桜林美佐


桜林美佐さんへのインタビュー、第二回です。
名刺の肩書きは「防衛ジャーナリスト」。
なんだか、手強そうな響きですが、ご本人は、本当に自然体。
今回は、取り組んでいらっしゃるお仕事についてうかがいます。

それでは、今回も、滋味あふれるお話をうかがいましょう


(文/構成 いながききよたか)


プロフィール:桜林美佐

職業:防衛ジャーナリスト(日本の防衛政策を取材・執筆)
出身地:東京都
生年月日:昭和45年4月26日

防衛省「防衛生産・技術基盤研究会」委員
内閣府「災害時多目的船に関する検討会」委員
防衛省「防衛問題を語る懇談会」メンバー等を歴任
(更に詳しいプロフィールは記事末にあります)


第二回

~「真実を突き止めたいとは必ずしも思っていない」~

――『防衛ジャーナリスト』という肩書になってから
  どれくらいなんですか?


桜林:ジャーナリストでしばらくいたので、
   「防衛」がついて、2年くらいじゃないですかね。
   なにかの番組に出た時に、
   作家さんから「これでいいですか?」
   と聞かれて、そうしただけなので。
   実は、別にこだわりないんです……。
   だから、今も「夕刊フジ」で連載してるんですけども、
   そこの肩書は「ジャーナリスト」のままだし……。

――なるほど。
  とはいえ、ご自分では、本当にジャーナリストなのかな?
  なんていう感じもありつつ……。

桜林:多分、世の中のジャーナリストの人たちとは、
   まったく違うことを考えていると思います。
   たぶんほとんどの人がいろいろな正義感があって、
   こういうことを突き詰めていきたいとか、
   そういう目的意識を持ってると思うんですけど、
   まぁ、私もお話したようにそういう強い「これをやる!」
   みたいなものはなくて、本当にたまたま今まで、
   その時々に人との出会いがあったり、
   きっかけがあったりして、
   この仕事をしているような感覚です。
   偶然に身を任せているんですね。

――もう少しうかがいたいんですが、
  世のジャーナリスト像と桜林さんのジャーナリスト像の
  違いみたいなことをうかがえればと思います。

桜林:やっぱり、なんだかんだ言って、
   おじいちゃんおばあちゃん子っていうことが
   あったのかもしれません。
   母方の祖父が警察官だったんですけど、
   インパールで戦死してるんですね。
   そういうことを子供の時に知って、
   そういう人たちに報いたいなっていう気持ちがあって、
   国のためみたいなことを言うと大げさなんだけども、
   やっぱり人のためになにか出来たらいいな
   という気持ちはあるんです。
   それを物差しとして、その思いにかなってるのか
   どうかっていうことで仕事しているので、
   だから、別に真実を突き止めたいとは
   必ずしも思っていなくて、
   これはみんな知らなくてもいいかなということは、
   書かない。そんなスタンスですね。


――なるほど。
  じゃあ、普段のお仕事なんですけど
  実際具体的にはどういうことを
  やってらっしゃるんですか?

桜林:具体的には、ほとんど定まっていないんです。
   いまは、「夕刊フジ」で毎週一回の連載があるので、
   それに向けて取材したりはするんですけど、
   特に誰とも約束していないときは、
   別になにもなかったりするので、割と自由です。
   あとは講演したりとか、基本的には原稿書いてますね。

――書くトピックを定めてそれを題材に書くんですか?

桜林:いま「夕刊フジ」に連載しているのは、
   防衛産業の話です。
   私は防衛政策全般をやってるんですが、
   その中でも、このところは、
   防衛産業についてやっていますね。

――すごいおもしろそうですね

桜林:そうそう、
   ほかの人があまりやっていなかったことだったので、
   結構面白いですよ。


――ただそういうところって、
  なかなか取材が難しそうなイメージがあるんですが。

桜林:やっぱり取材が難しい世界だったんですけど、
   いろんなタイミングがあって。
   もともと装備とかには興味が
   あったわけじゃないんですけど、
   3,4年前、自民党政権の末期の時に、
   防衛産業がすごく大変で、
   倒産しているところがいっぱいあったんです。
   そういうことを発信をしたほうがいんじゃないか
   という働きかけがあって、じゃあ、やろうかなと。
   それで、工場とか、いろんな場所へ行って、
   わからないながら、話を聞いてたんです。
   そんな取材が結構たくさん集まったので、
   本にしよう、みたいな感じでやってました。
   それまでは、やっぱりそういう世界も秘密が多いので、
   外に出すなんてとんでもなかったんだけれども、
   本当にもう潰れるかもしれないみたいな
   危機が迫ってた時に、
   ちゃんとそういうテーマを取り上げようとなって、
   じゃあ、誰にやらせようかとなった時に、
   桜林がいいやって話になったっていうだけで…。

