Come Into My World Kylie Minogue


Come, come,
come into my world
Won't you lift me up, up,
high upon your love

Take these arms that were
made for lovin'
And this heart that will
beat for two
Take these eyes that were
meant for watching over
you
And I've been such a long
time waiting
For someone
I can call my own
I've been chasing the life
I'm dreaming
Now I'm home

I need your love
Like night needs morning

Come, come,
come into my world
Won't you lift me up, up,
high upon your love

Take these lips that were
made for kissing
And this heart that will
see you through
And these hands that were
made to touch and
feel you

So free your love
Hear me I'm calling

Come, come,
come into my world
Won't you lift me up, up,
high upon your love




うちにおいでよ。
ハイにさせてくれない?



この腕は愛するためだけに
あるの
この心は二人のためだけに
鳴るの
この瞳はあなたを見つめる
だけにあって
それに見合う誰かを
私ずっと待ってたの
夢見る暮らしを求めて、
いま、私はうちにいる。





夜が朝を求めるみたいに、
あなたが欲しいの。

うちにおいでよ。
ハイにさせてくれない?



この唇はキスするために
あるの
この心はあなただけしか
見てないの
この手であなたに触れたいの
あなたを感じたいの。


愛は自由よ。
私の声を聞いて。

うちにおいでよ。
ハイにさせてくれない?



(written by Robert Davis, Cathy Dennis)



 視界の隅で、サッカーボールが跳んだ。校庭でサッカーに興じ
る男子たちの一人が蹴り損ねて、校舎のベランダに入り込んだの
だと思う。彼らは、無理してサッカー選手の名前を覚えたり、万
引きとか悪いことをして威張ったり、ホントはセックスのことし
か頭にないのに、特定の女子を崇拝したりすることに忙しい男子
たちだ。でも、タカシはそこにはいない。なぜなら、今私の目の
前にいるから。
 今、私は教室にいる。私は校舎の三階にある3C教室にいて、
英語教師として、そしてこの3C教室の担任として、英語の補講
をしている。相手にしている落ちこぼれ生徒は三人。彼ら彼女ら
はせっせと動詞の過去分詞形の小テストなんてしている。左に座
っている男子の名前は、別に覚える気もないので、割愛。もう一
人は女子生徒だから、論外。でも、私に一番近い席に座っている
生徒の名前だけは、私は、きっと、この先、子供を産んだり、更
年期を迎えたり、それこそ死んだりするときまで、忘れないと思
う。堤崇、つつみたかし、崇という漢字が嫌いで、いつもテスト
の名前欄にタカシと書くようなタカシ。本当に落ちこぼれでどう
しようもなく蒙昧で、愚劣なタカシ。Bearの過去分詞形がどうし
ても覚えられないタカシ。サッカー選手に一切興味のないタカシ。
まあそこそこイケメンなのにいまいち女子生徒から人気のないタ
カシ、でもモノ好きな女子もいるもので、合計三回告白されて、
三度ともOKしてセックスだけして、すぐ別れたタカシ。私のお
へその形がピスタチオみたいだと笑ったタカシ。私は、タカシの
ことが好きなのか、どうかはわからないけど、でも、きっと、虜
だとは思う。

