漢字兄弟


1、バイ・バイ・バッドマン

 本屋は零時まで開いている。中古なのか、アンティークなのか、
三基取り付けられたふぞろいの古い天井扇がそれぞれカタカタと
音をたてる本屋だ。床はコンパネ、安材の本棚、ビリヤード台に
置かれたがらくたのようなおびただしい数の雑貨、ジュークボッ
クスからビックス・バイダーベックが鳴る本屋のレジにぼくは立
っている。客の持ってきた品物を袋に入れ金を受け取る。刺青専
門誌とスイッチを押すと肛門が光るゾウのキーホルダー、ブラッ
クライトとイチゴ味のコンドーム。午後十時を過ぎると、客たち
はとたんにみだりがましくなる。そんなみだりな客が本来この本
屋にみあっている。
 六か月前、プレハブ造りの真っ青な倉庫が静かな住宅街の真ん
中にぽつんと現れた。次の日から、辺りには日がな深夜まで黒人
音楽が鳴り響くようになった。開店してすぐに苦情が相次いだ。
看板には、本屋と銘打たれているにもかかわらず、アルファロメ
オスパイダーが店内に停まっているし、入口にたたずむ人体骨格
標本がお出迎えするし、リーモーガンだのアートファーマーだの
がぷっぷかぷっぷかトランペットを吹きまくるしで、中途半端に
田舎の静かな住宅街に暮らす人々にとっては、おそらく本屋の範
疇を軽く超えていたのだろう。ただ、慢性的な欲求不満を抱えた
中途半端な田舎に住む人々の心にすっと入り込む術をこの本屋は
あらかじめ備えていた。開店して五日目にさっそくうるせえと怒
鳴りこんできた金髪の中年男も今では嬉々として水パイプやロー
ションなどを買っていくようになったし、近頃では、山の手の瀟
洒な洋館に住むおばさまがハイファッション誌と共に、厳重に包
装されダイエット器具に見せかけられたバイブレーターを購入し
ていったりしている。
 本屋と言いながら、水パイプや自慰用マッサージ器など、いか
がわしい雑貨を取り扱いながらもすぐに人気は上昇し、今ではち
ょっとした地元の優良企業扱いだが、そこで働いている人々は決
して優良ではなく、どちらかと言えば、はみ出し者が多い。睡眠
薬中毒、極度のマゾ、矢野顕子と本気で結婚したいと思っている
大学生、精神世界にやたらと精通している中年、そして、店長の
長勢さんはジャズ狂いの神経症……。
 ここで働くようになって、六か月、つまり、開店したその時か
ら、ぼくはここにいることになる。ぼくもはみ出し者の一員かと
いうと、そうではない。そうではないと思うし、事実、はみ出し
者ではない。中学高校ともに成績良好、現役で大学に受かり、友
人も多い、付き合った女子だって三人と、多くも少なくもない。
 はみ出し者は、みな志願兵だ。ぼくは、いうなれば、徴発兵な
のだ。志願兵たちは、この本屋に引き寄せられ、望んで店員にな
ったが、ぼくは違う。
 誘いの電話を受けた時、ぼくは理子を助手席に乗せ、少し緊張
しながら車の運転をしていた。やっとの思いで免許を取得し、父
親のカローラワゴンを借りて、彼女の念願だった初ドライブに駆
りだしていた時、電話が鳴ったのだ。ちょっとした話題を振りま
いているおかしな本屋の社長という人物からだった。なんでも、
東京の大手広告代理店を辞めて都落ちし、地元へ戻ってすぐに奇
妙な本屋を始めた変わり者だという。ぼくは、彼なんかとはまっ
たく面識がなかったし、その本屋の存在は知っていたが、別に熱
心な客でもなく、片や四十代のおしゃれなおっさん、片やなんの
変哲もない大学生で、共通項と言えば、名前が同じというくらい
だった。

(つづく)


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