入江悠


私、一足先に、観てまいりました!
「なにを?」って?
入江監督最新作、映画『日々ロック』ですよ!
テンション最高潮、
そしてロック愛、映画愛に溢れる傑作!
もう、安易な感想がぶっとぶほどの衝撃で
脳天をぶちのめされました。
そこで、どうしても、入江監督にお話を伺いたくなり、
このほど、インタビューにこぎつけました。
ということで、11月は、
映画『日々ロック』公開記念特別編として、
四週に渡り、入江監督とのお話をお送りしたいと思います。

二時間に及ぶロングインタビューを敢行、
映画『日々ロック』の魅力から、
現在の入江監督が考える映画について、
とことん聞いております。

第二回は、入江監督の演出論、そしてスタッフィングについて。

それでは、皆様、『日々ロック』公開を心待ちにしつつ、
まずはインタビューでお楽しみください。


(文/構成 いながききよたか)


プロフィール:入江悠

日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。
09年、自主制作による「SR サイタマノラッパー」が
大きな話題を呼び、ゆうばり国際ファンタスティック映画
オフシアター・コンペティション部門グランプリ、第50
回映画監督協会新人賞など内外の映画祭に輝く。
その他の監督作は、「SR サイタマノラッパー2 女子
ラッパー☆傷だらけのライム」(10)、「劇場版 神聖
かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ!」(11)、
「SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者」(12)、
TX連続ドラマ「みんな!エスパーだよ!」(13)、
WOWOW「ネオ・ウルトラQ」等。
新作映画は「日々ロック」が2014年11月22日公開、
「ジョーカー・ゲーム」が15年公開予定。



第二回

―最初の観客は自分……―

――では、入江監督の演出について、うかがいたいのですが、
  実は、『日々ロック』の撮影現場に、
  一度お邪魔させていただきました。
  今回『日々ロック』という映画は、非常にアツくて、
  テンションが高く、観客側も一緒に高揚感を味わう
  映画だったんですが、現場での入江監督は、
  それとは正反対のものすごく冷徹な目で
  現場を見てらっしゃいますよね。

入江:そうですかね。(笑)

――ええ、そうです。
  それで、今日のインタビューでも、
  僕はド緊張していたんですけど……。

入江:そんなことないでしょ。(笑)


――いえいえ、入江監督と接する他の方々も、
  そうだと思うんです。緊張を強いるというのは、
  いわゆる映画監督の才能の一つなのではないか
  と思うんです。たとえば、
  「この人の前では、迂闊ではいられないな」とか、
  「下手なことは言えないな」とか、
  思ってしまうというような緊張です。

入江:そんなこと、あるんですね。

――あるんですよ。
  入江監督としては、意識されてますか。

入江:いや、単純にこれは育ちというか。
   監督になる前から、
   「お前の心の底から笑ってる顔を見たことがない」とか
   「変な距離感がある」と、
   大学四年間一緒にいた友だちから言われたりして、
   それをコンプレックスに感じたこともあったんですが、
   それはもう変わりようがないと思いました。
   逆に僕は助監督経験があまりないので、
   いろいろな監督の撮影現場をできるだけ
   見るようにしてきたんですけど、
   中にはいわゆる親方気質の人もいるじゃないですか。
   「オラ、飲みに行くぞ」というような、
   懐にどんどん入っていって、
   俳優と一緒に泣くとか笑うとか、
   そういう方向にはどうしても行けないなと思って、
   だからもうこういう人間で
   行くしかないということですね。

――もちろん、自分で意識するはずはないと思うんですが、
  ある程度、パフォーマンスというか、
  そういう空気を出している部分もあるのかなと
  勘繰ってみたりするんです。

入江:ライブシーンとかで、お客さんと一緒に
   盛り上がりたくもなるんですけど、
   結構疲れやすいんですよ。

――(笑)