 補講が終わって、私はタカシと目を合わさずに、教室を出た。
廊下に出て、ふと、写真のことを思い出した。昨日、母から見せ
られた写真だ。写っていたのは、三十歳の男性。極めて端正な顔
つきの、母と伯母が言うところの、出自も学歴も職業も「問題の
ない」優良物件だ。私は彼と週末、お見合いをするかもしれない。
タカシはそのことを知らない。
 廊下は、十代の少年少女が発する独特のニオイが充満している、
はずだ。もう、私は、それに異和感を感じなくなった。慣れてし
まって鼻がきかなくなった。時折、自分が彼らよりも15年あま
りも年長であることも忘れる。そして、甘ったるく、腐敗してい
るような、それでいてこれから果実を実らせるえぐみのようなも
のを含んだニオイを自分が発しているのだと錯覚することがある。
本当は、それは私のニオイではない。二十九歳の私の細胞は、日
に日に活発さを失っているのだけど、彼らは、活発な細胞を、ま
さにそうしなければならないようにして、浪費させている。若さ
というものに、うらやましさを感じなければならないとされてい
る雰囲気自体に私は猛烈なアレルギーを感じていて、別に私は、
この中学校に通うすべての少年少女が不幸になっても、一向に構
わないし、できれば不幸になってほしい。いや、「すべての」で
はないな。私は、タカシにだけ、彼の若さをうらやましいと感じ
ている。そして彼が発する若さのニオイが好きだ。というか虜だ。
 職員室に戻って、補講の小テストを採点していると、隣の席の
私よりも背の低い男性国語教師が、「今日、三年生担当の教員ら
で、食事に行こうと思ってます」と、臭い息を吐きかけてきた。
そのニオイは、少年少女のものよりも、複雑で苦み走った我慢な
らない、いつまでも慣れないニオイだった。
 「すいません、今日は父と会うものですから」と、私は答えた。
 曖昧に国語教師は笑って見せた。美しくない顔だと思った。お
父さんは去年死んだ。国語教師はそれを知っていたし、それで
「父に会う」とか言われたら、まあ、納得するしかないだろう。
私には、わかっている。この国語教師が私に気があることを。だ
が、普段、武者小路実篤とかを生徒に勧めるようなこの国語教師
は、私にとって何者でもない。
 私の太ももの辺りで携帯がブルブル震えた。静かに立って、背
中に国語教師の視線を感じながらトイレに向った私は、個室に入
って、タカシからのメールを確認する。見なくてもわかる。きっ
と、タカシは私が教室から出て行く時、視線を交わそうとしない
私に気を揉んだのだ。私だって、そうなればいいと思ってそうし
たのだから、たくらみは成功したわけだ。
 『せんせいんち、今日、いけるだろ』
 私は返事を返さず、空っぽのトイレを流し、職員室に戻って、
採点を続けた。廊下をふと見ると、息の臭い国語教師の向こうに
タカシが見えた。睨むような目つきで、きっと、大人の男ならそ
ういう時に絶対見せない憎しみすら浮かべた表情で、私を見つめ
ていた。私は、小さく小さく頷いた。

 谷口潤一という名前の見合い相手だった。国立大学を出て、旧
財閥系の電子部品メーカーに勤めているらしい。それでいて、昔
ながらの写真館で撮ったような面白みのない見合い写真の中でも、
彼の容姿は際立って優れていた。わざわざ母が仲介の伯母を連れ、
私の部屋を訪ねてきたわけもわかるというものだ。しかし、なぜ、
こんな取り柄しかないような男が見合いをせねばならないか、反
対に疑問に思えてきたわけだが、会ってみたい気もした。
 夜の九時過ぎに私の部屋にやってきたタカシの若い、本当に若
くて早生ミカンのような陰のうを口に含みながら、私は見合いを
することをタカシに言おうか言うまいか迷っていた。判断力とい
う点では、私に分があることは自明だ。相手はまだ14歳なのだ
から、見合いという儀礼自体の意味を理解していないかもしれな
い。それでも、私は、いつも判断をタカシに仰ぐ。引っ越しした
時もそうだった。下着を買う時もそうしている。タカシは、ぶっ
きらぼうに、そして絶対に自分の思ったままを述べる。私がいつ
もそうしているようには取り繕ったりしない。
 「引っ越せよ、そしたら毎日せんせんち行けるんだろ」
 「ティーバックとか履くなよ、萎えるだろ」
 万事この調子だから、おそらく、私が谷口という男と会うこと
も、タカシは否定するだろう。
 興奮したタカシは、私の顔の上に跨って、ごしごしとお尻を鼻
の辺りに押しつけた。14歳の発想ではないと私は内心嬉しくな
る。私がいつだったか、一度そうさせたのだ。始めは嫌がってい
たのに、今では当たり前のように押しつけてくるようになった。
二人の態勢を見れば、蹂躙されているのは私の方だと思う。けれ
ど、本当に彼を蹂躙しているのは、紛ごうことなき私だ。タカシ
は私の顔に尻を押しつけながら、自分の手で果てた。
 「行って来いよ、その谷口ってやつに会って来いよ」
 意外にも、タカシはそう言った。なんでもタカシを若さに結び
付けるのはやめようと最近思わないでもないが、でも、若いから
すぐにまた興奮して、果ててからものの十分でタカシは私の上に
馬乗りになった。そのインターバル十分の間に、見合いのことを
話した。すると、ずっと無言だったくせに、二度目の興奮がやっ
てくると共に、タカシは私に見合いに行って来いと言った。

