瀬戸やきそばの思い出


家に折り紙があったので、なんとなく鶴を折っていると、
ふと小学生の時のことを思い出した。
ちなみに、折り紙は鶴しか折れない。
だから、折り紙を前にすると、自然と鶴になってしまう。

生涯で、一度に一番たくさん鶴を折ったのは、
小学六年生の時のことで、
鶴をたくさん折ると言えば、あれだ、
千羽鶴を作るためだ。
僕たちのクラスは千羽鶴を作ることになった。
それで、クラスを5グループに分けて、
それぞれ200ずつ鶴を折り始めた。
子供っていうのはやっぱりプリミティブだなぁと思う。
というのは、グループに別れて鶴を折る僕たちは、
自然にむくむくと抑えがたい競争心が湧いてきたからだ。
人間はきっと本能的に競争する心を持っているのだ。
昨今競争ってどうなの?みたいな、否定的な雰囲気があるけど、
良いか悪いかは別にして、
それって、もともと持ってる才みたいなものを
否定してるみたいで、少々居心地が悪い。
だって、小学生のころの僕らは、
誰にも競争しろともするなとも言われてないのに、
それに、一番早く鶴を折り終えて
なにかもらえるわけでもないのに、
なぜかそこに競争原理が働いてしまった。
すごくプリミティブな部分で競争したい
っていう本能を持ってる証明だと思う。
でも、正直言って、僕も競争は嫌いで、
というか、しんどいなぁと思うことがよくあって、
それは多分、勝つ可能性もあるけど、負ける可能性もあって、
勝つ嬉しさより、負ける悔しさの方が、
ヤだなって思うからだと思う。
まあ、話がずれたから、元に戻す。
なぜ、千羽鶴を折ることになったかというと、
イトウ先生が入院したからなのだった。

イトウ先生は、五年生の時の担任だった。
僕らの小学校は原則として五年生と六年生は
同じ担任が受け持つということになっていたのだが、
六年生を迎えると、僕のクラスだけ担任が変わっていた。
担任のU先生は話しにくそうに、理由を語った。
話しにくそうにというのは、
子供ながらにそう思っただけで、
今にして思えば、
別に普通に話しただけかもしれないけど、
とにかく、「イトウ先生は体調を崩されて、
入院しています。
代わりに僕が君たちの担任を受け持つことになりました」
と、U先生は話した。

イトウ先生というのは、
小学生の時の記憶だから、
一体いくつだったのか見当もつかないけど、
とにかく頭はすでに白く、顔のしわの彫りは深く、
でもなんだか肌のハリはまだあったように思え、
きっと、還暦くらい、
あと少しで定年くらいの年齢だったんじゃなかろうか
と思われる。ちなみに、男性だ。

僕たちは、イトウ先生が嫌いだった。
あまりの嫌いさに、
あんなに仲が悪かった男子と女子が、
一時結束したほどだった。
イトウ先生は、デリカシーのカケラもない人だった。
あるアキという女子生徒がいた。
イトウ先生は、なぜだか、ある日、突然、
アキさんを名指しで、
「ところで、どうしてアキって名前なんだ?」
と、わざわざ授業を中断して、質問した。
アキさんは、本当に「アキ」というカタカナの名前だった。
「秋に生まれたからです」と、アキさんは答えた。
すると、イトウ先生は、言った。
「ちがうよ、なんでカタカナなのかって聞いてるんだよ」
そう言われると、アキさんは困ってしまって、
答えに窮していると、
イトウ先生はへらへら笑って、
「お前の親、漢字知らないんじゃないか、
みんな、そうならないように、
ちゃんと勉強するように」と、言った。
アキさんは、もう、笑うしかなかったが、
クラスの生徒たちは、笑わなかった。
それに、イトウ先生は、
生徒の好き嫌いをはっきりと態度に示す人だった。
いわゆるひいきというやつだ。
かわいらしい女子がイトウ先生は大好きで、
小生意気な女子やぼんやりした男子が
お気に召さないようだった。
それはもうあからさまで、
授業中の挙手に対する反応からして違った。
「これ、わかる人」と、イトウ先生が言う。
生徒達は、手を挙げる。
が、イトウ先生は、かわいい女子にしか当てない。
たまに挙手したのが気に入らない生徒しかいないと、
俄然やる気をなくす。
正解しても褒めないし、間違えると、
ほれ見た事かと言わんばかりに、不機嫌になる。
やがて、僕らは挙手しなくなった。

