芳賀薫



芳賀薫さんへのインタビュー、第二回です。
一人のクリエーターでありながら、
未来ある後輩たちにも目を配ります。
芳賀さんの視線は、
ディレクターのあるべきカタチに向かっているのかもしれません。

それでは、今回も、滋味溢れるお話をうかがいましょう。

(文/構成 いながききよたか)

Profile:芳賀薫(41歳)
東京都国分寺市出身
1997年 武蔵野美術大学映像学科卒
CM製作会社ピラミッドフィルム企画演出部を経て、
2004年よりTHE DIRECTORS GUILD に
創設メンバーとして加わり現在に至る。

作品
・キリン澄みきりCMシリーズ
・野菜生活CMシリーズ
・脱臭炭CMシリーズ
・ミニドラマ「階段のうた」season1(TBS) など他多数



第二回

~バウハウスのイメージに近いんだよね~

―― じゃあ、監督になって何年くらいですか?

芳賀:27歳からだから、14年かな。

―― 助手の期間ってあるんですか?

芳賀:助手の期間はあったよ。
   富永先生(※富永舞さん)にもついてたよ。
   でも、制作部としてついていることが多かった、
   CMに助監ていう仕組みがあんまりないから制作部のなかで
   監督対応みたいな人として1年ちょっと。
   次は企画する側として、
   代理店に出向していた時期が1年くらいあって。

―― へぇ、そうなんですか。監督になる前ですか?

芳賀:そう。でも、並行してディレクションも、
   しはじめっちゃったんだけど。

―― へぇ、制作部としては?

芳賀:すごいダメだった。
   なんでも失くしちゃうし、忘れちゃうし(笑)

(一同笑)

―― ディレクターの方って、
   みなさん、大学を出て、
   一応、制作部を1、2年やられて、
   会社の企画部で監督をやるっていう人が
   割と典型的な道のりじゃないですか?
   みなさん、
   「いやぁ俺は制作部時代、ダメだった……」
   って言いますよね。

芳賀:ダメだったね、どうしてかわからないけど。
   でもそうじゃない人もいると思うよ。
   プロデューサーまでなっていて、
   転向してディレクターになった人もいるし。

―― そうなんだ。

芳賀:でも、俺は、とにかく駄目だった。


―― ディレクターを進んでいく中で、
   コンセプチュアルなことも
   クリエイティブディレクターの人と一緒に
   考えたりするから、プロデュースっぽい考えも
   結構あるじゃないですか。
   単純に予算をきるとかそういうことじゃなくて、
   この商品を売るために、こういう宣伝で進めて、
   映像を作るっていうことで言うと、
   その前段はプロデュース能力っぽい
   ことな気がするんですよね。映画で言えば。
   みなさんディレクターとして一流になった方は、
   やっぱりプロデュース能力が高いような気がするんですけど
   そのかわり実務がダメなんですよね?

芳賀:そう。こういう風にしたほうが良いとか、
   こっちに行くべきだみたいなことは、
   プロデュース的なことも考えることができると思う。
   いかに企画を通していくかとか、
   それは出来るんだと思うんだけどね。
―― プレゼンもきっと上手だろうし。

芳賀:だけど、どういうスタンバイが必要かとか、
   どの程度の時間を必要としているか
   とかっていうことが苦手なんだよね。
   次に行きたいんだよね。
   どんどんアイディアを、
   上に上につなげていくことはきっと得意なんだけど
   じゃあ、このアイディアに対しては実際はどうなんだ
   みたいな検証するようなことは、
   まぁ俺に関してはおろそかだね。

―― でも、いまは『ディレクターズ・ギルド』の
   社長なんでしたっけ?

芳賀:もうね社長ではないよ。
   社長は1年で回してる、今のところ。
   『ギルド』の社長って、マンションとかのさ、
   理事長みたいなもんだとそういう風に俺は解釈してる
   利益集団じゃないからね。
   普通の企業では、社長が大きな決断をするでしょ。
   ビジネスとしてこれをやるんだとか。
   ギルドに関しては、そういう権限は誰にもないから。

―― そうですよね。全員ディレクターですもんね。

芳賀:そう。

―― じゃあ、そもそも『ギルド』ってなんですか?
   ということを聞いてもいいですか?