 お見合いと言っても、冒頭三十分くらいだけ形式的に双方の保
護者的な存在がお茶を濁すような話をするだけで、あとは二人き
りの合コンのようでもなくもない。結局、ホテルのカフェで母と
伯母つきそいで、谷口潤一も母に付き添われて、五人でコーヒー
を飲んだ後は、谷口の車でホテルを出て、丸の内にある高級すし
店で食事をすることになった。
 私は、目の前のこの男のことを、つい四日前まではまるで知っ
ていなかったのだと思うと、今なぜ作り笑いを双方浮かべながら、
蟹を喰らっているのか、不思議な気分になる。でも、谷口潤一は、
いちいち蟹の身を口に運ぶ仕草まで、なんというか、優雅で、こ
ういうのを見つめながら日本食を食べるのも別に嫌な気はしない。
 谷口は、いたって上品に、私の教師生活について、差し出がま
しく学校の内実を聞いてくるようなこともせず、かといって何も
聞かないわけでもなく、聞き役に徹するかと思うと、小出しに自
分の置かれている立場の事や、おそらく責任のある仕事のことを
私に聞かせた。
 この、なんというか、決して警戒心を解かない癖に、屈託のな
い笑顔を、心の底から笑っているのだというように見せられる谷
口の美意識みたいなものを、私はほんとに嫌悪していると同時に、
好ましく思い始めていた。
 お見合いなんて言えば、一応、そこに結婚というものが想定さ
れているわけなのに、谷口は結婚という話題については、周到に
回避しながら、私を時に笑わせ、時に納得させ、満足感を与えな
がら、この時間が有意義なものであると思わせようとしていた。
 けれど、私はむやみに想像する。谷口と結婚して、教職も辞め、
家庭に入り、子供など設け、きっと郊外の戸建てで、毎日その日
何をしようかと迷うほどの贅沢が待っている未来を。なぜか、そ
んな生活は、目の前のこの谷口の、美しさみたいなものにそぐわ
ない気がした。それだけじゃなくて、私自身が、そんな想像をめ
ちゃくちゃ嫌悪している。
 タカシは、どうなるのだろうか。タカシが、その生活の中にい
ようといまいと、私はそんな生活を憎むような気がする。
 谷口も私も、おたがい四貫ずつ食べ、店を出ると、谷口は、彼
に似つかわしくない行動に出た。彼は私の肩を抱いてこう言った。
 「唐突に思われるかもしれませんが、私はいつもこうです。決
断は早い方なので。結婚を前提にお付き合いしてくれますよね」
 ああ、こういう言動が彼をエリートの道へと導いて来たんだな
と私は少しおかしくなって、実際笑ってしまうと、いやにうろた
えて、谷口は「おかしいですか」と真顔になって聞いてきた。
 「ホテルに戻りませんか?」
 私は、言ってみた。私は、この男を確かに嫌悪しているのに、
実際身体を使って試してみたくなっていた。陽は暮れていたし、
その日は金曜日だし、私は次の日、仕事がない。きっと谷口は次
の日が土曜日だろうが、仕事をするのだろうけど、そんなことは
関係ない。彼が彼自身で処理すればいい。そして、頭のいい彼の
ことだから、「ホテルに戻る」と言うだけで、私が何を意味して
いるか、分っていることだろう。
 谷口は、少し逡巡して、私の手を引くと、車に乗り込み、始め
に母達同伴でコーヒーを飲んだホテルへ戻って、スイートルーム
をとってくれた。

