窯の中


先日、とある美術家の女性とお会いする機会を得ました。
本当は、打合せなくちゃならないことがあったのだけど、
のっけから「ふるさと」話で大盛り上がり。
九州の天草出身という彼女は、
なんと、我がふるさと愛知県瀬戸市に
お越しになった経験があるとのこと。
話の核心は、「焼き物」でありました。
「焼き物」というのは、いわゆる陶磁器のことですね。
すごく魅力的な絵を描かれる彼女。
なんとなく無骨なイメージのある「焼き物」と、
彼女の可憐な作品とは、おおよそ無縁と思いきや、
やはり、よい美術家であるということは、
縦横無尽に興味の尽きることがないのですね、
かなりの通でいらっしゃって、
瀬戸市にも、「焼き物」を見にいらっしゃったのだとか。

小中高と、図工・美術の時間、
ただの一度も作品を完成させられなかった僕ですから、
「アート」や「美術」の才能は全くありません。
が、「焼き物」は好きなのです。
それは、いわゆる「芸術」というルートで、眺めるのではなく、
「手仕事」と言いますか、
まあ、卓越した職人技という観点で、好きと言いますか……。

実は、家業は「窯業」でした。
その昔、まだ地元に住んでいる頃は、
この「焼き物」が嫌いで嫌いで仕方がありませんでした。
で、東京に出てきまして、しばらく経ってから、
「あ、俺、好きかも」と思いなおしたのでした。
あれは「焼き物」嫌いなのではなく、
窯業にたずさわる「父親」が嫌いだったのだと、
思い返したのでした。
(この父親嫌いというのも、
まあ、青年が抱く、エディプスコンプレックスの
一環だったことは言うまでもありませんね、
今では、そんなコンプレックスも克服しつつあります)

「焼き物」の魅力というのはですね……、
いまいち、言葉で説明できないんですね。
なので、ひとまず、世の中の通の流れを
大雑把に俯瞰してみましょう。

まず、言わずと知れた「鑑定団」系。
言い換えれば「骨董」ですね。
焼き物そのものの魅力もさることながら、
その希少価値を愛でる系譜です。

次は、「へうげもの」系。
言い換えれば、「茶器」ですね。
これは、先の「鑑定団」系との共通部分もありますが、
希少価値というよりは、茶道界独特のポピュラリティに従って、
その価値が決まります。
戦国時代には、国一個分に相当する「焼き物」が
存在していたといいますから、
(いい意味で)どうかしてる人達がやらかしている系譜です。

次は、「民藝」系。
ご存じ、柳宗悦率いる白樺派系の理論家たちによって始められた、
芸術運動の「焼き物」部門ですね。
ようは希少価値や権威主義的な価値に背を向け、
「道具は使ってなんぼ」という合言葉を元に、
新たな価値を作りあげた一派です。
ですが、近年は、彼らが発掘した「焼き物」そのものの
値段が骨董的に高騰するという
本末転倒も起こっているようです。

あとは、陶磁器でアートする「現代作家」系や、
ウェッジウッドやマイセン、
最近だとアーツ&サイエンスなどで売ってる
バカ高いアスティエ・ド・ビラットとかの
「西欧お洒落」系……、
いろいろとあるにはありますが、
まあ、いちいち詳しくやらなくてもいいでしょう。
世の中には、いろんな角度から、
「焼き物」を好きになれるルートがあると知れば充分です。

で、そういうお前は何系だと言われれば、
こう答えましょう。
「工場」系。
詳しく言えば、「鑑定団」経由、「民藝」行きの「工場系」です。
まあ、よくわからないわけですが、
少々「工場」系というものをひもといてみましょう。

考えてみれば、小さいころから、
陶器に触れる時間は多かったように思います。
今ではすでに廃業していますが、
すでに申しました通り、家業は窯業でした。
「窯業」というのは、「焼き物」を作るお仕事のことです。
我が家はその中でも、タイルを作っておりました。
その昔、実家には、長大なガス窯ラインが二本ある
大きな工場がありました。
こう言うとなんだか大規模工場制機械工業かと
思われそうですが、その実、小規模な家内制手工業でした。
その証拠に、小学生のころから、
楽しい夏休み返上で、
アルバイトに駆り出されていたくらいなのです。
幼いころから、職人さんに触れる時間が
長かったように思います。
そこで仕事をしている職人さんたちは、
実に、不思議な人々でした。
ある人は、タイルをつまんだだけで、
コンマ何ミリまでわかってしまう人間ノギスでした。
タイルの原料をちょいとつまみ、口に含んだだけで、
水の含有率が何パーセントかぴたりと言い当てる、
人間ろ過機もいました。
こう言う人たちを、僕は無条件に尊敬していたかというと、
そうでもありません。
彼らはいろいろギリギリなのでした。
「こうはなりたくねえな」とも思っていました。
人間ノギスさんは、賭け事大好き、
会社に借金までして、
高校野球から、大相撲、駅伝に至るまで
賭けまくっていましたし、
人間ろ過機さんは口を開けば、
人の文句しか言わないような人間でした。
それに、タイルを作ることに情熱を燃やしていたかというと
そうでもありません。
みんな、「だりぃ」だの「めんどくさい」だの、
不満たらたらで仕事をしていました。
それにも関わらず、良いモノが作れないとなると、
とたんに不安になるような人達でもありました。
誰もが一筋縄ではいかないわけです。
でも、言い換えれば、
とても人間臭い世界だと言えないでしょうか。
人格としては破綻すれすれなのに、
タイルを焼かせれば、無類に良い品物を作る人達です。
尊敬は出来ないにしろ、そこには、ある種の畏怖のような、
畏敬のような感覚が湧きあがってきます。
僕は、この人たちみたいになりたくないと思うと同時に、
この人達をずっと見ていたいと思ったのでした。
そんなギリギリな人間劇場に思いを馳せることも、
「焼き物」を見る時の楽しさなのです。