入江:その後、がくっと疲れちゃうので、
   それだったら同じテンションの方が
   楽だなということですね。

――でも、それでああいうアツい映画を構築していくって、
  結構すごいと思ったんです。

入江:どなたか忘れましたが、芸人さんの本だったと
   思うのですが、暗い人の方がコメディを作り、
   明るい人は悲劇を作ると書いてあるのを読んで
   確かにそうだなと思いました。
   北野武さんとか、ダウンタウンとかもそうですけど、
   私生活は暗そうじゃないですか。
   たとえば渥美清さんを思い浮かべてもいいんですが、
   私生活は暗そうですよね。
   そういうことはあるんじゃないかと思います。

――裏返しということですね。

入江:自分の生活の中でできないことを、
   逆にフィクションとして作りたいという願望が
   あるのかもしれないですね。
   自分はこうなりたいけど、できないから
   俳優さんを通してやってもらっているのかもしれません。
   『ネオ・ウルトラQ』で一緒にやらせていただいた
   石井岳龍さん(※)も、ご本人にお会いしたら、
   作品とは全然違いますよね。

(※)石井聰亙の名で知られる映画監督。
   代表作に『狂い咲きサンダーロード』『逆噴射家族』など。

――違いますね。

入江:ご本人は、『80000ボルト』とかじゃないですよね。

――そうなんですよ!

入江:『逆噴射』とかはしてませんもんね。
   石井さんも、北野さんや渥美さんのような部分が
   あるのかもしれないと思ったんです。

――石井監督は、本当に紳士ですよね。
  全然ご本人は『爆裂』ではないんですよね。


入江:やっぱり願望があるんじゃないかなと思うんです。
   あと、これは後付けなんですが、
   自分のテンションがガッとあがって、
   その時は「やったぜ!」となっても、
   後で映像を観たときにボロが出ているのが
   嫌だというのもあるんですね。
   自分は最初の観客だという意識ですかね。
   一体感で祭になったりしても、
   それはお客さんにとっては関係ないじゃないですか。

――自分が最初の観客だという意識は重要ですね。

入江:祭でいけちゃう人ってのは、
   それはそれで才能だと思うんです。
   でも、多分その才能は自分にはありませんね。

――撮影現場を見学させていただいた時、
  現場はテンション高くやっていましたが、
  監督の冷静な、「汗、足してください」という言葉が
  すごく印象的でした。
  ただ、『日々ロック』を拝見し、
  その汗が重要だったと思い知らされました。

入江:きれいすぎてはダメだという意識はありました。
   日本の音楽映画などを観るんですが、
   そういうものを反面教師にしている部分はあります。
   アメリカ映画の方が、雑だという印象が
   あるかもしれませんが、映画を観る限りそうではなく、
   逆に細かいんですよね。

――向こうの映画は、自分の職人的な仕事にまっとうしますよね。
  そこには妥協がありません。仕事の対価としてお金が
  払われているんだという意識が高いですよね。

入江:日本映画の場合は、細かい部分を気をつけていなければ
   それがなされないという印象が少しあります。

――確かに、監督としては、気をつけなければならないことが
  たくさんありますね。

入江:油断はできないですね。
   演奏がすごくて、歌もすごくて、客のリアクションもいい、
   そういう祭になってしまうと、
   オッケーと言ってしまいそうになるんですが、
   冷静になっていたほうが、
   そこで「いや、待てよ」と気づけるんです。
   たとえば、ライブハウスには、
   独特のニオイみたいなものがあるじゃないですか。
   『日々ロック』では、どうしたらそういうものを
   出せるんだろうなとずっと考えていましたね。

――劇中のライブハウスのセットを拝見したのですが、
  はっきりとは映らないだろうけれども、
  壁などにちゃんと手で書かれた落書きや
  手作りのステッカーなどがところ狭しと貼られていました。
  ああいうことで、ライブハウスの雰囲気が出るんだなと、
  感心したところでした。