 のっぺらぼうたちの一人一人に私は英語のテキストを読ませな
がら、教壇の右隅の椅子に腰かけて、谷口潤一の身体を思い出し
ていた。すべすべしていて、触れる面積が多ければ多いほど、気
持ちがよかった。のっぺらぼうの一人がやけに舌を巻いて英文を
朗詠するその声が私のうっとりとした気持ちを邪魔して、「もう
いいから、次の人」と、つい邪険な口調になった。記憶の再生に
戻ると、いつしか知らないうちに、谷口の身体がタカシの身体に
なっていた。それは谷口のものとは違い決して美しいものではな
い気がした。タカシの身体は、というか、タカシのすべては美し
くない。タカシの身体に触れているとき、私は、谷口の時とは違
って、全然気持ちがよくない。にもかかわらず、私は、谷口には
感じない、痺れるような、脳が溶けるような、欲動を、タカシに
感じる。
 耳から入ってくる英文の朗読はひどく拙くて、懐かしい感じが
した。気づけば、タカシが読んでいた。「ああ」と私は思った。
やがて、チャイムが鳴って、タカシはテキストを閉じ、教室を出
て行った。続いて、私も教室を出ると、廊下でタカシは待ってい
て、手でそっとわからぬように合図した。それは二人の符丁だっ
た。
 職員室で仕出し弁当を食べている国語教師の横を通り過ぎ、荷
物を机の上に置いて、私は体育館へ急ごうとした。けれど、国語
教師が咀嚼しきらない唐揚げを無理矢理飲み込み、私を引き止め
るように話しかけてきた。
 「先週なんですが、ほら、三年生の教員らで集まったでしょう。
その時、三木さんのことが話題に上ったんですよ。ちょっといい
ですか」
 私は無言で国語教師を見つめた。
 「ほら、お父様、お亡くなりになってから、私ら、弔問にも行
けてないですから、改めて、三木さんのお宅へ、伺ったらどうか
って、そういう話になったんですけど、ご都合どうですか」
 ひどく凡庸でおまけにその凡庸さに自ら気づこうとしない声だ
った。
 「ごめんなさい」とだけ、私は言うと、国語教師はさも意外そ
うな顔をした。ばかばかしい。けれど、私は、それ以上この凡庸
さを取り巻く環境で目立ってはいけないとわかっていたから、
「心の整理がつかなくて」と付け加え、職員室を後にした。

 体育館の、一週間に一人用便するかしないか程度しか使用され
ない男子トイレの個室にタカシは待っていて、私は周囲を念入り
に警戒してから、そこへ収まった。タカシは、すでに下半身を丸
出しにしたまま便器に座っていた。私はタカシの股に顔を埋める
ようにして、タカシの性器で自分の口をふさいだ。
 「結婚するのか」
 タカシが言った。私は、そのままの格好で首を振った。
 するとタカシが私の後頭部の髪の毛を荒々しくひっつかんで自
分の股間に抑えつけた。喉の奥まで若い味が拡がって、少し涙が
出た。
 「せんせい、俺を怒らせたら、どうなるかわかるよね」
 必死に頷いた。どこかで、タカシが、こんなことを言いだすこ
とくらい、私は想像できていたのだ。苦しみながら、必死で悟ら
れぬ速度で手をポケットに忍ばせた。あらかじめポケットの中に
入れておいたボイスレコーダーのスイッチを手さぐりで探し当て、
そっと起動させた。
 「おれ、せんせいのこと好きだよ。別に英語なんて教えてもら
わなくても、せんせいは俺にいろんなこと教えてくれるからさ。
だからさ、俺を怒らせたら、きっと、俺、せんせいがいろんなこ
と俺に教えてくれたこと、みんなに言いふらすことだって、俺は
できるからさ」
 私の頭を固定させておいて、タカシは腰を前後に動かした。タ
カシが腰を引くたびに、涙が一粒、また一粒とこぼれた。
 「セックスしたんだろ、その男と」
 言葉が出ないから、私は首で答えを表すしかない。だから、私
は頷いた。
 「こんなことしてやったのかよ」
 首を振った。するとタカシが笑った。そして、私の口から性器
を引きぬくと、私の髪を引っ張って、立ちあがらせた。
 じっくり私の顔を見つめて、タカシは舌を出し、私の涙を舐め
て味わった。そして、髪の毛をつかんでいた右手を私の股に入れ
て、ひっつかむと、「ピアス、開けろよ」と、さびしそうな顔を
しながら、言った。
 言っていることが分らず考えていたが、タカシはなにも教えて
くれなかった。そしてタカシは私の顔に唾をはきかけて、もう一
度、同じことを言った。「ピアス、開けるんだよ、ここに」
 痺れるような震えが肩から頭の方に駆けあがって、私は少し気
を失いかける。
 「せんせいは、俺の言うことに逆らえないんだよ」
 私が向こう側へと行ってしまわないように、タカシは、私を脅
してくれる。
 「週末までに、間に合わせてよ、ね、ここにピアス、しっかり
開けてくるんだよ。せんせい」と、タカシはきつく私を抱き締め
て、耳元で、「愛しているよ、せんせい、俺、せんせいのこと好
きだよ」と、囁いた。そして最後に、「せいせい、そいつと結婚
しろよ、ぜったい」と、つけ加えた。

