瀬戸やきそばの思い出


よく考えてみたら、小学生ってめちゃくちゃ勉強していると思う。
単純計算して、小学校で一日六時限、
それだけでも大したものなのに、学習塾とか行くとなると、
そこでだいたい四時間は粘るとして、一日十時間!
国際労働機関は、一日の労働を八時間以内と定めているらしいが、
子供のこの勉強時間についてはどう考えるのか、
興味のあるところだ。
僕も小学校五年生から学習塾へ通い始めた。
別に全国展開しているわけでもなく、地元だけで有名な、
けれど成績が上がるということにかけては定評があった塾だ。
夕方小学校から帰宅し、おやつを食べながら、
塾へ出発するまでの時間を潰す。ポテチかなんか食べながら、
テレビをつけ、四時半から始まるアニメの再放送で
妖怪人間ベムとか天才バカボンとか観ていると、
お母さんから「塾行く用意しやーよ」と声がかかる。
「んー」と、生返事の僕。やがて、五時のサイレンと共に、
テレビからは『夕やけニャンニャン』が始まる。
すると、お母さんは、テレビを消す。
「はよ、車、乗りゃー」
僕は『夕やけニャンニャン』に後ろ髪引かれながら、
お母さんの運転する車に乗って塾へ向う。
だから、僕は生涯において『夕やけニャンニャン』を
フルで観終わったことがない。
一度でいいから『夕やけニャンニャン』を
エンドタイトルまで観てみたかった……、
よーな気もするけど、塾も楽しかったので、
それはそれでいいか。

とにかく、子供は忙しい。
忙しい上に、子供社会にはびこる仁義を頑なに守らねば、
即仲間外れに繋がる。
一度でもその仁義を踏み外そうものなら、
生涯にわたってヘンなあだ名で呼ばれたりすることになる。
あー、よくそんなしんどい子供時代を生き残ってきたもんだ。

当時は、プロ野球ファンではない子供たちはいなかった。
圧倒的な人気を誇っていたのは、
なんといっても我が地元の中日ドラゴンズである。
どうだろう、六割、いや七割方
ドラゴンズファンだったかもしれない。
次に多いのが、巨人ファン、そして阪神ファンと続き、
それ以外の球団ファンは人間としてみなされなかった。
そこにひとりの不幸な少年がいた。アサイ君である。
アサイ君は筋金入りの近鉄バッファローズファンだった。
そのせいで、彼のあだ名は、
始めアサイッチというあだ名だったにもかかわらず、
やがて、ブコビッチとなってしまった。
「おい、ブコビッチ」と呼ぶと、
決まって、アサイ君はこう答える。
「ブコビッチじゃねえし、アサイッチだし、
それにブコビッチはライオンズの選手だし、
近鉄ならオグリビーにしてほしいし」
自分で自分のことをアサイッチと
呼ぶのもどうかと思うけど、
まあ、ブコビッチよりアサイッチの方がましだろう。
それに、ジョージ・ブコビッチは、
西部ライオンズの選手で、
近鉄の選手ですらない。
そう、近鉄には、れっきとしたオグリビーという
助っ人外国人がいたのだ。
だが、ドラゴンズファンからしてみれば、
近鉄も西武も大した変わりはないのだ。パ・リーグだから。
「おい、ブコビッチ」
「ブコビッチじゃねえし、アサイッチだし、それに……」
「あー、もうめんどいて。
ブコビッチって言うのもめんどいで、
おまえもうビッチね、ビッチでいいわ」
挙句の果てに、
アサイ君のあだ名はビッチというあだ名になってしまった。
呼ぶ方も呼ばれる方も意味がよくわからなかった
というのが唯一の救いかもしれない。

子供の仁義は、
どのプロ野球球団のファンになるかにも厳しかったが、
さらに厳しいのはトイレ事情だった。
よくある話かもしれないが、
子供達はトイレ事情に細心の注意を払わねばならなかった。
小なら人前でもおおっぴらにカマせるのに、
大となると用を足しているところを見つかろうものなら、
エライ目に合ったものだ。
どんなに権力をもったいじめっ子も、
学校なり塾なりでウンコをしているところを見つかれば、
一気に権力の座を追われてしまった。
「ウンコ魔人」だの適当なあだ名をつけられ、
皆からクサがられるのがオチだ。
だから、みな、大の用を足すどころか、
トイレの個室に立ち入ることすらタブー視していた。
そういう意味でいうなら、
僕は女子がめちゃくちゃうらやましかった。
だって……、まあ、いい。

