僕の通っていた中学校は、カトリック校だった。実はカトリック校は珍しい。ミッションスクールのほとんどはプロテスタント系である。
しかし、まあ、キリスト教になじみがない僕たちにとって、カトリックとプロテスタントの違いなどいまいちピンとこないし、とりあえず同じキリスト教校ということでいいのではないだろうか。

授業には「宗教」という時間があった。もちろんキリスト教について学ぶ時間である。
僕はこの「宗教」という授業が嫌いだった。宗教がいくつも戦争を起こしたではないか、とまあ青臭い義憤を感じていたのかもしれない。僕があからさまに敵愾心をむき出しにするので教師である神父さんも少し困っていたような気がする。
それでも授業は授業、テストもあることだし、単位を落としてはつまらない。一応、座学にいそしむわけである。
日本の鼻たれ小僧たちにキリスト教を紹介するのは骨が折れたことだろう。いきなり聖書など読んだら、アレルギー反応でアナフィラキシーを起こしかねない。なので神父さんはまずテキストとして遠藤周作の「私のイエス」という本を生徒たちに読ませた。
実はこの本は名著で、極東の無心論者たちがキリスト教に触れる第一歩として優れた本である。
が、当時はこれでもアレルギー反応が起きたものだ。

もう手元に本がないので記憶を頼りに思いだしてみるのだが、こんなくだりがあった気がする。
神の子イエスは何度も奇跡を起こした。それは非科学的なただのおとぎ話だろうか、そんなものを信じこんでいるキリスト教徒は本当にばかばかしい存在だろうか。
例えば、迫害、差別、無用のレッテルを押され顧みられることのないライ病患者にイエスは近寄り、手を当て、その病を治す、そんな奇跡を起こしたと聖書にはある。これにはどんな意味があるのか。教祖を超人たらしめるためのでっち上げではないのだとしたら、一体なんなのか。
遠藤周作はこう解説するのだ。
小さいころ、風邪を引いて寝込んだ。苦しかった。熱に浮かされとても寝れたものではない。そこへ母がやってきて頭をさすってくれた。母にそうされると、遠藤周作少年は知らないうちに眠っていたという。
そして、これが聖書に書かれている奇跡の本性なのではないかと遠藤周作は言う。

へーん、詭弁だね。あらかじめ擁護したいがための都合のいい解釈だね、中学生のイナガキ少年、まだキリスト教を認めようとはしない様子。
でも、イナガキ少年はすぐこの後、奇跡を認めざるをえない事態を迎えることになった。

近親者は知っているが、実は僕は「障害者」である。
両膝に遺伝性疾患を抱えている。
その程度を伝えるのは難しい。
笑ってすまそうと思えば済ませられるが、少し深刻さもある程度。
悪くなりはしないが良くもなりはしない程度。
杖をつくほどではないが、確実に、膝の機能が健常者のそれの5割程度しかない程度。
そんなところだ。
そして、その疾患が露見したのは、ちょうど僕が「宗教」の授業に反感を覚えていた中学一年生の頃だった。

実は、遺伝性というところがミソである。母親も同じ症状を抱えていたのだ。祖母も同じ症状を抱えていた。それより上の世代は未確認だが、まあ、この遺伝については、おそらく平安時代、いや、縄文時代、いや、もっと前までさかのぼることができるだろう。そう考えるとロマンを感じる、いやいやロマンなんて感じてる場合かと、我に返る。

手術をしなければ、歩けなくなると判明したのは中学一年生の夏。そして手術したからといって、百パーセントの機能を獲得できるかといえばそうではないとも判明した。ただ障害をせき止めるための手術だ。
母は気丈に、しかし、少し照れ笑いのような、自分の身にこれから何が起こるのか不安を隠せない僕をしきりに鼓舞するような、それでいてちょっとでも針で刺したら泣き出してしまいそうな、ずっとそんな顔をしていた。

ところで、「障害者を生んだ母は反省せねばならない」と言った医者がいるそうである。まあ、トンデモな医者なわけだが、わずかながらこの医者の言うことを信じる悲しい人々もいるようである。僕は、断固として、この「障害者を生んだ母は反省せねばならない」という言葉を、僕の母に対してだけは、この医者に使わせるつもりがない。

さて、いよいよ手術の日である。
ストレッチャーに乗って、精神安定剤の筋肉注射を二本打ち、(これがものすごく痛い)、手術室に入った。室内にはサザンオールスターズが流れていた。僕の視界は天井に向かって90度ほどしかない。これから何が行われるのか、不安に思うことを放棄し、やがて麻酔のための吸気マスクを口に当てると、次の瞬間、夜になっていて僕は病室のベッドに寝ていた。
膝が痛い、というか熱い。「ああ、手術は終わったのだ」とわかった。傍らに母がいた。もうせき止められないらしく泣いていた。
僕はそれどころではなかった。痛みで眠れないのだ。
「宗教」の授業はまったく思いださなかった。でも、僕は母の手をまさぐり、母は僕の手を握った。すると、麻酔ほどの効果はないが、マイルドに痛みが少し、ほんの少しだけ和らいだ気がして、僕はようやく眠りにつけた。

これを僕はキリスト教風に「奇跡」というつもりはない。けれど、確かに不思議な体験だった。
それから、僕は、ここには書ききれないほどの痛みと気落ちと回復への意志を経て、ようやく学校に戻った。相変わらず「宗教」の授業はあり、相変わらず僕は宗教に対して猜疑心を持っていた。ただ、手術前は読みたくもなかった聖書を、少しづつ読んでみようと思い始めた。なにか僕の知らないことがまだあるかもしれないと思ったからだった。

この話は、宗教をわずかばかりでも肯定するものではなく、かといって頭ごなしに否定するものでもない。
母が遺伝性疾患を持った僕に対して忸怩たる思いを抱え、僕が手術を経て、まあなんとか日常生活を送れるようになったその途上にほんの些細な不思議な体験をしたというだけの話である。

さて、先日、事件が起こった。
ある施設で暮らしていた人々が殺人者に殺された。殺されたのは人間であった。殺人者は殺人者だった。
この事件にはいかなる思想も哲学もない、社会学もなければ心理学もない、まして優生学の入る余地もない。事件の後に法があるのみだ。ただ人間が人間を殺したのだ。
しかし、それでも僕は居心地の悪さを感じている。居心地が悪いばかりか、涙が出てきそうだ。殺されたのは、果たして、僕ではなかったか。僕であり、母ではなかったか。
殺人者は、おそらく、そのことに気付いていないだろう。


(いながき きよたか)



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