特に女子たちに不評だったのが、
各学期に一度ある身体測定だった。
イトウ先生は、男子の身体測定の時には、
どこでなにをやっているかわからないくらい、
姿を現さない。
一方、女子が保健室に並び始めると、
自分専用の椅子を保健のおばはんの後ろに運んで来て、
どかっと腰を降ろし、腕組みしながら、
三白眼をじとっと前方に向け、
一体一体女子生徒の体を見聞する。
女子はめっぽうこのセクハラを嫌がった。
そりゃそうだろ、小学五年生といえど、女子だ。
しかも、一番身体的にナイーブになる時期だ。
身体測定を見つめるイトウ先生の様子を、
女子たちは昼休みに男子たちに語った。
義憤に駆られたヒロタ君は抗議すると言いだした。
が、イトウ先生本人に抗議の声を伝えても、
そんなものどこ吹く風で、
彼はまったく意に介する様子もない。
保護者に訴えかけるという知恵もなく、
たとえ保護者に伝えても
あまり問題にもならなかったに違いない。
今だったら結構大問題だろうけど、
当時はそういう認識があまりなかったように感じる。
イトウ先生にとってはいい時代だったのだろう。

ある日、授業中にお父さんの仕事という話題になった。
イトウ先生は、いつものようにひいきの女子生徒に
お父さんがどんな仕事をしているか答えるように当てた。
すると、母子家庭のバンダイ君が、
ふてくされて、大声で皆を妨害した。
「俺、おやじ、おらんもん。
だから、こんな授業、俺に関係ねえもん、
俺、おやじおらんもんで、むかつくもん」
すると、怒っているバンダイ君に
輪をかけてイトウ先生本人が怒り出した。
「そんな風に、言ったら、親父に失礼だろ、
お前、死ぬ前の親父がどんな仕事してたのかも知らんのか、
帰ったら、母親に聞いて来い、ばかもん」と怒鳴った。
バンダイ君はしゅんとして、そっぽを向いてしまった。
僕はバンダイ君がそんなに好きではなかったが、
この時ばかりは、バンダイ君に同情した。
バンダイ君の目にはうっすら涙がにじんでいた。

そんなイトウ先生が授業中に突然こんな話をし始めた。
「夢はありますか」
お、なんか可能性に充ち溢れた子供たちへのエールか、
たまにはイトウ先生もいい話をするのかな、と思いきや、違った。
「諦めなければ、夢は叶うというのはウソです」
バーン、これがまた子供たちの反感を買うのだ。
続けてイトウ先生は言った。
「諦めたら、夢はかなわないが本当です。
もっと言えば、諦めなくても、夢はかなわないかもしれません」
子供達はポカーンとしていた。
当時は、結構甘い言葉ばかりを子供に投げかけるのが主流で、
なんとなくいい言葉ばかり聞かされていたものである。
そこに、こんなイトウ先生の言葉だ。
言葉の意味はよくわからないが、
ネガティブなことを言っているということだけはわかって、
僕らは更にイトウ先生が嫌いになった。
でも、まあ、今、大人になって、
イトウ先生の言葉はあながち間違っていないなとわかる。
確かに、夢なんて、諦めてるようじゃかなわないだろうし、
諦めずにやっても、叶うのはほんの一部の人だろう。
それら全部含めてわかった上で、
努力出来たり継続出来たりする人が成功する、
これはもうすでに僕らのスタンダードだと思う。
でも、そんなの小学五年生の子供に言ったってねえ、
伝わるわきゃないよ、イトウ先生。

しかし、なぜ、イトウ先生は、
突然そんなことを言い出したのだろう。
わざわざそんなこと言わなくたって、よかったのに。
別に、そんなこと言わなくても、
身体測定で女の子の裸を見たり、
お気に入りの女の子をひいきしたりできるじゃん。
なにもわざわざ自分から嫌われにいかなくても。

そんなこんなで、五年生が終わった、
イトウ先生とは、あと一年間、
付き合わなくてはいけないはずだ。
僕らはいかにしてイトウ先生を懲らしめるか、
男子と女子と結束してアイデアを出し合っていたりしていた。
だが、六年生になると、担任はU先生に変わった。
子供たちって、怖いなって思うのは、
イトウ先生から、U先生に変わって、
本当はほっとしなきゃいけないところ、
僕たちは、なんだか、肩すかしをくらった感じがして、
そのとまどいを今度はU先生にぶつけ始めたってところだ。
まったく論理的ではないけど、
その時点では、僕たちがU先生を疎ましく思う気持ちは
間違ってないと思っていた。
それに、イトウ先生がU先生に交代した理由が、
イトウ先生の体調の不調にあるということも、
僕たちを動揺させた点だった。
この、なんというか、
いまいち頭で処理しきれない感情を抱いた時、
子供は論理的ではない複雑な行動原理に支配されて動く。

