コギトの本棚 将棋《ワイの銀が泣いている》


ついに『電王戦FINAL』が終局しました。
http://www.shogi.or.jp/kisen/denou/
いやぁ、今回の電王戦、とにかくすごかった。
第五局終局後数日経った今でも
一部では『炎上』している模様です。
「張本のカズ引退勧告」なんて目じゃありません。
上西議員や買春校長も問題になりません。
問題提起の質とその深さにおいて、
2015年上半期の時事ニュースの中でも重要さで言えば
トップ5には入ると僕は確信しています。

さて、なにが起きたか、です。
『電王戦』は、将棋ソフト対プロ棋士の団体戦です。
合計五局行われますが、
第一局から第二局の内容はひとまず飛ばしましょう。
(詳しい結果を知りたい方はこちらを:
http://ex.nicovideo.jp/denou/final/match.html
第四局を終えて、双方二勝ずつ。
二勝二敗で迎えた第五局に登場したプロ棋士は、阿久津主税八段、
一方のコンピューターソフトは、
巨勢亮一さんという方が開発した『AWAKE』。
前年のコンピューターソフト同士で
争われる電王戦トーナメントで優勝をおさめたソフトです。
どちらも相当な実力者です。
この対局は、今回でひとまず幕を閉じる『電王戦』のラスト、
そして人間とコンピューターのどちらが強いのか
決着が着く一局でもあり、どんな熱戦が繰り広げられるか、
ファンたちはワクワクしながら、開局を待ち望んでいました。

いざ開局。しかし、事態は思わぬ方向へ転がり始めたのです。
初手より数手、阿久津八段は、
通常対人間相手ではありえない進軍を始めました。
しかし、これこそコンピューターに勝つための
用意の作戦だったのです。
ニコ生のコメントでは、「すわ2八角か」が、
ささやかれ始めました。
この「2八角」作戦、将棋ソフトと人間が
対戦するようになった最近、秘かに流布し始めたソフトの穴、
つまりバグを突くものでした。
当然人間にはすぐに見破られてしまうような
いびつな指し回しなのですが、
バグを突くのですから、ソフト側は回避できないようなのです。
初手から10数手、阿久津八段が、
通常の対局ではありえない手、2六歩を指しました。
これでソフトからこの「2八角打」を引きだす作戦を
狙っているということが確定です。
そして数手後、果たして、「AWAKE」は、
駒台から角をとり、2八地点に角を打ったのでした。
直後、なんと、「AWAKE」は、
いや、「AWAKE」開発者の巨勢さんは、
「投了」を宣言しました。
始めは、誰もが何が起こったのか分らない様子でした。
開始から一時間も経っていない時間での投了、
しかも21手での投了は異例中の異例です。
しかし、確かに、記録係は、終局を告げています。
「21手を持ちまして、阿久津八段の勝ちとなりました」
以降、東京将棋会館と主催のドワンゴ、
番組スタジオとなっているニコファーレは、
混乱を極めている様子でした。
「番組はどうなるのか、
対局者、解説者は残された8時間以上どうするのか、
いや、それ以前にそもそも巨勢さんは、なぜ投了したのか」
巨勢さんの意図は段々と明らかになりました。

終局より数時間後、囲み取材が始まりました。
阿久津八段は、厳しい表情で、
「2八角」に誘導する作戦を決行したのは対局に
勝利するためでしたと述べたのに対し、
巨勢さんの言葉は辛辣なものでした。
「もし2八角に誘導されたら、投了しようと決めていた。
そもそも、すでにアマチュアが発見した攻略法をプロが
指してしまうことはプロの存在意義を脅かすのではないか」
実は、この「2八角」作戦に関しては、
さかのぼることその一週間前、
ドワンゴ主催の「AWAKEに勝ったら100万円」企画で、
アマチュアの方が披露したコンピューター攻略法だった
という経緯があります。
巨勢さんは更に続けます。
「プロ棋士の存在意義は、
もちろん勝たねばならないということもあるが、
「面白い将棋を指す」ことの方が重要なのではないか。
今日の将棋は面白いものではない、
そういう意味でもプロ棋士の存在意義が
問われると思います」
こうして、なにやら、記者会見会場に
殺伐とした空気が流れ始めたのでした。

二人の言葉を、僕なりに要約すると、こういうことです。
阿久津さんの言い分=勝つために「2八角作戦」を採用した。
巨勢さんの言い分=棋譜を汚された。だから投了した。
この投了には、抗議の意味も含まれている。
つまり、巨勢さんは、阿久津さんの将棋観、
以下、それを是とする将棋連盟に、
大きな?マークを投げかけたのでした。
(ここに少し齟齬があるのを付記しなければなりません。
巨勢さんは、アマが採用し有効だと証明した後、
阿久津さんがそれを採用したと思っているが、
阿久津さんは実は既にアマが決行する前から
この作戦が有効だと気づいていたとのこと)