少し、「焼き物」の魅力というお話とは
逸れるかもしれませんが、
まだ、僕が子供の頃、
中学生くらいの時のことでしょうか、
こんなことがありました。
真夜中、突然、家の電話が鳴りました。
こういうことは、実はよくあることでした。
窯というのは、一度火を入れたら、
ちょっとやそっとのことで、火を落とすことはできません。
そして、火を入れた窯は一時たりとも、目が離せません。
つまり、職人たちは交代で、365日、24時間体制で、
窯の番をしなければなりません。
火が相手ですから、時に不測の事態が起きます。
そしてそれは時間を選んでくれません。
窯になにか異常が起これば、
すぐに経営者である僕の父に連絡が入ります。
それが、たとえ真夜中だろうが、
エッチしてようが、ウンコしてようが、お構いなしです。
ですから、僕の家庭は、すべてに置いて工場が最優先でした。
その日、真夜中に入電した緊急事態というのは、
「窯が倒れた」というものでした。
ガス窯は全長50メートル程、
千三百度に熱せられた長い窯の中をゆっくりと一日半かけ、
生タイルを載せた台車が移動して行くのです。
千三百度という高温ですから、
内部に直接人間が手を下すわけにはいきません。
ですから、すべて機械仕掛けになっています。
ですが、時折、レールの上に乗っている台車が、
なにかの拍子に、窯の途中で倒れてしまうことがありました。
頻繁にあることではありませんが、それでも何年かに一度、
そんな異常事態が起こります。
「窯が倒れる」と、どうなるかというと、
倒れた台車以降の何千というタイルがすべて
おじゃんになるばかりか、復旧するまでの数日、
工場が止まってしまいます。
工場が止まれば、ウン千万円という単位で赤字が出ます。
父親はすぐに作業着に着替えました。
いざ、工場へ向う時、僕も叩き起こされました。
「お前も、来い」
どうやら、人手が足りないそうです。
中学生の子供の手すら借りたいとのことです。
僕は、不謹慎ですが、実はワクワクしながら、
父親について、工場へ向いました。
すでに職人さん達が、窯の出口に集まり、
事態をどう打開するか、検討していました。
窯の命とも言うべき、火はすでに落としてあります。
ですが、一旦千三百度まで上がった窯の内部は、
数時間くらいでは平温に戻りません。
数日かけなければ、冷めてはくれないのです。
ただ、数日、こうして手をこまねいているわけにはいきません。
それぞれに、生活が掛っています。
結局、人海戦術しか、方法はないとう結論に至りました。
人の手で、散乱した生焼けのタイルをかき出し、
窯の途中で脱線している台車を元に戻そうというのです。
しかし、生身の人間が、何百度もあるほら穴のような
窯に飛び込んでも大丈夫なのでしょうか。
わかりません。
でも、やるしかありませんでした。
消防団に知り合いがいるという叔父さんが、
耐熱服を借りてきました。
かわるがわる、耐熱服を来て、顔にはタオルを巻き、
窯へと飛び込みます。
一人、飛び込んで、手に持てるだけのがれきを抱え、
外へ出てくると、次にまた一人、また一人……、
こうして、僕に番が回ってきました。
恐怖というより、
なんだかヒロイックな気持ちに駆られながら、
耐熱服を身にまとい、タオルを濡らして、顔に巻き、
窯へ飛び込もうとすると、ある職人さんに止められました。
「おい、死ぬぞ」
「へ?」
「タオル、濡らして入ったら、死ぬっつってんの」
「はあ」
そうなのです。
一度やってみるとわかりますが、濡らしたタオルで、
そんな何百度もある高熱の場所へ行くと、
すぐに水が蒸気に変わってしまうのです。
はい、学校で習いましたね、『熱伝導』。
水は空気よりも、熱しやすく冷めやすいものなのです。
『熱伝導』なんていう言葉を知らなくても、
職人さんはそれを肌で感じているわけですね。
くわえて言えば、人間は、何百度もある水の中には、
入るどころか、近寄ることもできませんが、
何百度かの空気の中には、なんとか工夫すれば、
こうして、入ることができるわけです。
「なるほど」、そして、中学生の僕は、
からっからに乾いたタオルを顔に巻き付け、
窯の中へ入りました。
倒れている台車の隙間に詰まったがれきを手でかき出していると、
「やばい、これ以上いると髪燃える」と
感覚でわかるポイントがやってきます。
元々天然パーマですが、
これ以上チリチリになるのは、ごめんです。
がれきを両手に抱え、出口へ向って、駆けだすと、
向こうから、「走るな!」という声が聞こえます。
走って、空気を攪拌してしまうと、熱風をもろに浴びます。
その瞬間、髪チリチリでは済まないことになるはずです。
僕は、ゆっくりと、やけどしない最速のスピードで、
出口へと生還したのでした。

子供をそんなところへ飛びこませ、
平気な顔をしているあたりが、
(自分の父親を含め)なんとも、職人たちらしいのですが、
でも、当の僕は、へっちゃらでした。
なんとなく、誇らしささえ、もらった気がしたものです。

僕は、いまでも「焼き物」を手にしながら、
あの窯の中の熱波や、
プレスに小指を一本持って行かれた職人さんの手や、
ぶう垂れながら極上の一品を作りあげる作家さんに
思いを馳せるのです。
そして、そういう思いを馳せられる「焼き物」だけを、
よいモノと認識しているふしがあります。
これが、僕の「工場」系です。


(いながき きよたか)



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