―それぞれの仕事を越え、作品のためにー

入江:キャスティングの話がでましたが、
   スタッフィングも同時に重要なんですね。
   今回、美術部とカメラマンがかなりのロック好きで、
   撮影準備中なのにポール・マッカートニーのライブに
   行っちゃいまして「ドタキャンされた」と帰ってきました。
   それくらいロック好きだったりするんです。
   かえって今回はそれくらいの方がよかったんです。
   最初、松竹のプロデューサーからは、
   スタッフなども松竹関係にお願いしたいと
   言われたんですが、
   「いや、これはデーンと構えた映画ではなく、
   もう少し勢いで突っ走って、ロックをわかってる人で
   やった方がいいですよ」と、お願いしたんです。

――たとえば、黒澤組などは、完全に固定のチームですよね、
  ですが、入江監督は普段から、
  そういった固定のスタッフにあまりこだわらないように
  見受けられます。そのあたりはどうお考えですか。

入江:もはや昔の撮影所スタイルはなくなっているわけで、
   スタッフはいわゆる町場のフリーランスですよね。
   その都度召集されるわけです。
   そういう中で、最近は毎回、もっと面白い出会いが
   ないかなと考えていますね。カメラマンの方も、
   なるべく作品にあった方でお願いしたいなと思っています。
   最初に商業的にやった仕事が
   WOWOWのドラマだったんですが、
   その時はスタッフの中に知っている人がいなくて、
   色々きつかったんですよ。
   こっちが決める余地がないくらいでした。
   ぎりぎりになって「この物件しかありません、
   ここで撮ってください」と制作部から言われたり、
   撮影や照明や録音などの技術部からは、
   「どこの誰だ、この監督は?」という感じで
   見られたりしました。
   でも、「この現場はこういうスタイルなんだな」と
   理解して、「なるほどな」と飲み込むわけです。
   翻って、その後、コギトワークスで、
   『ネオ・ウルトラQ』をやらせていただくわけですが、
   いながきさんも車輌を運転したり、
   現場でいろんな仕掛けをやったり、
   いわゆるチーム総動員でやってましたよね。
   「同じWOWOWでも、こういう作り方が出来るんだ」と
   思いました。
   そういう発見が面白いんですよね。
   有名な話ですが、リドリー・スコットは『エイリアン』を
   イギリスのパインウッド・スタジオで撮りました。
   続く『エイリアン2』の時、ジェームズ・キャメロンが
   パインウッド・スタジオへ行ったら、
   完全に針のむしろだったというんですね。
   あたかも東京と京都の関係のように、
   終始、スタッフとの関係はぎすぎすしたそうです。
   最終日に、今は巨匠のあのキャメロンが、
   「僕は、すごく幸せです。
   なぜなら、今日で僕はここを出られるから」と
   言い放ったと。

――いい嫌味ですね(笑)


入江:あのキャメロンですら、そんな苦しい思いを
   したんだと思ったんです。
   でも、『エイリアン2』はちゃんとキャメロン映画に
   なっていますよね。しかも、その後しっかりと
   『ターミネーター』や『アバター』に繋がっていきます。
   固定化してしまうと、逆に見えなくなることも
   あるんじゃないかと思いますね。

――誰しも通る洗礼と言うんでしょうか。
  たとえば、この業界に少なくとも身を置いている僕としては
  仮に観た映画がダメだとしても、
  少し勘ぐってしまうこともあるんです。
  いろいろな事情があり、
  監督の思い通りに出来なかったのではないかと、
  慮ってしまうことがあるんですね。
  でも、そういう巨匠たる人達は、
  きちんとはねのけてきていますよね。