――やはりそういうつながりがなければ、
  なかなか入っていけない世界なんですよね。

桜林:そうですね。

――そういう情報を皆さんに届けるのは、
  仕事としてもおもしろいですよね。

桜林:ええ。

――初めての仕事はどんなものだったんですか。
  『防衛ジャーナリスト』としてです。
  そこがすごいターニングポイントかななんて思うんですが。

桜林:CS放送で安全保障を取り上げる番組があって、
   それに出るようになったんです。
   それがきっかけで現役の自衛官たちと
   知り合うようになったんです。
   それが、8、9年くらい前ですね。

――それはどんな仕事だったんですか

桜林:自衛隊のニュースというか、
   安全保障に関するニュース番組ですね。

――現役自衛官の方に、お会いしに行くみたい感じですか?

桜林:スタジオに来てもらってお話を聞いたり、
   どんなお仕事しているのかを
   聞いたりするような番組でした

――それまでにいわゆる自衛官とか、
  そういう方たちとお会いする経験は?

桜林:まったくないですよ(笑)。
   私がおじいちゃんおばあちゃん子ていうのは、
   自分のおじいちゃんというだけじゃなく、
   お年寄っていう意味なんです。
   大学の時も朗読研究会の顧問の先生が
   すごいおじいちゃんで、
   その人もやっぱりトラック島に行ってた人で、
   そういう話を聞くのがすごい好きで、
   そういう昔に海軍経験のある人の集まりなどに
   行っていました。
   だから、そういう付き合いはあったんですよ。
   だけど、現役の人達とはまったくなくて。
   私は、それまで作家として、
   MXテレビで石原元都知事がいろんな人と
   対談する番組の構成をやってて、
   石原元都知事とは割と仕事をしてたので、
   メンタリティ的には近い感じが
   あったというのもあって、
   自衛隊のことは多少知りたいなとは
   思っていたんですが、
   かといってその番組をやって
   現役の人と知り合うようになって、
   すぐ自衛隊が好きになったかっていうと
   別にそうでもなくて(笑)
   ただ、やっぱり、やっていくうちに、
   みんなが、安全保障に関してちゃんと
   語れる人がいないんだよね、
   という話になって……、
   やっぱり勉強すべきなのかなって思う
   きっかけにはなりましたよね。

――じゃぁなんかこう、
  子供のころからそういうお話を聞いてこられて、
  いまの取材対象に対する抵抗感みたいなのも
  まったくないということですか?
  初めてその世界に入ってみてどうでしたか

桜林:抵抗感はまったくなかったです。
   かといって別に面白くもないなと思ったんです。
   「自衛隊の人と会ったりしてる」とかって言うと、
   みんな、「いいな」とか「見に行きたい」とか
   「飛行機乗りたい」とか言うんですけど、
   全然興味がなかったんです。
   あっちへ行ってください、
   こっちへ来てくださいとか言われたんですけど、
   ほんと面倒くて……(笑)
   行動力がまったくない割に、
   行くとちゃんとやるから、
   まあなんだかんだ……(笑)


――なるほど、
  ただ、やっぱり今もずっと続けてらっしゃる
  ということは、
  ご自分とマッチしている部分があったんですよね。

桜林:やっぱり女の人はあんまりいないし、
   いわゆる軍事評論家という人は、
   より専門的じゃないですか。
   私はどっちかっていうと人間のほうに
   関心があるんです。
   人間ドラマ的なことを書いて、
   一般の方から
   「自衛隊ってそうなんだ、知らなかった」
   なんて言われると、それは一つの成果かなと、
   やりがいを感じて、
   しかも「そういうことを書いてくれて
   ありがとうございます」なんて言われることが、
   まあ、嬉しいので、結局そういうことを頼りにして、
   なんだかんだやってきたのかなと。

――あんまり世の中に知られていないこと、
  それを伝えるべきことっていっぱいあると思うんです。
  それを伝えて、
  例えば感謝してくださる方もいっぱいいると
  思うんですが、逆に、こういうことに限って
  批判的な目で見る方もいると思うんですけど、
  そういう批判的な方の存在を実感しますか。

桜林:よく言われるんですけど、
   あんまりそういうことがなくて、
   私の中では、物作りの意識があるっていうか、
   どちらかっていうとクリエイティブなことを
   志向してるんです。
   自分の使命として、「こういう発信をせよ」
   みたいなときがあって、
   それに従ってこの仕事をしてるんです。
   それっていうのは、
   論理的に追及しなくちゃいけないんだけれども、
   自分の中で得意なものはやっぱり
   物語を作ったりとかするほうなんですよ。
   あるときに、それを合致させると、
   人の心を動かせるかもしれないっていう
   感覚が何度かあって、
   人間って思想信条的なことを超えて
   感動したりすることってあるじゃないですか。
   その人のこだわりとか関係なく、
   それを超えるようなものを
   作ればいいんじゃないかなって
   自分で思ってるんです。
   感動するものはみんな素直に
   受け入れるじゃないですか。
   そこを目指せばいいのかなと思ってるんですよね。

