オヤツ


「海よりもまだ深く」

みなさんこんにちは。
わたしが映画を観て、気になったセリフを勝手に紹介する「おいしいセリフ」の第5回。 今回の映画は是枝裕和監督の『海よりもまだ深く』です。

15年前に一度取った文学賞のせいで、作家としての夢を諦めきれずにいる良多(阿部寛)。生活のために探偵事務所で働いているが、小説の取材のためだと言い訳をし、冴えない日々を送っている。響子(真木よう子)には愛想を着かされ離婚、息子の真悟(吉澤太陽)ための養育費も満足に払えない。
月に一度の真悟との面会日、良多は真悟をつれ、団地で一人暮らす良多の母・淑子(樹木希林)の元へ訪れる。この日は関東地方に台風が接近。迎えに来た響子も加わり、元家族が集う不思議な一夜が始まる――。

わたしは小学校の登下校時、すれ違うおじいちゃん、おばあちゃんを見るだけでいつもなんだか泣きたいような気持ちにかられました。周りの友達はそんなことを思っているようでもないので、顔には出さぬように気をつけていました。その感情が何によってもたらされていたのかわかりませんでしたが、老いの先に待っている死を想像し恐怖するのは、10歳足らずの子供にはまだ難しかったはず。
そして、今も変わらず、わたしは一人で歩いているお年寄りを見かけるたびに、泣きたい衝動に襲われてはひっそりと堪えています。
昔のわたしがそう感じていた理由は、今でもわかりません。ただ、今のわたしのその感情は、おそらく恐怖心や同情心からきているのだとわかります。なんともまあ、失礼な話ですが。
ただ、ここでの恐怖心とは死に対するものではなく、老化による内面の変質に対してです。人は時を経ることで成長する。その過程で、変質し、悪い意味での自己主張の強さや頑固さも持ち始める。これは子供の頃は見えていなかった大人の悪い側面です。 お年寄り同士の会話に耳を傾けてみると、そのかみ合わなさに驚きます。互いが自分の話をしたくてしょうがないので、平気で相手の話を途中で遮るわ、脈絡もない話題を急にぶち込むわとやりたい放題。それでも不思議と本人たちは楽しいようで、永遠続くちぐはぐなおしゃべりに感心してしまいます。
子供の頃尊敬していたおじいちゃん、おばあちゃんをまるで話の通じない自分勝手な怪物のように思えてくる時期がわたしにもやってきました。それ以降、繰り広げられるちんぷんかんぷんな会話を聞くたびに、自分もいずれ怪物になってしまうのでは想像し、戦慄してしまいます。

――淑子の元に訪れていた娘の千奈津(小林聡美)が、夫に先立たれ一人暮らしている淑子に友達でも作りなさいよと言うと、

「そんなもん作ったってお葬式に行く数が増えるだけですよ」

と、華麗にかわす淑子。

屁理屈と言えばそうなんだけど、自分の歳を逆手にとって妙に相手を納得させてしまう説得力をもっているからおかしい。たくさんの会話を積み重ねてきたからこそできる瞬発力のある切り返しです。実際に言っているおばあちゃん、絶対いるだろうな。と想像して、またくすりとさせられました。

老いると羞恥心が薄れ、周囲を凍りつかせるようなとんでもないことを突然言うようになる印象があるけれど、他人の目から解放され自由になったからこそ言える面白い言葉もたくさんあるわけです。小心者のわたしは、外に出ると誰かの気分を害さないように、誰かに嫌われないようにと言葉を選びすぎて退屈な発言をしたり、時には喋るタイミングを逃してしまったりし、落ち込む毎日です。自己主張のし過ぎはよくないけれど、傷つくことを恐れて当たり障りのない言葉だけ選んでもユーモラスな会話は生まれない。それってとっても退屈です。

おばあちゃんになったら、簡単に傷つかない心を手に入れられるのだろうか? そしたら、わたしも今よりも少しは面白いことが言えるようになっているはず。
誰かを傷つけることなく面白おかしいおばあちゃんに、なれるかなあ。なりたいなあ。
淑子のセリフが老いへの恐怖を少し和らげてくれました。






mail
コギトワークスロゴ