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漢字兄弟


第三回

 長勢さんがいつもおでこにヘアバンドを巻くスタイルを貫いて
いるのには理由があった。長勢さんは、幼い頃交通事故にあった
そうだ。ひどい事故だったらしく、手術は十二時間にも及んだ。
奇跡的に生還した長勢さんのおでこには、縦五センチの傷跡が残
った。事故直後、アスファルトに頭から叩きつけられた長勢さん
のおでこはぱっくりと開き、頭蓋骨にひびが入り、もう少しで脳
みそがはみ出るところだった。 以来、その傷を長勢さんはヘアバ
ンドで隠している。そうしてないと、脳みそがはみ出してしまう
ような気がするからという理由ともう一つ、彼なりの重大な理由
がそこにはある。
 「ほら、宇宙人がこの傷の中身を見つけちゃうとまずいからさ」  独特な奥目のまなじりをさげながら、長勢さんはつぶやいた。
手術中に、長勢さんはいけないものを見たのだ。
 「見ちゃったんだよね、僕、手術中にさ。執刀医の先生の隣に、
全身緑色の宇宙人がいたんだ。もうろうとしながら、ちらりと僕
は見てしまったんだな。執刀医の先生は宇宙人からICチップを
受け取り、僕の頭の中に埋め込んだんだよ。始めは幻覚だと思っ
てたんだけど、どうやら真実だったらしい。夜、おでこがキーン
となって、電波を発するんだもん。だから、ヘアバンドで、電波
を弱めないと、宇宙人がさ、僕のことを見つけちゃうのさ。誰が
好き好んで宇宙人の検体になりたいと思う。この間なんか、ヘア
バンドを忘れて、大変な目にあったよ。ほら」
 と、長勢さんは、本棚をぐるりと指さすのだ。
 「本棚が、ブイーンと開いて裏返ってさ、本屋は研究室に早変
わりさ。宇宙人の研究室って、見たことないだろ」
 「映画とかでは、かろうじて」
 「そう、映画とかとほぼ一緒なんだよ。銀色のてかてかの壁に、
電球がぴかぴか光ってさ、僕は頭の中のチップを回収されて、ま
た新たなチップを埋め込まれたのさ」
 と、長勢さんはもったいぶるようにヘアバンドをずらして、傷
をぼくに見せてくれた。確かに、それは、新鮮な出来たての傷に
見えた。
 まあ、あくまで長勢さんに言わせれば、真実ということになる
のだろうが、とにかく、そんな彼に、想像力で勝てる気はしない。
ぼくに言わせれば、長勢さんは老人少年どころか、少年少年青年
なわけだ。それも、かなり未発達な少年性を残した三十代である。
 それに、宇宙人に関する長勢さんの話を聞いた翌週、長勢さん
と二人でいつものようにここに立っている時のことだ。めずらし
く店内整理に向った長勢さんを、ぼくはなにげなく眺めていた。
そこに当たり前にいるものだと思って、油断していたのかもしれ
ない。その日、長勢さんはついに店内整理から、レジカウンター
の中へと帰ることはなかった。勤務中にも関わらず、いつのまに
か、彼は消えた。宇宙人にでもさらわれたのかもしれないが、明
日になればけろっとした顔で出勤してくるだろうと高をくくって
いた次の日、長勢さんはとうとう店に現れなかった。彼が出勤し
たのは、それから三日後のこと、足がひどく痛むらしく、おもむ
ろに引きずり、いくぶんやつれていた。
 どうしたのか聞くのもありていで申し訳ないような気がして、
いつも通りに接していると、長勢さんの方から口を開いた。
 「ごめんね、気付いたら、静岡県だったんだよ」
 距離にして百キロメートル以上はあろうという道程を、彼は、
あてどもなく、一心不乱に歩き、気付いたら県をまたいでいたと
いうのだ。そして、深夜、長勢さんはとある神社にいる自分に気
づいた。まず、なぜここにいるのだろうと自問し、訳が分からな
くなって、それから、通りを歩く残業を終えた会社帰りの初老の
男性を見つけると、強引にひき留め、足下にすがりついた。
 「お父さん、ごめんなさい、僕はこんな人間になってしまいま
した。お父さん、ごめんなさい」
 と、何度も謝った。男性は、長勢さんの恐慌しきった表情にそ
ら恐ろしくなって、なんとか振り切って走り去っていった。
 「父親が僕のことを置いて、逃げていったんだってね、落ち込
んだんだけど、帰り道で気付いたよ、あれはお父さんでも何でも
なく、ただの他人だったってね」
 そして、長勢さんは、再び徒歩で帰路につき、その道のりは彼
の足を致命的に傷め、三日間の休養を余儀なくしたわけだ。
 言っておくが、彼は店長だ。こんな彼でも店長がつとまる本屋
なのだ、ここは。

  (つづく)



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