こんな穏やかならない雰囲気の中で
幕を閉じた電王戦ですが、
たくさんの興味深い文脈が生まれたと思います。
・人間とコンピューターの関わり方。
・コンピューターは人間を越えたか否か。
・電王戦とは果たしてなんだったのか、
純粋に人間とコンピューターの強さを競うものだったのか、
それとも、人間側がソフト側の攻略法を
見つけるゲームだったのか……。
などなど。
ここで、僕は、今回示された数あるテーゼの中の一つ、
「プロ棋士の存在意義とは何か?」
ということに絞って言及してみたいのです。

プロ棋士の存在意義とはなんでしょう。
奇しくも巨勢さんが言及したように、
それは概して二つあるように感じます。
強いこと、そして、面白い将棋を指すことです。
つまり、プロ棋士は、強さを競っていると同時に
いかに面白い将棋を指せるかを競ってもいる
ということになります。
しかし、強さと面白さは同居するのでしょうか。
時として、「あの棋士は面白いが、弱い」
「あの棋士は強いが面白くない」と
言われることはままあることのように思います。
これは、困りました。
プロ棋士にとって重要な命題が
二律背反してしまっています。
大きな大きなジレンマです。
そこで、僕は、はたと思い出しました。
落合体制時代のドラゴンズのことを。
あの時代のドラゴンズは、強かった。
しかし、(決して僕はそうは思わないけれども)
つまらない野球をすると言われ、
落合監督はクビにされましたよね。
プロ野球でも、おなじジレンマが起きていました。

巨勢さんの辛辣な発言は、
対局をした当事者であるだけに、
一部の人間にはエゴイスティックに
聞こえたかも知れません。
ですが、重要な問題提起をしました。
それは、大変意義のあることだと思います。
しかし、その上で僕は疑問に思ってしまうことが一つあります。
「面白い」とは、一体、どんな事象を指すのか、ということです。
方や「強さ」は非常にわかりやすく、限りなく自明です。
より勝負に勝つ、そのことが「強さ」です。
翻って、「面白さ」は、非常に多種多様な価値観によって
支えられているのではないでしょうか。
ある価値観では面白くなくとも、
別の価値観に基づけば面白いなんていうことは
たくさんある気がします。
今回の「電王戦」第五局に引き寄せて話せば、
「2八角」は、果たして面白くなかったのか、
面白かったのか、それは多種多様な価値観が決定し、
定量化できないのではないかということです。
決して証明できませんが、もちろん「面白くない」と
感じる人がおそらく多そうだという
判断は下せるかもしれません。
けれど、「面白い」と感じる人がいなかったのか、
というと、そうは断定できないと思うのです。

プロ棋士がどうあるべきかという将棋観は、
プロ棋士それぞれに違うものだと思います。
であるからこそ、森内さんは、「激辛流」なのであり、
升田幸三は「新手一生」だったわけです。
そして、「激辛流」があり、「新手一生」があるから、
将棋は面白いはずです。
もっと解釈を拡大すれば、将棋観は、プロ棋士に限らず、
アマチュアや将棋をよく知らない人々も含め、
それぞれに違うものです。
この違いが将棋を豊かにしていること、
それは間違いないと思います。
そして、対局室に対戦相手と指し向いに
座った時点で開発者も一人の棋士のはず。
であるならば、彼は、彼自身の将棋観に基づいて
発言していいことになります。
ただ、その将棋観を元に、
他者にも「こうあらねばならない」と規定した瞬間、
将棋の「面白さ」及び「発展」は、
止まるのではないでしょうか。
なにも今回に限ったことではなく、
「かくあるべし」と願う当事者が、
「かくあるべし」と他者を操作しようとした瞬間に、
「あるべき姿」が遠ざかっていくという矛盾が
引き起こされるというケースに僕たちは頻繁に
遭遇しているような気がします。

まだまだ、思うところはたくさんあります。
それほどに「電王戦」は、
奇しくも多様な文脈を提示したイベントでした。
一つ一つひもとくとかなりながーくなってしまいそうなので、
そろそろおしまいにしたいと思います。
が、ただ、僕は、この「2八角」作戦と共に、
21手で投了という巨勢さんが下した決断を、
非常に「面白く」感じたとだけは言っておきたいと思います。



(いながき きよたか)




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