入江:僕より全然上の五十歳代の監督でも、
   「今回は自由にできなくて、辛くて、
   不本意だったんだよ」と、おっしゃっていることを
   聞くこともあります。
   五十歳代の監督でそんな目に遭うんだったら、
   僕みたいなのは今のうちに遭っておいた方が
   いいんじゃないかとも思うわけです。
   自分が五十歳代になったときに、
   一緒にやってきたスタッフが生き残っていたら、
   その時は、あうんの呼吸で一緒にやればいいと思います。
   あとカメラマンや技術のスタッフに関しては、
   中には早く一緒にやらなければ、
   間に合わないという年齢の方もいらっしゃるんですよね。
   日本映画のいい時代の雰囲気を知っている方々ですよね。
   その方たちの話っておもしろいじゃないですか。
   そういう人とやりたいと思っている部分もあります。
   『日々ロック』出演してくれている竹中直人さんには
   いろいろ聞きました。
   僕が中学生ころに観ていた大河ドラマ『秀吉』に
   ついて質問すると、いろいろ教えてくれるんです。
   スタジオ無き今、そいうことが伝統を受け継いでいく
   唯一の方法なんですよね。
   だから、なるべくいろんなスタッフと
   やりたいと思いますね。
   でも、『日々ロック』の録音は、
   『ネオ・ウルトラQ』の時にご一緒して、
   素晴らしいなと思ったので、古谷さん(※)に
   お願いしました。
   やはり音楽映画なので、音が大事になります。
   最後の音の仕上げがたいへんなことになる
   ということはわかっていて、
   古谷さんならねばってくれるとわかっていたので、
   お願いしましたね。
   やっぱり、出会いは大事だと思います。
   あとはなんといいますか、得手不得手という
   ことってあるじゃないですか。
   助監督の仕事領域だけれども、制作部の方が
   助監督よりも詳しいという場合もあります。
   たとえば、お酒に関して描かねばならないとき、
   助監督より制作部の方が酒に詳しいのであれば、
   その人のアイデアを取り入れた方が、
   全体の作品としてよくなるじゃないですか。
   基本的に、「所属する部署の仕事しかやりません」
   という前提よりも、作品に対して、
   みんなが得意なところを補っていくという方が
   僕は好きです。

(※)古谷正志、録音技師。
   数々の映画・ドラマにたずさわっている。
   入江監督とは、『ネオ・ウルトラQ』、
   『日々ロック』で、仕事を共にしている。

――そうですね、たとえば、助監督は助監督の仕事しか
  しないとなると、硬直化する印象はあります。

入江:ハリウッドなどは、たとえば、
   フォーカスマンが何度かミスをすればクビになる
   という世界ですよね。そこまでハリウッド並みに
   できるのならいいんだと思います。けれども、
   日本の場合はそこまでできないというのが現状です。

――僕が制作部時代に聞いた話なんですが、
  それは、古参のスタッフばかりが集まった現場でした。
  その中のとある方が、ペーペーの僕に
  「日本の映画は、俺の仕事を取るなという原理で動いている」
  と教えてくれたんです。
  縄張り争いは完全にご法度だという
  厳しい世界なんだなと痛感しました。
  それが完璧ならば、いいと思います。
  もしかしたら、日本映画も昔は
  完ぺきに出来ていたのかもしれません。
  けれども、そうでない場合は
  作品的に損になってしまいますよね。

入江:昔は、出来ていたんでしょうね。

――長い時間をかけ、準備でき、
  完全な状態で撮影できるのなら、
  いいのだと思います。
  でも、今は、なかなかそれが許されない状況です。

入江:『ネオ・ウルトラQ』の時も、
   いろいろなスタッフの話を聞くと、
   制作部の誰々は『海猿』をやっていたから
   水には強いとか、そういう経験値は次の作品に
   生かした方がいいと思うんですよね。
   それまではルーティンの中で、
   流れ作業的に仕事をこなすスタッフが
   多かった印象なのですが、
   コギトワークスでやらせてもらった時、
   みんなでレールを運んだり、
   手の空いたスタッフがどんどん内トラ(※)で
   出るというような、
   商業ベースにも関わらず、それまで僕が
   やっていたようなインディペンデント的な
   仕事の仕方だったんです。これは、いいなと思いました。
   そういう意味では、それぞれの仕事を越えてでも、
   作品のためにやってくれる人の方がいいな
   という気がしています。

(※)内トラ、スタッフがエキストラで参加すること。

―発見したいということ―

――では、監督自身の仕事について聞いていきたいと思います。
  監督の仕事の中に、『カット割り』というものが
  あると思います。カットを割るために、
  事前に準備していきますよね。
  そして、現場に入り、段取りを見て、
  スタッフにカットの割を発表するというのが、
  だいたいの流れかと思うのですが、
  事前の準備段階のカット割りと、
  現場で発表するカット割りは変わりますか?

