イパネマの娘


As I walk through
This wicked world
Searchin' for light in the darkness
of insanity.
I ask myself
Is all hope lost?
Is there only pain and hatred,
and misery?

And each time I feel like this inside,
There's one thing I wanna know:
What's so funny 'bout
peace love & understanding?
What's so funny 'bout
peace love & understanding?

And as I walked on
Through troubled times
My spirit gets so downhearted
sometimes
So where are the strong
And who are the trusted?
And where is the harmony?
Sweet harmony.

'Cause each time I feel it slippin' away,
just makes me wanna cry.
What's so funny 'bout
peace love & understanding?
What's so funny 'bout
peace love & understanding?



こんな世知辛い世の中で
きちがいじみた暗闇の中に灯りを
探しながら
自問自答してみる
絶望しかないの
惨めで残酷で傷つけあうことしか
残されてないの


そのたびに知りたいことが
一つだけ出てくる
愛とか平和とか思いやりって
そんなに笑っちゃう?
愛とか平和とか思いやりって
そんなにおかしいことかな?

おかしな時代を歩いてる。
心が時々折れそうになるから
強さがほしい
信用できる誰かが欲しい。
いがみ合いたくない
もっと仲良くなりたい



現実逃避したくて泣きたくなる
愛とか平和とか思いやりって
そんなにおかしいかな?
愛とか平和とか思いやりって
そんなに笑っちゃう?


(Nick Lowe / Nick Lowe)