僕の通っていた塾は、夏休みなると、
勉強合宿なる行事を行うのが恒例だった。
合宿地は、茶臼山。
愛知県と長野県の県境にある愛知県民なら
一度は聞いたことがあるだろう有名な避暑地である。
茶臼山につくと、塾生たちは、
五日間、朝から晩まで勉強をする。
こう聞くとひどく疲れそうで、
なんだか刑務所か何かを連想してしまうが、
実情は意外にそうでもなく、
小学生たちがわいわいがやがや朝から晩まで
寝食を共にするのは、それはそれで楽しいものだった。
だが問題は、さっきも書いたけど、トイレだ。
朝から晩まで寝食を共にするということは、
つまり、小学生同士の相互監視体制もハンパないわけで、
誰かがトイレに行くと、
ウンコをしていないかどうか必ずチェックが入るのだ。
こうなるともう誰も抜け駆けが許されない。
勉強合宿が一変、ウンコ我慢合宿の様相を呈し始める。
食べざかりのはずの小学生たちの食がだんだん細くなっていく。
(ちなみに、女子は毎食おいしくいただいていた模様だが……)
だいたい、三日目あたりから脱落者が
ちらほらと出始めるようになる。
ウンコサイドに墜ちた脱落者は、
ウンコサイドの烙印を押されることよりも、
排泄することを選んだのだ。
彼らはすっきりした顔で、
このウンコをめぐるチキンレースから解き放たれ、
おいしく食事をいただくことができるようになり、
もう誰に気兼ねすることもなく、
トイレの個室へこもることができた。
彼らをうらやましいと思いながらも、
まだ大半の男子塾生たちがウンコサイドに
墜ちることを拒み続けていた。
女子たちは、男子達の顔が妙に強張っていく様を
怪訝に思っていたかもしれない。
しかし、四日目を迎え、
一人また一人と脱落者が増えていく。
すでに趨勢は我慢派の方がマイノリティになり始めていた。
それでも、僕は頑なにトイレの個室を拒み続けた。
もはや我慢することが、
いじめられたくないからとかウンコの烙印を
押されたくないからとかそんな卑しい理由では
片付けられない崇高な情熱にすり替わり始めていた。
これは自分との闘いだ、
五日間、ウンコを我慢し続けた先に
なにかが見えるかもしれない、
そんな思いで、食事もおやつさえも我慢し、
出来るだけ腸内物質を増やさぬよう心がけ、
修験者のような心持で合宿の終わるのを
ただひたすら待ち続けた。

茶臼山の合宿所の近くには観光牧場があった。
そこで作られるミルクキャンディが売店に並んでいる。
それがなんともうまそうだ。
ウンコサイドの脱落者たちは、
もうなにを胃袋に収めようが構わない。
いつ何時便意が来ても、
大手を振ってトイレの個室にこもることができるのだ。
そんなウンコサイドたちがうまそうに
かじっているそのキャンディを横目で見ながら、
なんとか欲望に負けぬよう必死に呪文を唱える。
「食べたら負けだ。ウンコをしたら負けなのだ」
僕は勉強そっちのけで、ひたすら肛門を閉め続けた。
そういえばアサイ君はどうしてるだろう……、
僕と同じ志を持ってウンコを我慢しているだろうか、
と思いながらトイレを横切ると、
ジャーという音とともにアサイ君が個室から姿を現す。
「あー、すっきり」とか言いながら、
茶臼山牧場ミルクキャンディを
バクバク頬張っているではないか。
僕は、そっと心の中でつぶやいた。
「このウンコビッチが」
最終日、先生の言葉で合宿は幕を閉じた。
「ここまで頑張れば、必ず志望校に受かるでしょう」
僕は意識朦朧としながら、
ぼんやり「そうだよな、ここまで我慢したんだから、
志望校にも受かるよな」と考えたりしていた。
当時の僕に、今の僕は言ってやりたい。
んな、バカな、
ウンコを五日間我慢しただけで
志望校に受かるわけないだろ。
バスに揺られ、僕は茶臼山から帰還した。
過酷な戦場を生き残った兵士の気分だった。
「よく頑張ったね」とお母さんが僕を出迎えてくれたが、
僕は「うん、頑張ったよ」と一言返すよりも早く
トイレにかけこんだ、
その時の至福は今でも忘れられない。

(いながき きよたか)



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