入江:変わりますね。段取りを見て、変わります。
   ただ、今回の『日々ロック』に関して言うと、
   変則的なのですが、実は僕はカット割りしなかったんです。
   これはカメラマンの谷川さん(※)が、
   他の映画の時もそうなんですが、
   アメリカ方式で、芝居を見たら、マスターを撮り、
   その他のカットを抜いていくというやり方で
   撮る方なんです。
   サスペンスなどだと、綿密にカットの割りを
   考えなければいけないんですが、
   今回の映画のような場合は、休みなく、
   どんどんカットを撮っていったほうが
   いいだろうなと思ったんです。
   芝居の段取りを見終わると、谷川さんが、
   「はい、カメラ、ここ」と、カメラをドーンと置きます。
   それを見れば、僕もだいたいこういう狙いの
   アングルだなとわかります。
   その後、次々に演奏シーンなどを撮っていくんですが、
   それを僕が見ていて、「ここのアングルも欲しいな」と
   思ったら、「ここも撮ってもらっていいですか」と
   声をかけるという方法でした。
   ただ、三分くらいのとあるシーンの時なんですが、
   まずノープランで、段取りを見て考えていて、
   谷川さんがいつものように「ここから撮りますか」と、
   始めるんです。でも、なんとなく反発したくなる
   瞬間があって、「谷川さん、ワンカットで行きますか」と
   僕が提案すると、現場が「なに?!」みたいな
   雰囲気になるんですよね。
   みんな「ノー」とは言いたくないじゃないですか。
   必死にみんなで考えだすわけです。
   そういう化学反応が今回は割と多かったように思います。
   僕は普段、がっちりカット割りしていくタイプなんですが
   今回は芝居のテンションを高く保ちたい
   ということもあって、基本的にすべて通しでやる
   というスタイルで、撮影しましたね。

(※)谷川創平、撮影監督。代表作に『ヒミズ』、『恋の罪』など


――コンテはいかがですか? 描きますか?

入江:必要なところだけ描きますね。
   ちょっと複雑なところなどですね。
   昔、自主映画の初期のころや、
   大学生の頃は全部書いていたんですけどね。
   全カットです。短編や中編だったら描けるから
   描くんですが、やっぱり飽きてくるんです。

――コンテがあった方がいいのか、
  ない方がいいのかという問題は、
  いつも、テーマとしてあると思うんです。

入江:『ネオ・ウルトラQ』をやっていて思ったことは、
   合成シーンや特撮シーンはあったほうがいいですね。
   どのくらいのスケールで合成しなければならないか
   知るためにはコンテはあった方がいいですけど、
   芝居に関してはあまり要らないという気がします。

――あとですね、前に、入江監督がどこかで書かれていた
  と思うのですが、カットオッケー、あるいはNGという
  判断に対して、経験を経ていくと、慣れから来る
  脊髄反射で考えずとも対応できてしまう、
  それに対する怖さや、脊髄反射の功罪が
  あるかもしれないとおっしゃっていました。
  僕は、すごく共感できたんです。
  その慣れみたいなものを打破するためには、
  どうしたらいいんでしょう。

入江:その件について言えば、話が戻るかもしれませんが
   スタッフィングに関係してくると思います。
   こっちが「オッケー」と言っても、
   「いや、監督、今、あそこが変だったよ」と、
   言ってくれるスタッフをなるべく呼びたいなと思ってます。
   基本的に現場というのはタイトで、
   どんどんやっていかなきゃなりません。
   僕が、「オッケー」と言ったら、スタッフはすぐ次に
   進みたいわけですよね。むしろ僕が「NG」と言うと、
   「え! オッケーじゃないの!」ということが
   普通なんですよ。そこをあえて、僕がオッケーなのに、
   「いや、監督、ちょっと待って」というスタッフがいたら
   誰もいい顔しないかもしれない。
   それでも「今の芝居もう一回撮った方が
   いいんじゃないの?」と言ってくれるスタッフに、
   入ってもらいたいと思いますね。

