』をなぜ「元号」で想起し、以後の『区切り』を西暦で想起するのでしょう。
東京オリンピックを昭和39年、三島自決を昭和45年と想起し、地下鉄サリン事件を1995年、同時多発テロを2001年と想起するという具合にです。
ただ単に昭和と西暦の相性が良く、平成と西暦の相性が悪いというだけでは片付かないなにかをそこに感じずにはいられません。
そこに大いなる『区切り』の『区切り』を見出してしまいます。
もしかしたら「日本は昭和を終えるとともに、グローバル化した」などという陳腐な答えで片が付くのかもしれませんが、もっと深い何かがそこに在るような気がしています。

もう一つは、人々による『区切り』の乗り越えはいつも人文学、特に文学とともにあったのではなかったかという自問自答です。
明治維新の後すぐに日本は漢文を捨て言文一致を見ます。良きにつけ悪しきにつけ坪内逍遥がいて二葉亭四迷がいて三遊亭円朝がいたのです。
更に明治天皇崩御(乃木将軍の殉死)を受け夏目漱石は「こころ」を書き、森鴎外は「興津弥五右衛門の遺書」を書きました。
終戦を経て三島は「仮面の告白」を書き、三島の自決を受けて、大江は「みずから我が涙をぬぐいたまう日」を書き、地下鉄サリン事件は村上春樹に「アンダーグラウンド」を書かせました。
しかし、(僕が勉強不足であるだけかもしれませんが)、2000年代以降、人文学、文学の力は弱まっているのでしょうか。僕は自分の周囲を見回しても、一向に近年の『区切り』の乗り越えを示唆する文学を探し当てられないでいます。それはなぜなのでしょうか。
(それが『シン・ゴジラ』と『君の名は。』ではチト寂しい気がします。なぜなら、二作品は作り手の乗り越えは為されていますが、人々に示唆を与える地点に及んでいるとはいいがたいと思うからです)

さて、『区切り』の連鎖に生きていることはわかりました。差し当たって、次は年の序数問題、乗り越え文学問題についてつらつら考えてみたいと思っています……。

(いながき きよたか)


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