 下半身全体が、じんじんしている間は、私の股は使い物になら
ず、タカシは相変わらず私の口だけ使った。谷口には、体調が悪
いという理由で、初めて会って以来、セックスしなかった。上品
な谷口のことだから、やりたいはやりたいんだろうけど、体調が
悪いという曖昧な言い訳だけで、すぐに引き下がってくれた。
 にもかかわらず、谷口との関係は、良好に進展していた。数度
のデートの後、双方の親に改めて挨拶をするまでになった。私の
母は、私が谷口と付き合って以来、ひどく満足そうで、日々の笑
顔が増えた。
 ピアスの穴が定着してきたころ、タカシは私の部屋で、私に乗
りながら、「俺とやれるんなら、谷口ともやれるだろ、せんせい、
谷口と、やってこいよ」
 そう言いながら、タカシは他に谷口とどんな話をしたか、どん
な付き合いをしているか、聞きたがった。私は、詳細に、それこ
そ一つも漏らさず、谷口と私の間に起こった出来事をタカシに教
えてやった。聞きながら、タカシは満足そうだった。
 次の日、ホテルのスイートルームで、ガウン姿の谷口は、タカ
シの言いつけどおり開けた私の股のピアスの穴を見て、少しうろ
たえている様子だった。私は、もうなにも考えていなかった。た
だ、タカシの言葉通り行動し、その顛末をセックスしながらタカ
シに報告するマシーンでいいと思っていた。
 「どうしたの、これ、前の時は」と、言葉を濁す谷口に、私は
できるだけ媚びた笑顔で、「こういうの嫌いかな」と、甘えた。
 きっと、そこが谷口を凡庸さから救っているところなのだと思
うけど、谷口は、「いや、嫌いじゃないよ」と言うと、その口で
ピアスを含めて全体的に私を気持ちよくさせてくれた。それは、
とても気持ちがいいことだったが、でも、タカシが与えてくれる
麻痺するような震えはやってこず、いつまでもだらだらと続く拷
問のようでもあり、それでいて、上から見る私のピアスを舐める
谷口の顔は言いようがなく美しいもので、少し悲しくなったが、
涙は出なかった。

