オヤツ

モザイクの向こう側

『モザイク』や『ぼかし』
これらのフレーズを聞いたとき、
第2次ベビーブーム世代の私たちが真っ先に想像するものは、
やはりアダルトビデオだと思います。
同世代の男性諸君の頷く様子が目に浮かぶようです。
1980年代、家電業界を二分した激しい規格主導権争いの中、
性能面で劣るVHS陣営が勝利した理由の一つに、
アダルトビデオの販売があると言われています。
高性能、高画質のベータ方式はエロの前に屈したのです。
我家に念願のビデオデッキがやってきたのはそんな頃、
昭和も残す所あと3年に迫った浮かれた時代、
思春期真っただ中の高校1年の時でした。

家庭用ビデオが普及したことで、
それまでもっぱら紙の媒体に頼ってきた、
青年男子の慰め方にも変化が訪れ、
時代は静止画から動画へとシフトしました。
とは言え、当時の映像コンテンツは驚くほど高額だったので、
作品をみんなでシェアすることで問題を解決したものです。
ヤンキーから優等生、イケメンからオタクに至るまで、
ヒエラルキーを超えた幅広いコミュニティーが形成され、
物々交換という極めて原始的な取引によって、
そのネットワーク網は広い地域にまで及びました。
かつてお世話になった作品と再会することもよくありました。
巡り巡ってまた私の所に戻ってきたのだと思うと、
たまらなく愛おしい気持ちになったのを覚えています。
さながら昭和のシルクロードとでも言いましょうか、
アダルトビデオはみんなの共有財産だったのです。

新時代の幕開けといっても、
インターネット全盛の今ほど無法地帯ではなく、
思春期の男達が最も関心を寄せる聖域は、
モザイクという忠実な法の番犬によって追尾され、
執拗かつ正確に守られていました。
作家のマーク・トウェインは、
アダムはリンゴを食べたかったわけじゃない、
神様からダメだと言われたから食べたのだ。
という名言を世に残しましたが、
禁止されればされるほど人は強く惹かれるもので、
塗り立てのペンキに指先が引きよせられるように、
ますますモザイクの向こう側への意欲を駆り立てられたものです。

あれから30年以上の月日が経過した現在、
モザイクの勢いはとどまる所を知らず、
新たな新天地を求めて、果てしなく増殖を続けています。
通行人、看板、自販機、車、企業ロゴ…
テレビ画面のほとんどを埋め尽くすことも珍しくはありません。
こんなことになるなんて、一体誰が予想できたでしょうか?
全裸で走り回る幼い男の子の微笑ましい映像も、
モザイク処理が施されることによって、
なんだか後ろめたい気持ちにさせられてしまいます。
ちなみにドラゴンボールの主人公、孫悟空の、
可愛らしいおちんちんを記憶してる方は多いと思うのですが、
新作の「ドラゴンボール改」では消されているようです。
全く窮屈な世の中になったものです。
クレームをつける視聴者がいるからなのか、
リスクを恐れる制作者側が先手を打つからなのか、
ここまで自主規制に縛られた今となっては
その真相を知る由もありませんが、
過剰なモザイク処理はむしろ逆効果、
隠せば隠すほど人の意識は向いてしまうものです。

自らのことを「一人電通」と称する、みうらじゅん氏は、
街中で見かける裸の銅像を「ヌー銅」と名付けて、
セクシーコンテストなるものを展開してらっしゃいます。
クスッと笑えるものや、確かに官能的なもの等、
氏の目の付け所とユーモアにはいつも脱帽してしまいます。
しかし、悟空の可愛らしいおちんちんにまで
自主規制の波が押し寄せる今日、
アソコ丸出しの立体造形作品が、
いつまで公共の場に立っていられるのか心配です。
危険というレッテルを張られて公園から消えた遊具のように、
過去のものになってしまう日が来るのかもしれません。
そんな社会にならない事を祈るばかりです。





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