芳賀:ギルドってなんですかね~。
   さっきの話にも出たんだけど、
   CMの場合ディレクターって、
   CMプロダクションにまずは入って、
   そこの演出部に所属して、
   その会社の中でディレクターになっていく
   っていう道しか基本的にはなかったんだよね。

―― はい

芳賀:そうなると、当然会社員だから数年たつと、
   会社の事情に半分はもっていかれるでしょ。
   「この仕事はうちの会社にとって
   すごく大事だからやってくれよ」とかなる。
   で、やっちゃうとそれで年の半分は
   それにかかりっきりなっちゃったり、
   「こういうのやる人なんですね」みたいに
   個人のブランドイメージも会社の色に染まってきちゃう。
   10年前の当時、そういう状況に不安を覚えてた。
   で、同世代のディレクターで集まって話したら、
   けっこうみんな同じように感じてて、
   だったら自分たちで新しい集団作ろう
   ってことになったの。各々のブランドを守って、
   仕事を続けられる集団を。
   で、その流れで、自分たちが抱えた
   そんなジレンマみたいのと
   無縁なディレクター養成機関として、
   ファームっていうのを作ったんだよね。
   会社員として要求されるような社会性が足りなくても
   映像の作り手として優れてると思う人間を
   ディレクターとして世に出していける場所として……。
   ファームを作ったってことこそ、
   ギルドってなんなのかを表してると思うな。

―― 『ギルド』というのは、一応、会社なんですよね。

芳賀:えっと、会社化したのは2年前で、
   それまでは場所代とマネージャーのフィーを
   みんなから集めてやっているだけだった。
   それでやれなくはなかったんだけど、
   この集団を持続可能にするために、
   結局、合同会社として責任はみんなに分担した会社になった 

―― 仕事の仕方としては会社の意志というよりは、
   もう個人個人のディレクターたちの意志が
   尊重されるっていう感じですか。

芳賀:そう。ギルドだから、個人のディレクターの集まりだからね

―― みなさん元々どこかの、
   プロダクションなり会社なりに
   所属されてたということですよね。

芳賀:初期メンバーはそう。
   でもその後は……地方で制作やっていたのとか、
   CGやってた若者とかも入ってきてるし、
   ファームで育ってもいるしね。

―― いきなり学生からファームに入ってくる子もいるんですか?

芳賀:いるいる。

―― それはすごい。いいですよね。

芳賀:いま結構売れている朝日(※朝日恵理)は、
   受けに来た時、女子大生だったし。

―― へぇ、すごいですね。
   最初、その女子大生が入ってきたら、給料あげるんですか?

芳賀:あげないわけ。それを聞くわけ、最初に。

―― なるほど

芳賀:「君は、名古屋から出てくるけど、こっちに来ても、
   俺たち給料あげないよ、それでも、やっていけるの?
   バイトも探さないといけないかもしれないよ」と。
   で、最初、ちょっとバイトもやってたのかな。
   今も、徳平ってやつが下にいるけども……、
   清掃のバイトしたりとかしながらやってるね……、
   まぁそうは言ってもね、
   1年もしないうちにメイキングとかちょっとした企画とか、
   絵がうまいと、絵が下手な監督のリライトで呼ばれたりとか
   そういうので暮らしていけるくらいの
   仕事は得るようになったりするし、
   それでつながりができると、
   そこからちょっとしたプレゼン用のビデオを
   つないでほしいとか来るから、
   今のところ半年もしないで、
   映像だけでやっていけるようになってると思う。


―― 日本のCM業界で、『ギルド』の前には、
   こういう形態のものはなかったんですか?

芳賀:ないね。
   マネージメント事務所みたいなのはあったけど、
   っていうか、今もいっぱいあるけど、
   そこで新人を取って、
   定期的に育てるっていうようなことはないんだよね。
   実際、近視眼的にはなんの利益もないじゃない。
   自分のライバルを生み出していくわけだし、
   自分の持ってた仕事も譲らなきゃだし、
   それはやっぱりある種の長期的な視点が
   ないとやれないんじゃないかな。

―― その長期的な視点でやっていくという目的は
   業界の底上げみたいなこととつながるんですか?