――なるほど。
  それはよくわかります。
  僕もこういう仕事していて、
  やっぱり空想で作るよりも、
  実体験された人間のお話のほうが
  ドラマだなって思う局面がいっぱいありますもんね。

桜林:それも出し方なんですよね。
   それを一から十まで順番で書くと、
   ものすごく単調でつまらないことでも、
   ちょっと変えたりとかするだけで
   すごく心に響いたりするテクニックって
   あるじゃないですか。
   それが出来れば、
   もちろん、それが嘘だったらまずいんだけども、
   それによってちょっとでも効果が出るんだったら、
   それって自分の役割なのかなって思うんです。


――そうですよね。
  じゃあ、子供のころに、
  おじいさんやおばあさんからお話を
  聞いたことがかなりルーツになっている、
  ということなんでしょうかね。

桜林:う~ん、なんなんですかね。
   それは何とも言えないですね。
   人それぞれ、
   生まれながらにあるものかもしれないし、
   大学の時、朗読をやっていてその先生が
   それこそラジオドラマの創始者なんですよ。
   戦後、「架空実況放送」というのを、
   ずっとやっていた「西澤実」って人なんですけど、
   先生の影響も大きくて。
   その発想からしてすごいじゃないですか。
   忠臣蔵の松の廊下にNHKのアナウンサーが
   行って実況するとか、関ヶ原の戦に今いますとか。

――あ~!タイムスクープハンターの元祖ですね。

桜林:そう!戦後の娯楽はラジオしかなくて、
   その中ですごく人気のあった番組で、
   西澤実さんはそれを作った人なんです。
   やっぱり先生の脚本ていうのは
   私もすごい好きだったし、
   すっごい影響を受けていると思いますね。

――朗読研究会ですか。

桜林:そうです。
   朗読だから、書くっていう指導を
   受けたわけではないんですけど、
   先生が作った本を読んだりしているうちに、
   やっぱり読むことの心地よさっていうのが
   湧いてくるんですね。
   たぶん、朗読するための本は、
   普通の小説とは違うんですよね。
   あくまでも、耳に入る文章なので。
   だから、ナレーションの原稿書く仕事が
   自分でも向いているなと思ったのは、
   そこがルーツなんですよね。

(第三回に続きます)



プロフィール:桜林美佐

職業:防衛ジャーナリスト(日本の防衛政策を取材・執筆)
出身地:東京都
生年月日:昭和45年4月26日
最終学歴:日本大学芸術学部 放送学科
趣味・特技:乗馬 ( 学生時代に障害飛越競技出場 ) 創作朗読
防衛省「防衛生産・技術基盤研究会」委員
内閣府「災害時多目的船に関する検討会」委員
防衛省「防衛問題を語る懇談会」メンバー等を歴任

大学卒業後、テレビ番組ディレクターとして『はなまるマーケット(TBS)』など、多数の番組制作に参加。また、構成を務めた平成18年5月放送『ニッポン放送報道特番「夢叶う日まで ~ 割りばし事故は問いかける」』が、平成18年日本民間放送連盟賞”NAB Awards 2006”ラジオ報道番組部門 「優秀賞」>>第44回ギャラクシー賞(平成18年度放送批評懇談会主催)『ラジオ部門優秀賞』を受賞。>>平成18年には自身初のノンフィクション『奇跡の船「宗谷」』を並木書房より出版。

平成20年5月からニッポン放送 『上柳昌彦のお早うGood Day!』「ザ・特集」のリポーターを務める。平成20年6月からは「撃論ムック」に連載する傍ら、産経新聞社「月刊 正論」などにも寄稿。平成20年にノンフィクション第2作『海をひらく - 知られざる掃海部隊 -』を並木書房より出版。平成21年8月7日『終わらないラブレター - 祖父母たちが語る「もうひとつの戦争体験」をPHP研究所より出版。構成を務めた『ニッポン放送報道スペシャル 時効という名の壁~未解決事件遺族の願い~』が平成21年日本民間放送連盟賞 ラジオ報道部門「優秀賞」を受賞。平成22年4月~8月まで、『フジサンケイビジネスアイ』にて「防衛産業のいま」を連載。平成22年8月7日『誰も語らなかった防衛産業』を並木書房より出版。平成23年3月~秋まで夕刊フジ『誰かのために~東日本大震災と自衛隊』を連載。平成23年に『日本に自衛隊がいてよかった』を産経新聞出版より出版。平成24年3月1日『ありがとう、金剛丸 ~星になった小さな自衛隊員~ 』をワニブックスより出版。平成24年4月~、夕刊フジ『ニッポンの防衛産業』を連載開始(毎週月曜日掲載)。平成25年には『武器輸出だけでは防衛産業は守れない』を並木書房より出版。





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