コギトの本棚 将棋《ワイの銀が泣いている》


あっというまに一年も半分を過ぎ、夏真っ盛りですね。
こう暑いと、反射的に、大瀧詠一さんの『あつさのせい』が、
頭の中を駆け巡ります。
そう、なんでもかんでも暑さのせいにしてしまいたいですね。

さて、棋界に目を移してみますと、ほんの三ヶ月前に比べ、
その勢力図が、だいぶ変わってしまったことに驚きます。
名人戦では、森内さんの防衛で
まず間違いないだろうという下馬評を、
見事に覆し、羽生さんが四連勝で、名人に返り咲きました。
続く棋聖戦でも、羽生さんが森内さん相手に三連勝。
現在、森内さんは竜王一冠の状態に後退してしまいました。
かたや、もう一人の実力者、渡辺明さんは、
竜王失冠の痛手を引きずっているのでしょうか。
このところなかなか結果が残せていません。
なにしろ、将棋界は、羽生さんと森内さんにくわえ、
この人が強くなければ面白くありません。
ぜひ棋戦レースの中心に戻ってほしいものです。

ところで、唐突ですが、皆さんは、どの駒が好きですか?
将棋には、8種類の駒がありますが、どの駒も本当に個性的です。
その名の通り、一歩ずつ前進していく駒もあれば、
縦横無尽にビュンと進む駒もあり、斜め前に跳ぶ駒もあれば、
遠く思わぬ場所から飛んで来て意表を突かれる駒もあります。
だから、どの駒が好きかで、その人の将棋観、もっと言えば、
性格まで知ることができるような気がしてくるのです。
そして、この「どの駒が好きか?」というのは定番の質問です。
ご多分に漏れず、
前出の羽生さんや森内さん、渡辺さんという
歴代のトップ棋士たちも、この質問に答えてきました。

まず、将棋を知らない人でも、
ほとんどの日本人がその名を知っていると
思われる羽生善治四冠の好きな駒は何でしょうか。
常々羽生さんは『銀』と答えています。
銀は少し特殊な動きをする駒です。
初心者の方は、
この銀の動きを覚えるのに少し苦労するかもしれませんが、
横と後ろにだけ行けないと覚えていただければいいと思います。



「受けは金、攻めは銀」という格言があるように、
まさに銀は攻めの要です。数ある戦法でも、
この銀を中心に考えられているものが多いことでも、
その性格がうかがい知れるでしょう。
銀を飛車の前に繰り出す「棒銀」、
中央にどかっと居座る「腰掛け銀」、
相手の桂頭を狙う「早繰り銀」と、
序盤の銀の位置で、
その後の攻め方が決まって来ることが多いのです。
ちなみに、「棒銀」は、「腰掛け銀」に強く、
「早繰り銀」に弱いといった具合に、
この三つはお互いに三すくみの関係に
なっていることを覚えておくと、
将棋観戦がぐっと面白くなるかもしれません。
好きな駒はと聞かれ、銀と答えた羽生さんに、
あるアナウンサーが、どうして銀なのですか?
と続けて質問したことがありました。
その時、羽生さんはこう答えています。
「銀はですね、糊みたいな役割をするんですね」
うーん、僕にはまったくわかりませんが、
とにかく、この糊をうまく使いこなせば
攻めが繋がるということらしいです。
たしかに、銀の使い方がうまい人は、
将棋が強いなぁと思うことが多いように感じます。

さて、名人戦では惨敗したものの、
羽生さんの永遠のライバル、
棋界の英雄、森内さんの好きな駒はどうでしょうか。
森内さんは、『飛車』だそうです。
飛車に関しては、駒界のスーパースターに
君臨しているだけあって、
もはや説明は不要かと思います。
とにかく強い駒ですね、
それゆえに、格言などでは、
素人に対する諌言が多いように思います。
「へぼ将棋、玉より飛車をかわいがり」や、
「飛捨てに名手あり」など、
飛車に固執するなということがことあるごとに説かれています。
ただ、飛車が強いということには変わりがありません。
やはり、低段者から上級者にいたるまで、
この飛車の使い方が、その強さに直結しているのだと思います。
森内さんは、「鉄板流」と称されるほど、
強靭な受けがその強さの秘密なわけですが、
それでもなお攻撃的な飛車が好きだと公言するところに、
異様なこだわりが垣間見えてくるようです。
攻めは龍、守りは馬と言われるくらい、
飛車は敵陣に置いてその強さを発揮するわけですが、
森内さんの場合は、自陣に飛車を配置し、
玉を守っていながら、
遠く急所をうかがっているという印象が強いのです。
実力者の手にかかれば、強い駒が更に強くなる、
これはもう鬼に金棒ですね。
同じく、飛車好きを公言するのは、渡辺明二冠です。
「好きな駒は何ですか?」の質問に、
「え?そりゃ、飛車でしょ。強いもん」
と答えたとか答えなかったとか。
とにかく、飛車好きということに、
彼の性格や棋風が現れていると思います。
渡辺さんにしてみれば、強い=大正義なのだと思います。
ひねった考え方はしない、
あくまで駒の実力を定量化し、強い駒が好き。
いかにも渡辺さんらしいと思います。
森内さん、渡辺さんともに、
飛車が好きだということですが、
そこに共通するのは、『合理主義』という考え方だと思います。
最善手を指せば負けないという、
非常に明快な考え方に従って、
お二人は指されているように見受けられることがしばしば、
僕はそんなお二人の将棋が大好きなのですが、
これが出来ること自体、
実力が必要になることは言うまでもありません。

他にも、様々な棋士がこの質問に答えてきました。
中でも面白いのは、大山康晴十五世名人の答えです。
平時は、さすがに受け潰しの名手だけあり、
「金将」と答えているのですが、
ある時アナウンサーに聞かれると、
「対局に影響するので、答えられない」
と答えたといいます。
いかにも盤外まで勝負の鬼に徹した
大山康晴らしい答えだと思います。
「光速の寄せ」で知られる現将棋連盟会長の
谷川浩司九段はどうでしょうか。
谷川さんは「角」だそうです。
対大山戦の角不成といい、得意とした角換わり戦法といい、
角に縁のある谷川さんだけに、頷けるものがありますね。
ちなみに、僕は、谷川さんの、
「前進できぬ駒はない」という言葉が大好きです。
谷川さんは、二つ以上手が見える時は、
必ず前に進む手を選ぶと言われています。
これは、将棋だけに限らず、僕の人生の金言でもあります。
一進一退の場合は、進む方を選ぶ、これで幾度となく、
人生の危機を救われました。
将棋は、このように人生の一大局面でも、効用があるようです。

さて、いかがでしょうか。
このほかにも、プロ棋士たちは事あるごとに、
好きな駒について語っています。
棋士を知り、その好きな駒を知ると、
彼らの棋風や、その人生に対する考え方が
見えてくるような気がします。
その中には、将棋がそこまでうまくなくとも、
谷川さんの言葉のように、役立つものがあるはずです。
ぜひ、一度、調べてみてはいかがですか?

番外編ですが、
NHK杯中継中に棋界のアイドル矢内さん(現在は既婚者)に
告白したことで有名な山崎八段の好きな駒は、
「玉」なのだそうです。
ちょっと飄々として、ユーモアあふれる山崎さんらしいお答え、
その性格が透けて見えますね。



(いながき きよたか)




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