 アマネは、どちらかと言えば犬派だ。ただ、猫が苦手というわ
けではない。どちらかと言えばというだけで、猫のことも愛して
いる、ものすごく。しかもアマネが好きな動物は犬猫だけじゃな
い。あいつはアヒルだろうがカメだろうがキリンだろうがトカゲ
だろうが金魚だろうがエビだろうが、生けとし生きるものすべて
を愛してやまない。たまに、アマネのことを風の谷のナウシカじ
ゃないかと錯覚する。ナウシカよりは少し子供っぽいところがあ
るけれど、ナウシカが虫愛ずる姫君なら、アマネは虫愛ずる姫君
どころか命愛ずる姫君くらいの称号を与えてもいいと思っている。いや、思っていた。
 オレの母親は、オレが小学校へあがる前に死んだ。当時の記憶
はあいまいだ。ただ一つ、レースのカーテン越しに薄明かりが差
しこむ病室でのオレ自身の振る舞いだけは覚えている。そこでは、家族と親せきが集まって、母親の死の際を見届ける儀式が行われ
ていた。誰も言葉一つ発せず、ただ母の静かな呼吸の音だけが響
く病室の中をオレは、壁伝いにずりずりと半身を擦りつけながら
右から左、左から右へと歩き続けていた。なぜそうしなければな
らなかったか、今のオレにはわからないが、小学校入学を間近に
控えた幼稚園児のオレはきっとそうしなければ居たたまれなかっ
たのだろう。歩み続けるというその行為以外にそこに居続ける術
を知らなかったのだ、きっと。
 出会って三日目の夜、アマネにその話をするとアマネは泣いた。それも、ひどいヒキツケを起こしたように、しゃくりあげながら
枕に顔を埋めて泣いた。はっきり言って、なぜ泣くのかオレには
わからなかった。
 「おまえ、この話が、オレの話だから泣くのか? それとも、
他のヤツでも泣くのか?」
 そう聞くと、アマネはひどく悲しみながら、怒髪天を衝く勢い
でこう切り返してた。
 「あなただからじゃないに決まってるじゃない!」
 オレは、アマネを優しい人間だと思った。そして、好きになっ
た。幸運なことにやがてアマネもオレのことを好きになってくれ
た。
 けれど、オレはこうも思った。こんなオレの母親の話で取り乱
すほど泣かねばならないなら、シリアとかダルフールとかのこと
考えたら、どうなってしまうのだろうか。卒倒して倒れてしまう
のじゃないか。事実、恋人同士になってから、オレはそんな瞬間
をたくさん経験した。テレビから流れる交通死亡事故のニュース
を聞けば取り乱し、夜中、寝室で一人、幼児虐待事件やストーカ
ー事件で亡くなった子供や女に祈りをささげる彼女の姿を何度も
目にした。アマネにとっては命あるものが死ぬということはなに
にもまさる悪だった。もしかしたら、それは、海の底より深い共
感を持つ人間ならばありうべき態度かもしれない。けれど、アマ
ネの深い共感は、人間の命に対してだけにはとどまらなかった。
犬派とか猫派とか、よくある話でアマネを完結させたかったが、
無理だ。アマネは人間の命と同等に、動物の命も重んじた。ドラ
イブ中、轢かれた猫を見つけるといついかなる時もわざわざ降り
て行って抱きかかえなんとか救えないか奔走したし、病気になっ
て薬を処方されても、その薬がどんな研究を経て開発されたもの
かを血眼になって調べた。仮に、一度でも開発過程で動物実験が
おこなわれていようものなら、抗議の手紙つきで、製薬会社に薬
を送り返した。もちろん、肉や卵などを口にするのはもってのほ
かだった。だが、アマネは、オレに肉食をやめるよう強要はしな
かった。ただ、ときおりハンバーガーを頬張るオレを見つけると、
切ない目を向けるのだった。だからオレは極力アマネに命を削る
行為を見せないように気を配らねばならなかった。影で肉を食う
ようにしたし、革の財布はナイロン製に買い替えたし、ダウンジ
ャケットの代わりにポリエステル綿のジャンパーを着るようにし
た。アマネの前にいる時は、無意識に命を損なう行為をしやしな
いか、感覚を研ぎ澄ませて過ごさねばならなかった。
 オレは、自分自身をあざむき続けた。アマネはただの優しい人
間なのだと。少々度を越した優しさかもしれないが、それは悪意
や憎しみよりも随分ましなものなのだと。けれども、優しさが高
じた末に、それが憎しみの感情となって一度外へと向けば、いつ
までもあざむき続けられないだろう。
 そもそもオレは、母親の話を聞いた時のアマネの反応を見て、
気づくべきだったのかもしれない。けれど、可憐な二十代の女が
涙を流すという単純なビジュアルにオレはやられてしまって、懐
疑を抱く前に、女体を抱いた。それからだって違和感や疑念を抱
くべきタイミングがあったにも関わらず、その都度オレはアマネ
という肉体を抱くことを優先していた。けれど、やがて懐疑と快
楽の比重は逆転していって、もうどうにも現実を認めざるを得な
い状況にオレは今いる。アマネが完全に偏執狂だという現実を。
 首都高速の都心環状外回りをぐるぐると回りながら、助手席で
揺れるパタゴニアのデイバッグに何度も目をやった。道路のつな
ぎ目を踏むたびにがたごとと鳴り、オレは中身を想像して肝を冷