まあ、でも、U先生は普通にいい先生で、
怒る時は怒るし、褒める時は褒めるし、
区別差別なく生徒に接するし、
三ヶ月くらいU先生に授業を受け持ってもらった僕たちは、
U先生のその誠実さを知って、
すぐに、「イトウ先生の百倍いい先生だね」
ってことになった。
けれど、依然イトウ先生が入院していて、
体調がよくならないということに関して
僕らは変なわだかまりを感じていた。
イトウ先生は嫌いだけど、
もっと病気悪くなれ!とは思わないわけで、
よくなってもらいたいけど、
またU先生の代わりにイトウ先生が担任になったら
それはそれで困るなぁという、
言ってみれば板挟み状態で、
僕たちはU先生に言われるがまま、
千羽鶴を折り始めた。

千羽鶴を届けるのは学級委員の役目となった。
当時、なぜかわからないけど、
僕は学級委員で、
もう一人トモミさんという女子の学級委員と二人、
U先生の引率でイトウ先生が入院している病院を訪れた。
ベッドに横になっているイトウ先生は、
思いがけなく、やつれていて、
深かった顔のしわが更に深くなり、
髪の毛を短く刈り込んで、艶のあった肌も、
なんとなくしんなりしていた。
イトウ先生は、笑顔で、
なにか僕とトモミさんに声をかけ、
多分それは「ちゃんと勉強しているか」とか
「U先生に迷惑かけていないか」とか、
そんな感じだったと思うけど、
僕とトモミさんはもじもじしながら、
別にとりわけ学級委員らしくしたかったわけでもないのに、
当たり障りのない受け答えをして、病室を後にした。

クラスに帰ると、イトウ先生がどんな様子だったか、
聞きにくる生徒はあまりいなかったように思う。
ひとまず千羽鶴折り競争を終えて、
できあがったそれをイトウ先生に届けて、
それぞれに少し大人になった六年生の生徒たちは、
落ちついた一年を過ごそうとしていた。
二学期が始まって少し経ったくらいのある日の朝礼で、
U先生は改まって、また、言いにくそうに、
なんだか深刻そうな顔をして、
報告があると、生徒たちに切り出した。
「昨日、イトウ先生が亡くなりました」
嫌っていた先生が死んだ。子供達は喜んだ。
っていうのは、ウソ。
喜ぶもなにも、毎日、一年間、顔を合わせていた人間が、
突然死ぬってことがどうもいまいちピンとこない。
誰もがピンとこなかったと思う。
その証拠に、誰もなにも言わなかった。

僕たちは、次の日、クラス総出でイトウ先生の葬儀に参列した。
今度は学級委員だけというわけにはいかなかった。
まだ衣替え前だったと思う。
冬服のスモックを出してきて、名札を付け、
一人一人棺の前まで行って、お辞儀をして、
お寺の外へ出てくるのだ。
かなり短い最後の挨拶だったような気がする。
お母さんたちに付き添われ、
お寺から駐車場へと歩いていく道すがら、
誰だったか、ヒロタ君だったかもしれないけど、
「帰りたくない」と言いだした。
たんぼの脇のお寺の石垣に寄り添って、
断固帰らないとヒロタ君がお母さんを困らせ始めると、
俺も、俺もと、クラスの男子たちがヒロタ君を中心に、
石垣の傍に固まって、「帰らない」を連呼し始める。
僕もその輪に加わった。バンダイ君もいた。
やがて、なぜだか、一人が泣きだすと、皆泣きだして、
「帰らない」と言いながら、
わんわん声を上げて、泣き続けた。
そんな男子達を、女子たちは遠くから見つめながら、
三々五々お母さんに連れられ帰って行く。
あれは、なんだったのだろう。
どうして子供達はあんな行動をとったのだろう。
クラスメート誰もが心底嫌いだった先生が、
入院して、しばらくして、
イトウ先生という存在すら意識しなくなって、
そしてある日、その先生が死んだと知らされた。
そして、嫌いな先生の葬式に参列し、
短い挨拶をして、帰路に就こうとしている。
ただ、それだけなのに、どうして泣くことがあるのか、
どうして「帰りたくない」のか。
まったくわからない。

今考えれば、ほんとに笑っちゃうくらいおかしな光景だ。
でも、今そのことを思い出すと、
笑っちゃうと同時に、
一瞬だけ、童心にかえり、
「帰りたくない」と言いながら
泣きだしたくなってしまう時がある。
別にセンチメンタルなわけでもないのに。
たんぼとかお寺の石垣とか、
バンダイ君のくさいスモックのにおいとか、
すましたトモミさんの顔とか、
僕たちにイトウ先生の死に顔を見せまいと
棺を開かなかったU先生とか、
そういうことを、
家にたまたまあった折り紙で鶴を折りながら、思い出した。

(いながき きよたか)



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