コギトの本棚 将棋《ワイの銀が泣いている》


まず、なぜそこまで将棋をめぐるコンピュータと
人間の戦いに人々が熱狂するのかというと、
それは将棋というゲームそのものの性格が
関わっているような気がします。

将棋をゲーム理論で分類しますと、
二人零和有限確定完全情報ゲームとなります。
これはなにを意味するかというと、
二人で行う限りのある損得抜きの手を
両者とも完全に知ることができるゲームという意味で、
手っ取り早くいってしまえば、
必勝法のあるゲームということです。
ただ、その必勝法はあるにはあるが、
おそらくそれは神のみが知りえる複雑さを
持っていると考えられています。
なぜなら、概算ですが、将棋における盤面状態は10の71乗、
樹形図に至っては10の226乗ともいわれるからです。
いまいちピンとこないわけですが、
これは、途方もない数で、
無量大数という数の最大単位が10の68乗ですから、
10の226乗という数字は、もはや数えきれない、
無限とほぼイコールくらいのイメージでしょう。
けれど、とてつもなく発達したコンピュータ技術に
人々はロマンを見出します。
『コンピュータなら、 神の領域とも思える将棋の必勝法を
導き出せるのではないか』
実際のところ、コンピュータが将棋の必勝法を見つけるのは、
おそらく無理だと思いますが、
(10の226乗というのは、
それほど無限に近い数字だということです)
もしかしたら、人間には勝てるのではなかろうか、
それが、将棋をめぐるコンピュータ対人間の戦いの
発端ではないでしょうか。

さて、この三月、いよいよ第三回電王戦が始まり、
現時点で第二局までが終局しました。
結果は既報の通り、人間側の二連敗。
残念だなぁと思うと同時に、今後に期待!……、
の前に、少々思うところがあります。

そもそもコンピュータ対人間の歴史は
そんなに古い物ではありません。
2004年の時点では、
コンピュータは到底人間には敵わないだろう
という意見が大方を締めておりました。
が、明くる年2005年、半ば余興めいた対局として、
一人のプロ棋士がコンピュータと対戦したのです。
ハッシーこと橋本崇載当時五段、
その結果は、橋本さんの勝利でしたが、
辛くも、という内容でした。
これを重く受け止めた将棋連盟は、
公の場でのコンピュータとの対局を禁止しました。
と、同時に、このころからコンピュータの棋力は
どんどん上がって行きました。
アマ強豪などとの対戦でも、
ほとんど平手で指されることとなりました。
つまり駒落ち戦では勝負にならなくなってきたのです。
その後、2007年、棋戦の一つ、
ネット将棋最強戦創設を記念し、
エキシビジョンとして、
かの有名なBONANZA対
渡辺明当時竜王の対局が行われました。
結果は、竜王の勝利でしたが、
またしても辛くもという枕詞のつく勝利でした。
それから電王戦が始まるまで六年間、
人間とコンピュータが対戦することは忌避され続けました。
その間に、コンピュータ将棋は、
人知を越える進歩を成し遂げたのでした。

「科学技術は後退しない」という言葉がありますが、
なるほど、含蓄がありますね。
なかば都市伝説的に語られるコンピュータの
『技術的特異点』などは、個人的には、
多かれ少なかれいつかは訪れると考えているわけですが、
将棋界においては
今日がその特異点なのではなかろうかと思っています。

電王戦も今年で第三回を迎え、
都合八局の対戦が終わりました。
内容は、人間から見て、一勝六敗一引分け。
改めて考えると異様な事態です。
厳密には、内一局に米長永世棋聖が含まれるので、
現役プロ棋士との対局とは言えないのですが、
それにしてもプロ棋士の勝率が二割を
下回るという事態は予想できないことでした。

丁度去年の今頃、第二回電王戦が始まる頃、
誰もが、どんな対局が始まるのか、わくわくしていました。
なにかSF映画が始まるかのような、
人類のあたらしい歴史が開かれるような、
そんな気持ちで見守っていたのでした。
第一局、習甦対阿部光瑠四段の対戦は
人類勝利に終わりました。
見守る人々はひとまず胸をなでおろしましたが、
第二局を終え、現役プロ棋士がコンピュータに
初めて負けた瞬間を迎え、
人々は一気に手のひらを返します。
最初の敗北者は佐藤慎一四段。
彼はその後一週間誹謗中傷にさらされました。
プロ棋士の顔に泥を塗っただの、恥知らずだの、
心ない中傷を彼に送った人々は、
今にして思えば、ただただまごついていたように思えます。
見守る僕たちや、対局者でさえ、
まだ物語の中にいたのでした。
その物語とは、コンピュータ対人類という構図の中に、
なにかロマンやセンチメンタルを見出すこと、
そのもののような気がしてなりません。
その証拠に、佐藤慎一四段がコンピュータに対して
「負けました」と頭を下げた時、
誰もが、感動していたからです。
その感動がどこから来るのかというと、
きっと、一生懸命頑張った佐藤慎一四段の
姿からだったと思います。
しかし、その後人間側はコンピュータに一勝もしていません。
あの感動のよりどころ、
「頑張ること」をいくらしても、
コンピュータには勝てないという事実が
目の前に突きつけられつつあります。

人間の敗北を感傷的に受け入れるうちは
まだよかったのですが、
事態をもっと冷静に分析すれば、
人間の棋力とコンピュータの棋力はコンピュータの方が上、
という圧倒的事実に気付いてしまいます。
というか、気付かねばならない地点まで
やってきたような気がします。
もちろん、その事実を受け入れたくないという
意識がまだ存在することは、否めません。
だって、コンピュータは人間が作り出したんだから、
その道具に手玉に取られるのは
誰だって釈然としないものです。
ただ、事実は事実です。
それをなにかの物語に押し込めて、
歪めてしまうのは、
純粋な勝負という視点がぼやけてしまいます。
第三回電王戦は、まだ続きます。
ここまで行われた二局を見る限り、内容としては、
(やねうら王のレギュレーション違反疑惑という
外野のいざこざがあったようですが)、
実りのある将棋だったように思います。
強いコンピュータと強いプロ棋士が戦い、
結果コンピュータが勝っている、そういう内容だと思います。
そこにセンチメンタルの入る余地はありません。

今後、将棋におけるコンピュータ対人間の構図は
どうなっていくのでしょうか。
そのことについて僕は非常に興味があります。
第三回電王戦の一局を戦った菅井五段が
こんなことを言っていました。
「一〇年後は人間の方がコンピュータよりも
強くなっているかもしれない」
僕は、これは負け惜しみとは思えませんでした。
非常に示唆に富んだ発言だと思います。
というのも、コンピュータによって開拓された将棋の
新たな地平を人間が更に進化させ、
将棋そのものが発展していく末に、
人間とコンピュータの共犯関係が
築かれるかもしれないからです。
その時こそ、今のような感傷的な物語に関係なく、
フラットな視点で、
勝負を楽しむことが出来るような気がするのです。

(いながき きよたか)




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