コギトの本棚 将棋《ワイの銀が泣いている》


 二月下旬には、三つのタイトル戦の対局が行われました。
(※執筆時点では、二つ)
2月18日・19日には、王将戦第三局。
2月22日には、棋王戦第二局。
2月27日・28日、王将戦第四局。
現在、王将・棋王ともに渡辺さんが保持しており、
つまり三局とも渡辺明二冠が対局者として
出場していることになります。
挑戦者は、王将戦が羽生三冠、
棋王戦が三浦弘行九段、なかなかの好カードです。
すでに王将戦第四局と、
棋王戦第二局は行われ、結果はともかく、
非常に面白い事態となっております。

将棋の作戦には、大まかに二つあります。
飛車を右辺に置く「居飛車」、飛車を左辺に動かす「振り飛車」。
また、棋士たちはこの作戦のどちらを得意とするかで、
「居飛車党」、「振り飛車党」などと言われたりします。
ちなみに渡辺さんは、居飛車党の本格派、
僕の見ている限り、振り飛車はほとんど採用しません。
ですが、王将戦第三局、後手の渡辺さんは突然、
四手目、中央の歩を突いたかと思うと、
続く六手目、飛車を五筋に振りました。
その名も「ゴキゲン中飛車」と呼ばれる意表をつく作戦を
用意していたのです。
過去対局を調べてみますと、
渡辺さんがゴキゲン中飛車を採用したのは三局だけ。
しかも羽生さん相手に飛車を振ったのは初めてのことです。
結果は、二日目のお昼過ぎには羽生挑戦者の優勢がはっきりし、
そのまま渡辺さんはなす術なく敗れました。
けれどもです。続く棋王戦の第二局、三浦九段を相手に、
後手番の渡辺さんはまたも「ゴキゲン中飛車」を採用したのです。
結果は、超急戦の順に導いた三浦さんの負けでした。
前述の王将戦第三局の戦いとは違う将棋内容とはいえ、
渡辺さんは、「ゴキゲン中飛車」での負けを取り返したのでした。
実は、こういうことはプロの対局ではよくあることです。
今、自分が研究に取り組んでいる戦法を試し、
敗北しても敗着を研究し、
すぐに再度その戦法を採用することはよく目にします。
ただ、飛車を振ってこなかった渡辺さんが、
有利な星取り状況とはいえ、
飛車を振るというのは、ちょっとした驚きでした。
そこには、棋士のこんな心理が隠されています。
「本局は、ゴキゲン中飛車で負けた。負けたままではいけない。
だから、次も同じ作戦を採用して勝とう」
そして特に渡辺さんは、
こういう考え方をする棋士だと僕は考えています。

谷川浩司九段は、河合隼雄との対談本で、
棋士の持つ三つの側面について語ったことがあります。
「勝負師」と「芸術家」と「研究家」。
この三つの側面をうまく合わせ持つ棋士が望ましいというわけです。
谷川先生の慧眼に感服するばかりですが、
どちらかというと、実力極まった棋士は、
この三つの傾向のどれかが突出してくるのだと僕は思うわけです。
棋士の風格は、
その三つに大別出来るのだと言い換えてもいいかもしれません。
そういうふうに考えると、
谷川先生の場合は三つ要素が
バランスよく 同居しているように感じます。
羽生さんは芸術家でしょうか。三浦さんはきっと研究家ですね。
では渡辺さんはどうでしょうか。
渡辺さんはだんぜん勝負師だと思います。
棋士にとっては、将棋に勝つことが望ましいということを
常に純粋に考えている棋士だということです。
そこで、思い出すのは、
勝負師の最高峰とも言える
故・大山康晴十五世名人ではないでしょうか。
大山康晴十五世名人と言えば、
物故してなお将棋界に影響を残す昭和の大名人。
羽生善治という異能者を除けば、
前人未到のタイトル80期獲得という偉業を残しております。
当然僕はその凄さをリアルタイムで観た世代ではありませんが、
その伝説はよく目にします。
この大山先生と渡辺さんが似てきたと思うのは僕だけでしょうか。
もちろん大山先生が得意とした言われる「受け潰し」や
「番外戦術」などとは、渡辺さんは無縁のように思われます。
渡辺さんはどちらかと言えば、とにかく最善手を指し、
勝ちに着々と近づいていくという攻め将棋の印象、
しかも昨今の棋士は総じて「番外戦術」という政治よりも
むしろ「研究」に時間をかけていると思います。
そして渡辺さんも「研究」にかけて は
第一人者と言っても過言ではありません。
では、どこが似ているのでしょうか。
それは、ひとえに勝負に対する姿勢ではないでしょうか。
勝負師と言われる類の人達は、勝つことを至上とします。
当たり前のように思いますが、
その至上という意味において追随を許さない
という覚悟が非凡なのです。
大山先生は、かつて相手が飛車を動かさなければ、
飛車を振り、相手が飛車を振れば、 居飛車に構えたと聞きます。
相振り飛車を極端に嫌ったのも、
勝負として勝つ可能性が低くなる
という判断だったように思います。

時に勝負は結果ではなく、過程だと言われることがあります。
必死に戦うその姿こそが観戦者の心を打つのだと。
けれども、大山先生は、そうは考えなかったのだと思います。
「必死に戦う過程などというロマンチシズムはどうでもいい。
プロ棋士として、最高にして唯一のファンサービスは勝つことだ」
と言わんばかりに、非常で辛い手を指し続け、
相手の戦意ごと刈り取る勝負に徹してきました。
大山先生と違って、
若い世代の合理主義的考えの持ち主である渡辺さんに、
そんな鉄の意思を感じることはあまりありませんが、
それでもなお、「プロ棋士にとって大切なことは勝つことだ」
という思想において、
僕は渡辺さんと大山先生の類似を見てしまいます。

この二月下旬、渡辺さんは、
タイトル戦という舞台で強敵相手に二度連続飛車を振りました。
この出来事は、二人の偉大な棋士の相似形の一端を、
垣間見せられた出来ごととして記憶されるような気がしています。

(いながき きよたか)




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