芳賀:そうだね。
   あと、自分たちには、叶えられなかったことを
   若い世代にはやってほしいって思ってるところが
   あるのかもしれないね。
   たとえば、俺も、最初は映画がやりたいなとか
   いろいろ考えてたんだけど、
   若い時ってよくわからないじゃない。
   進路を決めるにあたって、比較として、
   映画、テレビ、CM、プロモーションビデオ、
   っていう選択肢があるとして、
   そこにいる先輩に会ってみたりして、
   すっげえ少ない情報の中で自分の未来を選ぶわけじゃない。
   テレビの人はきつそうだなみたいな、
   映画の人は貧しそうだな、とか、
   おれ食っていけるかな~みたいなとか。
   PVの人達、軽いな~とか。そんくらいで。

(一同笑)


芳賀:で、僕は当時CMを選んだ。
   でも、そこに入るともう映画の人ではなく、
   CMの人になってしまう、
   映画の人じゃないってことを望んだわけじゃないし、
   映像すべてに憧れていたんだけど、
   なぜか垣根が生まれちゃうんだよね。
   そういうの嫌でさ、将来的には、ギルドってのは、
   バウハウスみたいになりたくて、
   そうなれば垣根をなくせるって思うんだ。
   バウハウスは学校でありながら、職業訓練所であり、
   そこで自分たちが作るプロダクトを
   売っている工場でもある。
   その過程に身を置くことで技術を習得しつつ
   適正にあったところに若者がいけるみたいな。

―― バウハウスみたいになればいいって、すごい良いですね。

芳賀:あれはすごい理想なんだよね。

―― 僕もそう思いますね。

芳賀:要するに、すごく平等な仕組みだと思うんだよね。
   さっき言ったように、若いころって、
   よくわからないと思うんだ。
   それって、個人の問題なだけじゃなくて、
   みんながよくわかんないまま進路を
   決めてしまうっていうことで、
   世界が才能を損失してると思うんだよね。
   それよりは、いろいろやりながら、
   おまえやっぱ編集うまいなって言って編集のほうに行くとか
   おまえは一人でコツコツCG作るのうまいな~、
   つってCGに進むとか、
   やっぱりお前、映画の本書いたほうが良いよ、とか、
   若いうちは自由で、行ったり来たりしながら、
   だんだん自分のポジションが決まるっていうイメージ。
   で、映像の世界としては大きな一つの船になっている
   みたいなほうが、合理的だって思うわけ。
   たとえば、ミュージッククリップで、
   僕が疑問に思うのは、
   売れているミュージシャンのビデオクリップも、
   みんなすごく安くやってるんだよ。
   若者たちは、オファーされれば、
   そりゃ喜んでやっちゃうじゃない。
   安くやることはいいし、
   それがただの登竜門だったらいいんだけど、
   結局そのせいで、業界が育ってないと思うんだよね。
   そこにいて、本当は才能ある人たちが、
   ある一定の時期で消えていくしかないっていう……。
   もしくは日々の糧のためにどうでもいいものを
   量産するだけの人になっちゃう……。

―― 確かにね

芳賀:仮に映像業界がさっき言ったような大きな船だったら、
   ミュージッククリップだろうが、
   CMだろうが映画だろうが、
   作り手のスタンスはいっしょにできて、
   どれもちゃんと仕事になるんじゃないかなっていう気は
   するんだよね。

―― たしかに、僕も脚本を書いていて、
   かつては徒弟制度みたいなのがちゃんと
   しっかり成立していたとは思うんですけど、
   それはもうはるか昔に崩壊していて、
   今は、すごい散逸的な、
   僕みたいな野武士みたいな脚本家が結構いますし、
   もう一度、職能集団みたいなのが出来るといいなと思います
   職人集団っていいますか。
   たとえば、ここに頼むと、いいお家が建つよみたいな。


