桜林美佐


いつの日からか、仕事をするようになって、
時折、悩んだりするとき、
誰かの話を聞いてみたくなることがよくあります。 そういえば、昔から、なにかの仕事をしている人に興味があって、
いつか、いろいろな人に話を聞けたらなと思っていました。
その道に長けた人々の話に耳を傾けると、
なぜか聞いた後、ちからをもらった気になります。
自分の仕事に戻った時、
気持ちが安定していることがよくあります。
ここは、そういう意味での、「職業安定所」でもあり……。
ということで、これを機会に、
さまざまな仕事人、職業人から、
滋味溢れるお話をうかがいましょう。

今週から、お話をうかがうのは、桜林美佐さんです。
さて、その職業は……?

(文/構成 いながききよたか)


プロフィール:桜林美佐

職業:防衛ジャーナリスト(日本の防衛政策を取材・執筆)
出身地:東京都
生年月日:昭和45年4月26日

防衛省「防衛生産・技術基盤研究会」委員
内閣府「災害時多目的船に関する検討会」委員
防衛省「防衛問題を語る懇談会」メンバー等を歴任
(更に詳しいプロフィールは記事末にあります)


第一回

~「どんなものかは、これから作る」~

――まず、名刺は持っていますか?
  というのも、このシリーズで、名刺はお持ちですか?
  っていうことを最初、聞いてきたんです。

桜林:名刺っていうのは全然こだわってないですね。
   とりあえずわかればいいと思って。
   どうしてかっていうと、本を出すようになって、
   講演の仕事が入るようになったんです。
   不特定多数の人に
   名刺渡さないといけないような状況になって、
   束で配ってるような状況なんですよ。

――とにかく情報が伝わればいいということですね。

桜林:そうですね。


――完全にフリーランスという形でやってらっしゃるんですか?

桜林:そうなんです。

――ジャーナリストというお仕事をされてからずっと?

桜林:そうですね……。
   じゃあ、まずさかのぼってお話しますね。
   中学生くらいのとき、
   「チャイナシンドローム」という映画見て、
   ああいうことをやりたいなって漠然と思ったんです。
   自分でしゃべって取材するような
   ニュースキャスターっていうか。
   それになるにはやっぱりテレビ局に
   入ることが良いのかなと思って、
   それで、大学は日大の芸術学部に行ったんです。
   私、子供の時にポニーに乗るキャンプに
   行ったことがあって、大学に入ったら、
   どうしても馬に乗りたいと思っていたので、
   乗馬クラブに入ったら、
   そっちのほうにはまっちゃって、
   あんまり学校に行かなかったんです。
   就職活動しなきゃいけない時期になっても、
   馬にばかり乗っていました。
   そのほうが楽しかったし、
   それにテレビ局のアナウンサーになろうとする人達は、
   パステルカラーのスーツとか着てる人がいっぱいで、
   私は、この人たちとは違うかもしれないと思って、
   受けるだけは受けてみたんですけど、
   案の定、受からず、結局就職しなかったんですよ。
   その後は、友だちの家が管理している
   駐車場でバイトをしていました。

――駐車場?

桜林:そう(笑)。
   友人の家が駐車場を経営してたんです。
   バブルがはじけちゃったから、
   ビルを建てるつもりが建てられなくて、
   その敷地を駐車場にしたんです。
   そこでアルバイトをしながら、
   夜は馬に乗りに行くっていう生活を
   しばらく続けていました。
   友だちのお父さんとお母さんも、
   私を自分の娘のように可愛がってくれて、
   とうとう、「美佐ちゃん、
   馬ばっかり乗ってたら、馬鹿になるよ」
   とか言われるようになって(笑)、
   もちろん、冗談ですけど、
   でも、本当に、転換を迫られたんです。
   そのころ、たまたま、就職活動している子がいて、
   一緒に行かない?って誘われて行ったのが
   偶然学生時代に行ったことがある事務所だったんです。
   社長も、私のことを覚えていてくれました。
   しばらく後、その社長から唐突に電話があって、
   「もし、いま仕事してないんだったら、
   オーディションがあるんで受けない?」
   なんて言われて。
   それで受けたのが、
   テレビ埼玉っていう地方局の情報番組の
   アシスタントのオーディションだったんですけど、
   それに受かってしまって、
   そこから仕事が始まるようになったんです。
   中学の時、漠然と思ってたことなんて、
   もう別にいいやって投げだしてたんだけども、
   図らずも、そういう話が転がり込んできて、
   受けたらテレビのお仕事だったということで、
   もちろん、最初はアシスタントだから
   自分の目指していたものとはかけ離れているんですけど。

――アシスタントってどんなお仕事なんですか?


桜林:男性キャスターの横に座って、
   「そうですねー」なんて言って、
   あとは天気予報を読んだりですね。
   そのうち、例えば旅番組とかやってるじゃないですか。
   いわゆる温泉リポーターみたいな
   仕事が増えていったんで、
   その事務所も契約しましょうってことで、
   レポーターの仕事を曲がりなりにも
   やるようになったんです。

――大学卒業してどれくらいですか?

桜林:大学出て一年くらい駐車場で仕事しながら
   馬に乗ってて、秋か冬くらいかな。
   まぁ一年足らずで、そういうことになって……。

――いわゆる、そこから『防衛ジャーナリスト』
  というところにいくにはまだ、
  遠い感じがするんですが、
  では、ずばり、今の職業はなんですか?


