シナリオライターがどういう生活をしているか、僕はあまり知らないが、僕に限っては結構でたらめな生活をしていたりする。
結婚して子供を持ったいまでこそ朝起きて夜寝る生活を送っているが、かつては夕方に起きて、ワイドショーを見てから寝るという生活になっていた時さえある。
朝起きて夜寝ると言ったって、別に定時があるわけでもないので、きちんとした仕事をなさっている人には少し後ろめたさを感じたりする。

が、僕にも、たった一年だけだけど、とても規則正しい生活を送った時期がある。
僕は22歳の時、タイル工場で働いていた。
それは僕の祖父が興した工場だった。つまり家業である。ちなみに今はない。もう十年も前に、二代目である僕の父がいろいろな事情でたたんだ。僕が働いて、その数年後には、その会社はなくなる運命だったのか、なんて再確認すると寂しくなってしまうが、ともあれ、僕は実家が営むタイル工場で働きだした。

世の中で、家族が経営する会社にほいほい入ってしまう息子というと、だいたいドラ息子を想像してしまうが、僕も例外ではなく、甘ったれた世間知らずのガキが仕方なく親を頼って会社に入れてもらった口だった。
しかし、僕は甘ちゃんのドラ息子だったが、仕事の方はまったく甘くなかった。

タイル工場での仕事はかなり重労働なのだ。
ドラ息子をいずれ跡取りにと父は考えていたようで、というより一刻も早く息子に押し付け引退したいと考えていたようで、彼は僕にタイルの製造工程をすべて経験させるため、各々の部署に一か月ずつ配属させた。

始めは『製土』、タイルの原料となる土を調合する部署だ。
調合と言ってもビーカーとかでチマチマやるようなもんじゃなくて、超巨大ミキサーに一トンバッグに入った土を何種類かフォークリフトで投入し、グルグルかき混ぜ、それをまたトンバッグに戻し、リフトで次なる工程へ持って行くという仕事である。タイルを作るためのよい土というのは、水分含有率がカギで、ミキサーに適宜水をぶち込みながら調合するのだが、一か月くらいすると、土を触っただけでだいたいの含有率がおぼろげながらわかってくる。

次は『成型』。
『製土』で作られた原料の土を、超巨大プレス機でタイルの形に成型する部署である。
『製土』の仕事場はだだっ広く風通りもよい場所だったが『成型』の工程以降は息の詰まるような風通しの悪い工場の中、原料の土が始終空気中に舞っているため、肺を守るためお上から防塵マスクの着用が義務付けられているわけだが、タバコを吸うのにも邪魔だし、なんだかマスクをした方が息苦しくて、生え抜きの作業員同様、僕もマスクなしで作業していた。
プレスの面倒を見ながら、生のタイルをベルトコンベアで窯の方へ流すのが主な仕事だが、マスクなしで仕事を続けていると一週間ほどで体に異変が現れる。朝、起きると肺から大量の白い痰が排出されるのだ。
しかし、いざ工場での肉体労働に慣れてくると、不思議なもので、もう気分はどぎつくなっていて、白い痰もなんのその、逆にタバコの量が増えるくらいであった。

次は『焼成』、いよいよ『成型』で作った生のタイルを、千三百度の窯で焼くのである。
この部署はほとんどやることがない。窯はコンピューター制御、異変が起きない限り、一日中ぼーっとしているだけだ。
が、ひとたび異変が起きると大変である。なんと言っても窯の中は千三百度、鉱物が物質変化を起こす温度だ。仮に窯の中でタイルを並べた台車が倒れてしまったりすると、ガスを止め、窯の内部の温度を下げ、修復しなければならない。経済的な大損害を被るばかりか、アッツアツの窯の中へ飛び込まなければならないので、結構命がけだったりする。

最後は『検品』と『箱詰め』だ。
なにげに『検品』は熟練の勘が要求されるので、僕は結局マスターできなかった。何しろ高速で流れるベルトコンベアの上の、無数のタイルを一つ一つ検めなければならない。先っぽに鉄の球体を溶接した眺めの指示棒のような自作の道具で一枚ずつタイルを叩いていく。タイルが立てる甲高い音で適合・不適合を聞き分けるのだ。その道三十年のおばちゃんのその手つきたるや神業である。到底僕などでは太刀打ちできない。代わりに僕は検品に合格したタイルをカートンに詰めていく。簡単な作業だが逆に恐ろしく単調すぎて頭がおかしくなってくる。一日八時間、タイルを持つ、箱につめる、タイルを持つ、箱につめるを繰り返す。頭がボヤーっとしてくるのに加えて、変幻自在のはずの手がただタイルを持つためだけのロボットのような手になり代わる、翌日目が醒めると手がコの字のまま固まり曲げ伸ばししようとすると激痛が走るようになっていた。
他にもフォークリフトを駆使し、タイルの箱が詰まれたパレットをトラックに乗せ、山道をグネグネ運転しながら得意先に出荷したり、輪番で回ってくる徹夜の窯番をしたりと、まあとにかく肉体労働の極致だった。

だがしかし、もう二度とあんな仕事はしたくないかというと、そうでもない。
むしろ、肉体的にも精神的にもキツいあの仕事を時々懐かしく思ったりする。
特にアイデアが出ずくさくさする時や、締切間近ずーっと机に張り付いてパタパタキーボードを打つのに倦んだ時、ふとあの肉体労働を思い出す。そうするとなぜだか再びやる気が起こる。なぜだろう、よくわからないが、いずれにしろ肉体労働をしておいてよかったなとは思う。

僕は若いころブラブラしている時間が長かったので、けっこうあまた仕事はしてきたが、中でも実家の仕事が一番キツく、同時に一番思い出に残っている。

(いながき きよたか)


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