コギトの本棚 将棋《ワイの銀が泣いている》


2014年もいよいよ4月を迎えました。
新入生や新入社員の方々は新たな環境に飛び込み、
期待と不安で胸がいっぱいかもしれません。
そんな4月といえば、
将棋ファンにはたまらない棋戦が始まります。
そうです、名人戦です。
僕は新入生でも新入社員でもありませんが、
こと名人戦が始まる四月は、
本当に期待と不安で胸がいっぱいになってしまう季節です。

今年の名人戦は、というよりも、
今年の名人戦も、対局者は、ご存じのあの二人です。
名人:森内俊之、挑戦者:羽生善治。
名人位と挑戦者の席は入れ変われど、
この二人にとって、名人戦は馴染みの舞台。
驚くことに、過去の対局をひもといてみますと、
ここ10年で、同一カードは、六回に及びます。
さらに驚きなのは、過去12年間、
羽生さんと森内さん、
どちらかは必ず名人戦の舞台に上がっているということなのです。
つまり、将棋における名人という位は、
彼ら二人のためにあると言ってもいいのです。

この『名人』という言葉、
将棋にあまり興味のない方々にも、
かなり馴染みのある言葉なのではないでしょうか。
その昔、ファミコンの世界には、
高橋名人という人がいました。
何を隠そう僕も小学生時代は、彼に熱狂した一人で、
あの16連射に憧れ、
ハドソンの連射パッドを購入したりもしました。
しかも、高橋名人を題材に映画も作られましたよね。
『GAME KING 高橋名人対毛利名人 激突!大決戦』
はい、正直観てないですが、猛烈に観たかったです。
で、ちょっと調べてみると、
ファミコンの世界には、何人も名人がいたのですね。
橋本名人、河野名人、服部名人、(割愛……)、
とにかくゲーム会社各社が名人を擁していたようです。
さて、別にこのことをくさすわけではありませんが、
少々『名人』というものが誤解されているのは事実です。
どういうことかと言うと、将棋界において、
『名人』は形容詞的に使わないということですね。
「なにかが巧い人」ほどの意味で○×名人とは、使われません。将
棋界における『名人』とは、
昔の中国の『天子』様のように、
この世にたった一人であり、
また、尊い敬称なんですね。
その証拠に、『名人』という名前をめぐって、
将棋界ではいろいろなごたごたがありました。

大正時代、棋界は今ほど統一されていませんでした。
そこで、関東棋界に対抗し、
関西の有力者に推挙される形で、
かの有名な坂田三吉が、『関西名人』と名乗ったのです。
このことは、大きな波紋を呼び、
棋界を統一した将棋連盟から、
坂田三吉は、名人僭称を理由に、棋界追放を受けたのでした。
それほどに、勝手に名人を名乗ることはご法度であり、
かつ、重い名前だということがわかります。

そもそも、名人のルーツは江戸時代にさかのぼります。
大橋宗桂が初代名人になったのが1612年ということですから、
関ヶ原の戦いから12年後には
すでに将軍から庇護を受けていたということになりますね。
そして、名人には俸禄が支給されていました。
その高、50石、下級武士ほどの禄と思われますが、
一介の芸事をたしなむ存在としての棋士が、
禄を食んでいたということは、
相当の重用をされていたことがわかります。
そして、『名人』は、当時の将棋総本山、
『将棋所』のトップということになります。
それから、名人が世襲され三百年の間に13人、
現在の実力制になって、はや七十年、
その間に12人の名人が誕生したのでした。
400年近くの歴史の中で、
『名人』は25人しかいないのです。
(厳密に言えば、19人なのですが、
それはまた永世位についてのコラムで話しましょう)

このお話は、なにもいかに名人という名前を
みんなが重く考えているかということではありません。
むしろその逆で、『名人』という存在と
その成り立ちを考えれば、
おのずとそれが神聖なものだと
みんなが考えるようになるというお話なのです。
というのも、現在の実力制名人は、
棋士にとって途方もない山のてっぺんにあると言えます。
プロ棋士は、全員が都合七つの階級に振り分けられます。
(そもそもプロ棋士になるということ自体が、
とてつもなく困難なことなのですが……)。
下から、フリークラス、C2級、C1級、
B2級、B1級、A級、そして名人です。
まずプロになると、C2級に入ります。
そして、年間12戦から9戦し、
クラスの中でトップの成績を残すと昇級し、
成績が悪いと降級します。C2級で成績が悪ければ、
次年度からフリークラス行きです。
フリークラスは、プロ棋士としては最下層、
逆にA級に在籍する10人は、ヒエラルキーの最上位、
仏像で言えば、大日如来クラスと言えます。
つまり、どんなに天才プロ棋士だろうが、
名人になるためには、
最低でも五年かかるという仕組みになっています。
ちなみに、誰もが認めるトップ棋士、羽生善治さんは、
四段になってから、A級に昇級するまでに七年を要しました。
七つある棋戦のうち『名人戦』は、
その歴史、重み、そして実力が試される
ある種の神聖な棋戦と位置付けられているわけです。

さて、今年の名人戦も、第一局が終局しました。
結果は、挑戦者羽生三冠の先勝。その内容は、
……うーん、まったくわからない内容でした。
よく「棋は対話」と言われるのですが、
羽生さんと森内さんの対話は、時として、
禅問答のようで、完全に二人の世界に浸っているようです。
でも、いいのです。そんな名人二人の
(ちなみに、森内さんは18世名人、羽生さんは19世名人です)
対局を通して、哲学的な、あまりに哲学的な
対話を垣間見られるだけで、僕は満足なのです。
名人戦は、長ければ六月末まで続きます。
最近では、ニコニコ生放送がノーカットで
棋戦中継をしたりしています。
『名人』という言葉に想いを馳せながら、
皆様もぜひ一度最高峰の対話を楽しんでみてはいかがでしょうか。



(いながき きよたか)




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