やした。カーナビは、なんとか車を目的地へ導こうとなんども五
号線へ入れと促した。
 ここ数日、アマネとの連絡は滞っていた。昨晩、久しぶりに顔
を見せたかと思うとひどく浮かない顔をしながら、背負っていた
デイバッグをオレの部屋の片隅に降ろした。それからアマネはす
ぐにベッドに入りオレを手招いた。アマネから積極的に誘うこと
などそれまでに一度もなかったことだ。オレは用心して腰が引け
ていたが、アマネはそれをぐっと引き寄せてこう言った。
 「お願いがあるの」
 新宿区に国立の医療研究センターがある、敷地の西門に裏口が
あり、そこにあれをそっと置いてきてほしいと、アマネはオレの
体の上から部屋の隅に置かれたデイバッグを指さした。
 「最近、なにしてたんだよ。連絡もせずに」
 イエスもノーも言わず、アマネの真意を知ろうとオレは外濠を
埋めようとした。
 「私が信頼を寄せる方たちと一緒にいたの」
 アマネは嘘がつけない性質だ。そして、つけ加えてこう言った。
 「心配しないで。恋人は平吾だけだから」
 オレの心配はそんなところにない、アマネがどこにいて何をし
ていたのか、これから何をしようとしているのかが知りたいこと
なのだ。それをアマネにぶつけると、アマネは嘘をつかないため
に、黙ったままにっこり微笑んで腰を動かした。長くそうしなが
ら、アマネはゆっくりと上半身をオレの身にあずけ、耳元でこう
囁いた。
 「必ず運んでね。午後三時までには」
 懐疑と快楽についての境界線が曖昧になっていった。オレはそ
の曖昧さのひだの中へうずもれるように眠りに落ちた。アマネは
朝日が昇る前に、オレを起こさずに部屋を去った、デイバッグを
残して。
 オレはバッグの中身をすぐには改めなかった。それどころか、
目覚めるとすぐに車に乗り込み、カーナビで『国立医療センター』
に目的地を設定すると、用賀インターから首都高に入った。
 決心がつかず、まだ環状線をうろうろと走っていた。アマネが
やろうとしていることは一体なんなのか、おおよそ想像がついた。
その想像が現実のものにならないようオレは願っているが、そん
な願望とは裏腹にオレはいまアマネの目的を果たすための道程に
いる。
 アマネが言うところの信頼を寄せる方たちというのはおそらく、
アマネのようにとてつもない『優しい人間』たちなのだろうと思
う。彼等はアマネと同じように命を慈しむ連中なのだ、きっと。
そして、アマネがオレにバッグを置いてきてほしいと頼んだ国立
医療センターという場所の西門のすぐそばに動物実験施設がある
ことはネットで調べるとすぐにわかった。動物実験施設と『優し
い人間』たちを結べばそこに実験動物の解放という補助線がひか
れることは想像にかたくない。どうやってそれを実行するかは今
のオレにはわからないが、アマネから手渡されたこのデイバッグ
を開けばおのずと答えが出ると思う。オレは環状線を箱崎パーキ
ングエリアへと逸れた。車を停め慎重にデイバッグを担ぎ、中身
を検めるためトイレの個室へ入ったのだった。
 オレはなぜアマネのしようとしている反社会的活動の片棒を担
ごうとしているのだろうと、開いたデイバッグの中身を見つめな
がら思った。デイバッグの中からは三越の紙袋に何十も包まれた
白い粘土の固まりのようなものが姿を現した。思わずため息が出
た。確信は持てなかったが、それが、使いようによっては大量の
命を粗末にしてしまうプラスチック爆薬だとわかったのは、丁寧
に信管が二本ぶっ刺してあったからだった。コードに繋がれた時
計と豆電球と電池が複雑に絡み合っていた。それが爆薬でなけれ
ばどうしてわざわざこんな手の込んだ細工をするのだろう、もは
や爆薬が偽物か本物かは問題にならない。仮に偽物だとしても、
アマネたちがはっきりと動物実験施設に対してなんらかの実力行
使に出たいという目的をもっていることは明らかだ。
 車に戻り、エンジンをかけ、しばしオレは呆けた。カーナビが
早く環状線へ戻れと急かす。時計は午後になりかけていた。ばか
ばかしい、もちろんオレはまだアマネのことが好きだ。けれど、
それが国立施設の西門を爆破することに協力する理由にはまった
くならない。デイバッグを警察に届けようと決心し、カーナビを
消そうとしたとき、携帯が鳴った。アマネからのメールだった。
開き見ると文面はなにもなく一曲の音楽データが添付されている
だけだった。添付を開くと、携帯から音楽が鳴り始めた。聞き覚
えのある音楽だった。
 「what’s so funny bout peace, love and understanding?」
 エルビスコステロがそう唄っていた。なんどもなんどもエルビ
スコステロが尋ねた。
 「平和と愛と相互理解はそんなにおかしいものですか?」
 オレはキーを回しエンジンをかけた。やっぱりカーナビの目的
地は消した。その代わり、二時間以内にたどりつけるおもいっき
り花火を打ち上げられそうな場所を探し、目的地に再設定した。
 携帯をカーステレオに接続して、オレは、アマネから送られて