芳賀:そうそうそうそう

―― そういうのってすごい理想ですよね。

芳賀:うん。

―― しかも、やっている人はあまりいない。

芳賀:いないんだよね。
   だから、そこまでつなげられたらきっと面白いよね。

―― 確かにそうですね。
   それを20代後半くらいのところで
   やり始めたっていうのもすごいですよね。

芳賀:本当は、大学の時から思ってたんだよね。
   学生の時、「なぜ自分はこの道が選べないかが、
   わからない」みたいなときってあるでしょ、
   そういうモラトリアムなときって、
   問題は自分にあるんじゃないかって思うじゃない?
   例えば俺の場合は、今でも時々そこにぶつかるんだけど、
   映像が好きなんじゃなくて、
   映像が得意だからやってるのかなとか……、
   絵にかんしても、美大に入るとき、
   絵がすごい好きだったんじゃなくて、
   絵がうまかったていうか得意だから
   目指したみたいなとこがあって……。
   それっていけないことなのか?
   みたいな気分があるわけよ。
   身近には、それはそれは映像が好きだったり、
   絵が大好きみたいな仲間がいるじゃない?
   それがすごく美しく見えるわけさ。
   でも結局、就職っていう段になると考えちゃうんだよ、
   俺は絵を描いて生きてくとか、
   ぴあフィルムフェスティバルだけでやっていく、
   とかっていうのは、成り立たないんじゃないかなって、
   思っちゃう。俺自身はそんなに、
   家が裕福とかってことではないし、
   自分でちゃんとある程度稼がなきゃなって考えると、
   自分の将来像が見えなくてさ、
   そんときに、そのピュアさと、
   仕事にして食ってかなきゃなということとを、
   天秤にかけちゃってる自分を責めるよね。

―― はい

芳賀:自分はもしかしたら、
   単に得意なことで金を稼ごうとしてるだけじゃないか、
   みたいな不安を抱いちゃうんだよね。
   大学時代純粋にアートやりたいとか言ってたくせに、
   就職ってことになると、
   自分は、その風上にもおけないやつなんじゃないか、
   みたいになる……で、ぐるぐる迷ってて、待てよ?
   って思ったわけ。
   そんなふうに俺が混乱しながら進路を
   バクチみたいに決めなきゃなんないのは、
   むしろ社会がおかしいんじゃないか、ってね。
   どういうことかって言うと、
   例えば、世の中の電子レンジはどれもこれもダサイ。
   うちの大学にこんだけピュアで素敵なデザイナーたちが
   わんさかいるのに、
   そいつらが電子レンジをデザインする場所にいないから、
   世の電子レンジは全部ダサイ、携帯もダサイ。
   クルマもダサイ。8割のものがダサイんだと。
   つまり、彼らが才能を発揮できる仕組みがないんじゃないか
   と思ったわけよ。映像においても然りだと思ったね。

―― 良い話ですね。

芳賀:そういう目線で考えた時に、
   俺自身は、きちんとお給料なり身銭を稼ぎつつ、
   良いものを作れるって道として、
   あの時は、CMという世界に見たんだよね。15年前ね。
   だけどさ、すごく純粋でいたっていいよね、
   大学終わったらすぐ就職決めなきゃなって焦るんじゃなくて
   いろんな訓練だったりトライアルをしながら、
   出来ないやつは、きっと淘汰されていかざるをえないと
   思うんだけど、やれる人間はいろんなことを
   試せる社会が出来たらいいなと思ってる。

―― ただそういうなかでも、
   好きっていうことと自分が得意っていうことが
   分かりさえすれば、
   落ちてもセーフティネットになるっていうか。
   例えば、絵を描きたいけど、
   もしかしたら人の介護が
   得意っていう人もいるじゃないですか

芳賀:うん……、介護か……だいぶ遠いね!(笑)

―― いやいや例えばですよ、例えば。
   だから、そっちいけるわけじゃないですか。
   そういうトライアルみたいなことをする中で見えていけば。

芳賀:どこまで広げるかは、またすごく難しいんだけど、

―― やる本人がわかりさえすれば、行く道がわかるっていうか。
   もちろん、僕らも仕事だから、
   悠長なことを言ってられないけど、
   その中でそういう場を作れているって
   素敵だなって思いますね