 卒業式を間近に控えた二月、私は結婚することが決まった。
 退職届を出した後、職員室に戻ると、国語教師が、臭い息を吐
きながら「これ、退職祝いです」と、武者小路実篤の『友情』を
私に差し出した。とてもイライラして、「いりません」、そう言
うと国語教師は残念そうな顔をして、「私、喋りませんから。ね、
だから、受け取ってください、三木さんが、特定の生徒と非常に
親しくしていること、喋りません。私、少しは文学がわかるたち
です。田山花袋の『蒲団』ですよね、違いますか?」
 手元に、刃物があれば、もしかしたら、私はこの国語教師を刺
して、自分も刺していたかもしれない。でも、幸運にも刃物はな
く、代りに『友情』を受け取るために、素手を差し出し、できる
だけ笑顔を作って、「ありがとうございました」と、言葉にした
のち、国語教師から文庫本をひったくった。
 別に、いいのだ。この怖ろしく凡庸な男が、中学校の女性教員
が男子生徒をたぶらかしていたと世間に公表しようが、しまいが、
そしてそれが事実と受け入れられようが、美しい英語教員に恋を
した文学教師の妄想的憶測だと受け入れられようが、どちらでも
構わない。
 私が『友情』を受け取ると、国語教師は安堵したように息を吐
き、すぐにもう一度緊張した面持ちになって、「もし叶うなら、
一度、僕と食事していただけませんか」とつぶやいた。我慢なら
ない、本当に耐えきれなくなって、私は、心の堰が切れた。
 「私、ずっと思っていたことがあるんです。あなたは、きっと、
私の中でからっぽなんです。からっぽな肉の塊で、どうしようも
なく普通で、なにも私にもたらさないって、ずっと思っていまし
た。知っていましたよ。あなたが私に好意を寄せていることは。
好意を寄せることは、誰にも、私にも止められないでしょうけ
ど、私は、すごく嫌悪します。あなたが私に好意を寄せるという
事実を。それを思うだけで、気持ち悪くなります。これは受け取
ります。でも、私は『蒲団』なんかじゃありませんし、脅すつも
りなら、どうぞ、誰にでもおっしゃればいいと思いますよ、私が、
特定の生徒と親しくしていたというあなたの文学的なたくましい
想像を」
 こんな私からの蔑みの言葉さえ、国語教師は誰か文豪の言葉に
置き換えて文学にしてしまうのだろうか。それを思うと私は悲し
すぎて涙も出ない。

 卒業式に、結局、タカシは出席しなかった。退職が決まってい
たとはいえ、受け持った三年生ののっぺらぼうたちを見送らねば
ならない私は、タカシのように、出席したくないから出席しない
というわけにはいかない。蛍の光を聞いて、校長先生の訓示を聞
いて、ようやくそういう息苦しさから解放されると思うと、私は
思わず叫びだしそうになった。火をつけて、のっぺらぼうと凡庸
が集まるこの中学校の講堂を燃やしつくしたくなった。が、それ
はしない。そうしてしまえば、私が息苦しさそのものに取りこま
れてしまうと思った。
 ようやく卒業式が終わり、私は表へ出た。途中国語教師がなに
か言いたげに私を見ていたが、私はさっさと視線をかわした。
 表へ出ると、谷口がこのほど新調した国産車で私を迎えに来て
くれていた。谷口のことだから花束なんか用意していなかった。
けれど、助手席に収まった私に、一言、「お疲れ様」と言葉をか
けてくれて、その言葉の抑揚が私を本当に癒した。ふと、窓の外
を見た。地元のショッピングモールで売っているような安物のジ
ャージに身を包んで、私を探しているタカシを見つけた。いや、
私を探しているのかどうかは、わからないか、と思いなおして、
そっと太ももに手を当てると、ほどなくして携帯が震えた。そっ
と開き見ると、『俺を怒らせるなよ タカシ』と画面に浮かんだ。
思わず、私は笑んでしまう。怒らせたいような気分にもなる。谷
口はまっすぐ前を向いて運転している。その隙に、私はタカシに
返事を送る。
 『明日なら、大丈夫。うちに来て』
 メールの画面を閉じて私は「ちょっと落ち着いていい?」と、
谷口に聞いてみる。もちろん、谷口は、「どうぞ」と言う。私は
耳にイヤホンを差し、携帯のボイスメモを再生した。がさごそし
ている雑音と共にタカシの声が聞こえる。
 「おれ、せんせいのこと好きだよ。別に英語なんて教えてもら
わなくても、せんせいは俺にいろんなこと教えてくれるからさ。
だからさ、俺を怒らせたら、きっと、俺、せんせいがいろんなこ
と俺に教えてくれたこと、みんなに言いふらすことだって、俺は
できるからさ」
 音の中で私は喉の奥へとタカシの性器をしっかりと飲みこんで
いる。
 「せんせいは、俺の言うことに逆らえないんだよ。愛している
よ、せんせい、俺、せんせいのこと好きだよ……」


(稲垣清隆)

mail
コギトワークスロゴ