きたエルビスコステロの曲をリピートし続けた。
 アマネや彼女が慕う優しい人々のために、オレがテロの片棒を
かつぐ義理はまったくない。それはオレがアマネのことを心の底
から愛していても変わらない事実だ。けれども、彼女の純粋な想
いを無下にするのもためらわれた。確かに、箱崎パーキングでア
マネからのメールを受け取る寸前までは彼女たちをカルト集団と
して警察に突き出すか、このままそっと知らぬふりをして、ただ
彼女から頼まれた用事をすますように、国立医療センターの西門
の脇にパタゴニアのデイバッグを置いてくるか迷っていた。その
時点ではオレにはその二つの選択肢しかなかった。けれど、おそ
らくメールを送ってきたアマネの意に反し、エルビスコステロの
唄はオレに第三の選択肢を与えくれた。カーステレオから流れる
彼の世の中への思い切った疑問の歌声がそっと背中を押し続けた。
 箱崎パーキングエリアを出て、1号羽田線へと向かった。左に
倉庫街を見ながら、羽田を過ぎ、大師ジャンクションからアクア
ラインへ車を走らせた。くどいくらいに、エルビスコステロが愛
と平和と相互理解について唄い続けていた。しばらくその三つの
言葉を聞かなくてもいいように、オレはそれでも繰り返し曲を聞
き続けた。やがて千葉県へと越境し、房総半島を横断すると九十
九里が見え始めた。海岸沿いに車を走らせ、できるだけ人目のつ
かない場所を探し、デイバッグを担いで車を降りた。
 車から降りてもオレは携帯から流れる音楽を止めなかった。時
計は2時を少し回ったところだ。
 波打ち際まで歩き、そこにデイバッグを置いた。それからオレ
は防風林の手前まで戻り砂浜に腰を降ろした。もし本当にあのバ
ッグの中身が爆薬だとして、爆発した時どれだけ離れていれば安
全なのかはわからなかったが、国立医療センターの西門から動物
実験施設までの距離以上離れておけば大丈夫だと思った。
 アマネは何をしてるのだろう。同時多発テロをもくろみ、同じ
く大学の医学部に設置している動物実験施設や製薬会社の研究所
に対する工作に奔走しているのかもしれない。爆弾を破裂させそ
れだけで動物たちが解放されるとも思えない。爆発とともに工作
員が決死の覚悟で幽閉されている動物たちの檻をこじ開け、都会
にラットやひよこやウサギを解き放つのだろう。
 間もなく午後三時だ。波は静かに寄せては返している。長い海
岸線にポツンと置かれたデイバッグは妙に現実感がなく、つげ義
春かなんかのマンガの一コマみたいで、オレはなんだかほほえま
しくなる。相変わらずエルビスコステロは唄っていて、照れくさ
そうに愛と平和と相互理解を訴えている。時間だ。午後三時まで
あと十秒、九、八、七、六、五、四、三、二、一。
 音もなくデイバッグが粉々に砕け散り、衝撃波がオレの肌に届
いてコンマ数秒後、爆音が九十九里浜をとどろかせた。確かに今
破壊を引き起こすための道具がその使命を全うしたのだが、けれ
ど海や砂浜や波やそういう自然の中で起こった爆発はなんだか湿
気た爆竹みたいで、すぐにあたりの静けさに吸い込まれてしまい、
なんのカタルシスもオレにもたらさなかった。
 オレは車にもう一度乗り込んだ。アマネから送られてきたエル
ビスコステロの唄をオレは削除した。代わりにラジオをつけた。
アクアラインへ差し掛かる頃、ラジオ各局から緊急速報が流れ始
めた。都内各所で、研究施設を狙った爆弾テロが起きたとアナウ
ンサーは伝えていた。犯人は特定できていないらしいが、爆発と
共に一斉に研究施設で管理されている実験動物の檻を破り、動物
たちを解放したらしい。オレの想像通りだ。想像通りすぎて、陳
腐に聞こえるくらいだ。
 研究施設の地下の暗闇の中で、じっと実験を待つ檻の中のネズ
ミと、解放されて地下鉄や雑居ビルへと逃げのびたネズミ、どち
らも命を粗末に扱われているような気がするのはオレだけか、ア
マネ、命を大切にするってのは、こんなに簡単で野蛮な行為で成
し遂げられるのか、そんな疑問をアマネにぶつける機会はもうな
いだろう。オレはもうアマネに会うつもりもない。
 自分のマンションに戻り、車を停め、玄関へ向うと、オレの足
元をなにか小さい物が、駆け抜けた。まっ白いウサギだ。ここい
ら界隈にも実験施設があったとでも言うのだろうか。いずれにし
ろそれはおそらくアマネたちが解放した実験動物に違いない。オ
レはウサギを驚かせぬよう近づいた。
 「災難だったな」思わずそう声をかけた。無表情な目でオレを
見ながら、ウサギはなすがままにオレに抱きあげられた。その時、
なぜ「解放されて良かったな」とか「命拾いしたな」とか、そん
な言葉ではなく、「災難だったな」だったのかわからない。もし
かしたら、オレは、自分自身に対して、「災難だった」と言いた
かったのかもしれない。相変わらずウサギは無表情にオレの腕に
抱かれたままかすかに喉を鳴らした。




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