桜林:これも話すと、
   ちょっと信じられないような話なんですけど……。
   私はもともと自分で書いてしゃべりたいと
   思っていたんです。
   だから、やっぱりお天気お姉さんを
   ずっとやってるのは違うと思って、
   事務所にも、辞めると伝えて、
   ディレクターの仕事をすることになったんです。
   ADから始めて、
   ディレクターになって
   バリバリやってたんですけど、
   何日も徹夜が続いたりして、
   体を壊して休んでる時があって、
   その時に、
   「じゃあ、台本だけでも書いてくれない?」
   と言われて、
   書くことだけに専念するようになったんですね。
   そこから、だんだん自分で書きたいものを書いて
   朗読したりとか、それを本にしてみたりとか、
   だから自分の肩書きをライターにしたんですよ。
   ……もともと私は、おじいちゃん・おばあちゃん子で、
   戦記とか戦史ものが好きだったので、
   そういうものを書いていたら、
   保守系の「正論」という雑誌から「書いて」
   という依頼がきまして、
   その時に、肩書をね、
   「ジャーナリストにしちゃいました」
   っていう電話がかかってきたんです。
   「ライターに直してもらえますか?」と伝えたら、
   先方から「目次に間違えてジャーナリストにしちゃって、
   直せないんですよ」って言われて、
   で「相談なんですけど、
   今日からジャーナリストになってもらえませんか?」って。

―― 一同笑


桜林:「ジャーナリストって、
   紛争地帯とか行かなきゃダメそうじゃないですか」
   なんて言ったら、
   「いやいや、でもライターっていうと、
   歌舞伎町とかにいそうじゃないですか~」って返されて。

―― 歌舞伎町だって危険じゃないかと(笑)

桜林:そんないきさつで、
   私はジャーナリストになったんです。
   結局、そのあと、
   安全保障とか防衛のことを書く流れになって、
   そういうことばかり書いていたら、
   やっぱりある人が
   「ジャーナリストだと何やってるかわからないから、
   防衛ジャーナリストでいいですか?」
   みたいな感じで……、
   「まぁいいですよ」と。
   だから、すごい人任せで肩書が決まってしまったんです。

――肩書みたいなものが、
  人から決められたっていうのは結果論ですけど、
  真実のような気がしますよね。

桜林:確かにそうかもしれない。
   自分で名乗ろうと思えば、なんでも名乗れますもんね。

――人からそう見られて初めて
  職業になるということはありますよね。

桜林;たしかに。


――だから、人から導かれたというのは、
  真実に近い肩書っていう感じがします。

桜林:でも、なんかねこそばゆいっていうか……。
   だってジャーナリストってなんなのかな?
   っていつも思うんですよね、
   おこがましいなみたいな……。

――いわゆる『防衛ジャーナリスト』という
  肩書の方ってほかにいるんですか?

桜林:いないんじゃないかな。
   軍事ジャーナリストとか、みんないろいろつけていて、
   でも、防衛っていないですよね。
   軍事っていうとちょっと違うなと思うんです。
   でも、「防衛ジャーナリストでいいですか?」
   みたいな感じで言われたから、「いいですよ」って感じ。

――桜林さんの他にはない肩書ということで、
  それがどんなものか教えていただけますか?

桜林:それが、どんなものっていうことが、ないんですよね。
   たぶん、これから作るという言い方をすれば
   非常に美しいのかな、と。

――なるほど

桜林:逆にいうと、なにも考えていなかった
   ということもあるんですけど(笑)


(第二回に続きます)



プロフィール:桜林美佐

職業:防衛ジャーナリスト(日本の防衛政策を取材・執筆)
出身地:東京都
生年月日:昭和45年4月26日
最終学歴:日本大学芸術学部 放送学科
趣味・特技:乗馬 ( 学生時代に障害飛越競技出場 ) 創作朗読
防衛省「防衛生産・技術基盤研究会」委員
内閣府「災害時多目的船に関する検討会」委員
防衛省「防衛問題を語る懇談会」メンバー等を歴任

大学卒業後、テレビ番組ディレクターとして『はなまるマーケット(TBS)』など、多数の番組制作に参加。また、構成を務めた平成18年5月放送『ニッポン放送報道特番「夢叶う日まで ~ 割りばし事故は問いかける」』が、平成18年日本民間放送連盟賞”NAB Awards 2006”ラジオ報道番組部門 「優秀賞」>>第44回ギャラクシー賞(平成18年度放送批評懇談会主催)『ラジオ部門優秀賞』を受賞。>>平成18年には自身初のノンフィクション『奇跡の船「宗谷」』を並木書房より出版。

平成20年5月からニッポン放送 『上柳昌彦のお早うGood Day!』「ザ・特集」のリポーターを務める。平成20年6月からは「撃論ムック」に連載する傍ら、産経新聞社「月刊 正論」などにも寄稿。平成20年にノンフィクション第2作『海をひらく - 知られざる掃海部隊 -』を並木書房より出版。平成21年8月7日『終わらないラブレター - 祖父母たちが語る「もうひとつの戦争体験」をPHP研究所より出版。構成を務めた『ニッポン放送報道スペシャル 時効という名の壁~未解決事件遺族の願い~』が平成21年日本民間放送連盟賞 ラジオ報道部門「優秀賞」を受賞。平成22年4月~8月まで、『フジサンケイビジネスアイ』にて「防衛産業のいま」を連載。平成22年8月7日『誰も語らなかった防衛産業』を並木書房より出版。平成23年3月~秋まで夕刊フジ『誰かのために~東日本大震災と自衛隊』を連載。平成23年に『日本に自衛隊がいてよかった』を産経新聞出版より出版。平成24年3月1日『ありがとう、金剛丸 ~星になった小さな自衛隊員~ 』をワニブックスより出版。平成24年4月~、夕刊フジ『ニッポンの防衛産業』を連載開始(毎週月曜日掲載)。平成25年には『武器輸出だけでは防衛産業は守れない』を並木書房より出版。





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