芳賀:ギルドでそれがやれているのかは、
   まだわからないんだけどね。
   やろうとしていること自体には意味があるとは思ってて。

―― 『ファーム』という場所から、
   どんどん巣立って行くわけですもんね。

芳賀:でも今、『ファーム』が苦しんでいるのは、
   一向に俺たちがCMディレクターから出ないからなんだよね
   結局、彼らもCMディレクターの卵として
   期待されちゃうっていう……。
   ここの若者たちは、僕らとは違ってCMだけでなく、
   映像全般の若きユースに見えるようにしたいんだけど、
   それには、僕たち世代がもうちょっと、
   冒険していかないといけないんだよね。

―― 彼らのために、どういう冒険をしていこう
   みたいなのはあるんですか?

芳賀:まぁ、彼らのためにって思っちゃダメだけどね。
   前にも言ったけど、
   CMっていうのは来たものを返すっていうか、
   ある種の反射神経の仕事が多いと思うんだけど、
   じっくり考えてこれは自分のものだ、
   自分で考えたことを世に発表しているんだ
   っていう作業をやらなきゃね……。
   それは、自分ひとりでやるんじゃなくても
   いいかもしれないよ。チームとして、映画で言えば、
   本を書くいながきくんと俺っていうユニットだったら
   こういうこと伝えようって、
   いっしょに考えるっていうような。
   伝えることは決まっているCMのような仕事ではなくて
   伝えること自体が自分たちサイドにあることをやらないと
   映像を作れる集団に見えてこないっていうか。
   急に映画が作れるのか、ショートフィルムからなのか、
   いろんな形があるにしても、
   CM専門集団じゃダメだって思うんだ。

―― さっきの話の中で、
   なんとなく答えが見えた気がしたのは、
   集団や場を作り上げていくと、
   映像って商品になりますよって
   芳賀さんがおっしゃったのは、
   その通りだと思ったんです。
   CMって映像の一つのジャンルであって、
   PVだろうが、テレビドラマだろううが、
   映画だろうが、一つの映像っていうことで括って、
   それを商品に出来るっていうのって、
   すごい夢があるなって思っちゃたんですよね。
   それって一番初めの名刺の話じゃないですけど、
   映像全般のディレクター、
   生業は今CMですってことをすごく表していると思って、
   今は、CMの仕事で飯食ってるけどっていう、
   そういうイメージが先にあるんだろうなって……。

芳賀:そう。全般をやるってどういうことかって言うと、
   すごく近いのはアップルなんだよね。
   アップルは、携帯電話を作っているわけでも、
   パソコンを作ってるわけでもないんだよね。
   どこでも音楽を聴けるとか、
   音楽ジャケットが手に入るとか、
   要するに、音楽を楽しむとか、通信を楽しむっていう、
   「楽しむ」をやっていて、
   でも日本の多くの電機メーカーは
   パソコンならパソコンを作ってるし、
   携帯電話なら携帯電話を作ってるっていうね、
   だからダサくていいってなっちゃう。
   同じ構図が映像の世界もあるんじゃないかなと、思ってて。

―― たしかに


芳賀:映像を楽しむっていうか、
   映像って要するにビジュアルだよね。
   動くビジュアルの中で、
   そこにはいろんな要素があるじゃない。
   ストーリーがあるとか、3Dのびっくりであるとか、
   音と映像とか、デザインとか、きれいとかエロとか、
   いろいろあると思うんだけど、
   そこで「楽しい」を創造することが
   大切じゃないかって気がするんだけどね。

―― そうですね。
   プロダクトデザインみたいなほうに、
   興味がいったりはしなかったんですか?

