漢字兄弟


第二回

 「ぜひ、うちで働いてくれないか。こんど、二店舗目を出店す
ることになったんだ。君に、そこで働いてほしいんだよ。えーっ
と、君の名前は」
 「ミチオです」
 「そうか、ミチオ君か。ははは、同じ名前だ」
ミチオさんは、言った。
 助手席の理子は、恐縮しているぼくの様子がおかしいと思った
のか、声に出さず『誰』と聞いた。
 ぼくは、首をひねった。
 「あの、どうして、ぼくなんですか。というか、そもそも、電
話番号をどうやって手に入れたんですか」
 ミチオさんは、言った。
 「苦労したんだ」
 そう言った後は、ぼくの疑問に一切答えず、五分ほど情熱的に
勧誘し、そして彼はついに勧誘に成功した。
 電話を切った後、てん末を理子に話すと、彼女は、人差し指で、くるくると自分の髪の毛を巻きながら、
 「きっと、君のことずっと探してたんだよ。本屋で働きたいっ
て、言ってたじゃない、よかったのよ」
 と、気のない返事をするだけだった。理子は、ただ純粋にドラ
イブを楽しんでいる様子で、化かされたようなぼくの気持ちを汲
み取ろうともしなかった。別に、汲み取ってほしいとも思ってい
なかったし、ドライブを楽しんでほしいと思っていたので、そん
な彼女の反応は、ぼくにとって正しいと思った。理子は、三人目
に付き合った女子だが、ぼくは三人の中で、彼女が一番好きだっ
た。ただ、彼女にとってぼくは五人目の男子で、五人の中で、彼
女が一番好きだったのは、ぼくではなかった。 本屋で働きだして
以来、長勢さんにも、睡眠薬中毒にも、社長からの電話の謎を、
聞くことはしなかった。なんだか、恐ろしいような気がしたわけ
でもないが、謎が解けるとがっかりしそうで、きっと一人くらい
はみ出し者ではないノーマルな奴が必要だと思ったんじゃないだ
ろうかと、今は理解するようにしている。
 十二月にさしかかり、とたんに気温が下がった。倉庫造りのた
めに、店内は一層冷えた。空気が乾き、鼻の脇がいつもかさつい
ていた。置き型の旧型エアコンは、空調の役目を果たさず、ごう
ごう鳴るだけで、一向に暖めてはくれず、わずかな熱気も、高い
天井付近にとどまり、床は底冷えがする。床から層になってうず
くまる空気を撹拌するため天井扇を回すが、役には立たず余計に
寒い。
 仕事をする気にはなれず、厚手のコートを着込んでダルマスト
ーブを囲みながら長勢さんとレジカウンターに並んで立ち、たま
にレジ打ちをし、たいがいは客の往来をながめてはタバコをふか
した。二人で次から次へとタバコに火をつけるので、店の品物で
もある長勢さんが中国人雑貨商から仕入れたという猿の頭をくり
ぬいた形の灰皿はものの一時間で吸殻の山になった。
 「ミチオ君はさあ、少年老人だね」
 「はい?」
 「いや、老人少年かな」
 長勢さんは、いつもまるで独り言のように会話をする。老人少
年かなと言った時も、本当に自分に問いかけているように言葉を
漏らした。
 「そんな言葉があるんですか、知らなかったな」
 「ないよ」
 「はあ」
 「作ったんだもん、ないよ」
 「そうですか、それはどんな意味なんですか」
 いかにも心外そうな顔をしながら、長勢さんはため息をついた。
 「ほら、それだよ、それ。だいたい老人少年って言ったら、意
味くらいわかりそうなもんだけどな。想像すればいいんだよ。反
対の意味の言葉を続けてくっつけたら、たいがい、『のような』
ってことでしょ。たとえば、おとこおんなとかさ。そういうとこ、想像しないところ、それが老人少年たるゆえんだよ」
 「悪態ですか」
 「悪態と思えば、悪態。褒め言葉と思えば褒め言葉。それはミ
チオ君次第」
 「なるほど。少年のわりには、老成してるとか、いい意味でと
ったらいいですね」
 「少年のわりに老成してるって、いいかな。あんまりよくない
んじゃない」
 「はたちもすぎて少年なんて、自分で言うと、なんか照れます
ね」
 「そうだね」
 確かに、想像力に関してはぶっちぎりで長勢さんに軍配があが
るだろう。というか、それを想像力の一言で片づけたら、きっと
長勢さんは怒り、本当のことだと、反駁するに違いない。

(つづく)



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