――ある程度、緊張関係をもっていたい
  ということかもしれませんね。

入江:そうですね、発見したいということです。
   僕は見逃していたけれど、そういう一言によって、
   「そこも大事だよね」と、気づけるんです。
   そうじゃなければ、それこそ本当に、
   コンテで描かれたものをそのままやることと
   同じになっちゃいますよね。

――ぬるい関係になっていくことが、
  こわいっていうことですよね。

入江:こわいです、本当に。

――入江監督と直面すると、
  ぬるい関係ではない緊張関係を求めている
  雰囲気が伝わるので、
  こちらが緊張するのかもしれません。


入江:(笑) とにかく早さが優先されるテレビの
   連続ドラマの時は、闘っていましたね。
   早さが優先される時、えてして自分の経験則に
   頼り始めます。つまり、『慣れ』ですね。
   しかし、自分の経験則でやっても同じものしか
   できないなと思います。

――ノイズを入れるというか、
  常に、違和を自分の環境に置くというのは、
  大切ですね。

入江:そうですね。やはり同じものしか作れないとなると、
   編集をする段階になって飽きてしまうんですよね。
   さっき、映画館で観るという話がありましたが、
   映画館で発見がなくなってしまう感覚です。
   自分も客として楽しみたいじゃないですか。
   「どうして、このカットで僕はオッケーしたんだっけ」
   という疑問があったほうが、楽しめるんですよね。

――『監督』という仕事は、
  判断をしていく仕事だと思うんです。
  ただ、たとえば、「カットオッケー」一つとっても、
  自分に置き換えると、すごく難しいと思うんです。
  カットオッケーの瞬間というのは、どういう時ですか?
  どこを注視していますか?

入江:それは、最初に自分が思い描いていたビジョンを
   最低限満たしていれば、オッケーでしょうけどね。
   それと、このスタッフで、この時間で、
   ここがピークだなという瞬間があるんですね。
   アニメのように無限に描き続けられる
   わけではないですから。
   疲れとかもあるじゃないですか。
   これ以上やったら、パフォーマンスが下がる
   というピークが出たという瞬間ですよね。
   たとえば、『ネオ・ウルトラQ』の
   「宇宙から来たビジネスマン」のラストカットの
   森の中へと主人公達が消えていくところなどは、
   あの無数のライティングの中で、
   スタッフ達が必死に木を揺らしていましたよね。
   あのときなどは、「これが、オッケーだ」と、
   納得できましたよね。

――現場の状態で、エネルギーがピークを迎えている、
  それがオッケーということと、
  冷徹に、一歩引いてモニターだけを見ていて、
  現場とは距離を置き、画としていいか悪いかを判断する、
  その二つのバランスは難しいと思うんです。

入江:監督によっては、ベースのモニターから
   出てこないという人もいますよね。
   それはそれで一つの方法論だと思うんですけどね。

――モニター問題というのは、確かに存在しますね。

入江:作品によると思うんですよね。
   今回のような作品の場合は、カメラの横にいて、
   ガンガン言い続けないと出てこないこともあります。
   エキストラで集まってくれた観客に向って、
   助監督ではなく監督が言った方が効くことも
   あるじゃないですか。
   多作な先輩監督の映画を観ている時、
   いつも生理感覚でやってるなとわかる瞬間があって、
   少し物足りなくなりますよね。
   ちょっと無理している感じであるとか、
   挑戦している感じがわかると、「お!」っとなります。

――自分自身をルーティンにさせないという環境づくりは、
  自分次第ですよね。

入江:そういう意味では、『ネオ・ウルトラQ』は、
   いろんな新しい要素が入っていたじゃないですか。
   特撮があり、そこに怪獣がいて、
   ちょっとセンスオブワンダーのようなところがあって、
   そういうことをやるのは大事だなと思いますね。
   そういう環境においては、
   常に考えなければいけないんですよね。
   学生映画の頃に、戻れるというか……。

(つづく)
予告:次回は、シナリオについて、うかがいます。お楽しみに!










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