芳賀:美大に入る前は、
   すごくプロダクトがやりたかったんだよね、本当は。
   クルマとかね。でも、デザインもやりたいんだけど、
   アートも興味あったわけ。
   アートは絵だったり彫刻だったり、
   実用性とは全く関係ないじゃない。
   プロダクトって完全に実用の中にあるじゃない。
   例えば、車だったら、
   車輪が4つあるとか絶対決まっていて、
   ハンドルがあるとか決まりがあるじゃない。
   でどっちもやりたくて、
   その、実用性とか決まりが一番なさそうなところが
   コミュニケーションのデザインだったり映像だったんだよね
   でも、ぶっちゃけると、
   後付で理論づけしているだけで、
   本当は得意不得意だったのかもしれない。
   大学でプロダクトをやるっていうのは、
   めっちゃ時間がかかるのよ。
   粘土の授業があったりトンテンカンテン作ったり。
   俺は、サッカーしたいし、遊びにも行きたいし、
   大体やっといて!みたいになるわけさ。

(一同笑い)

芳賀:コミュニケーションのデザインって、
   どっちかっていうと企画力じゃない。
   閃きだったり、考ることで、あとは、
   バシャってやってピッと書けばすぐ!
   みたいなとこあると思って。
   で、まずそっちを目指して、
   更にそういう才能だけでやれちゃうのが、
   映像のディレクターだったんだと思う。

―― クリエイティブディレクターっていうものが、
   正にそういうことじゃないですか?
   クリエイティブディレクターに最初からなりたいって
   いうことではなく、ディレクターだった?

芳賀:まずは、知らなかったね。

―― あぁ、単純に。

芳賀:うん、俺の中でも……、
   いまのいながき君の理解と同じように、
   広告における代理店さんってのは、
   クライアントさんになんか言われて聞いてくる、
   くらいのことだった。
   CMに関しては、CMディレクターっていう人が
   作ってるんだろうな、みたいな……。

―― まぁ、門外漢からすると、そうですよね

芳賀:若者にとっては、漠然としたもので、わかんないじゃん。
   クリエイティブディレクターさんが何やってるとか。

―― 僕は最近知った言葉ですからね(笑)

芳賀:そうなのよ。
   クリエイティブディレクターって
   まぁすごくいろんな仕事の種類があって、
   ビジネス的な人から、クリエイティブよりな、
   最終的にアウトプットに近いところまでやる人と、
   千差万別だから。

―― このインタビューをやり始めたのは、
   まさに先ほどおっしゃってたことを聞くってことが動機で、
   本当に若い頃ってわからないじゃないですか。
   自分が何になりたいとか、なるべきだなのとか、
   何が得意なのかってわかんないから……

芳賀:(関に)馬に乗ってたもんね

関:僕、馬に乗ってました。馬の先生になりたかったです。

芳賀:関くんは、得意だったわけでしょ。馬に乗るのが。

関:乗るのは、上手かったんでしょうね(笑)

芳賀:でしょ。でも、ぱっとその映画とかいながきくんが
   書いたものとかに出会って、
   こっちが好きかもってなったってことでしょ。きっと

関:そうです。僕、この業界に入って1年半くらいの時に、
  いながきに「あっおれ、これ天職だわ!」って
  言ったみたいです。

―― ふふ、言ってた。(笑)

関:なんでかっていうと、
  それこそ監督さんがいて脚本家がいて、
  いろんな人たちを集めて、
  その場所を提供するとおもろいことをやってくれる!
  っていうのを見れる。
  っていうのが、「うわ超楽しい」って思って、
  馬乗りよりも、こっちのほうが天職だと思いました。

芳賀:その比較もまたおもしろいね。
   なんか関君にインタビューしたほうがいいぐらい面白いよね

関:いえいえ

芳賀:だってさ、180度違うじゃん。
   しゃべんない相手じゃん。
   馬ってぶるるんっとかくらいしか言わないわけでしょ。

関:でも、僕映画の現場初めて行ったときに
  馬と変わんねぇなって思いましたよ。

芳賀:馬の経験が生きた?

関:そう。おとなしいやつもいれば、
  めちゃくちゃ怖い人もいて、
  こんなに性格の違うやつが集まるんだなっていうのが、
  わりと馬を調教していたのが生かされている気はしました。
  (笑)

芳賀:なるほどね。

―― そうなんですよね。
   若い時に、選択肢いっぱい知っていたほうが、
   トクじゃんって、普通に思っちゃうっていうか。
   だから、こういう場所から、いろんなケースを発信して、
   それも選択肢の一つになればいいなとか思うんですけど。
   正にそういうことを聞けたので、良かったですね。


(第三回に続きます)



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