瀬戸やきそばの思い出

僕の郷里は愛知県の瀬戸市である。
「地元はどこですか?」と聞かれるとめんどくさいので、
だいたい「名古屋です」と答えてしまっているが、
正確には、瀬戸市。
でも、一応、瀬戸物の瀬戸と言えば、
話が収まるのでまだ得と言えば得かもしれない。
瀬戸物の瀬戸と言うくらいだから、
地場産業はばりばりの窯業。
幼いころは、陶器の原料を積んだダンプが
何台も何台も狭い道を思いっきりトバすもんだから、
随分あぶねえおもいをしたものだ。
だが、最近では少々事情が変わってきた。
めっきり、暴走ダンプも見なくなったのだ。

稼業が窯業だったこともあり、
その実態はそれなりに理解しているつもりである。
瀬戸市の地場産業は、斜陽を通り越して、
危機に瀕しているそうだ。
窯業はとにかくリスクが高くコストがかかる。
在庫は抱えなきゃならないし、
設備投資は莫大だし、単価は安いし、仕事はきつい。
ながびく不況のあおりを受け、
昨今では完全に瀬戸物の瀬戸ではなく
ベッドタウンの瀬戸と化してきた様相である。
僕の実家の隣の隣も、かつてはでっかい陶器工場だったが、
こないだ帰ったら、でっかいマンションになっていた。
でっかい陶器工場に隣接するでっかい駐車場で、
幼いころ僕ら兄弟はキャッチボールしていたのに、
今ではでっかい西松屋になったせいで、
キャッチボールももう出来ない。
もっとも、兄弟でキャッチボールなんてもうしないのだが……。
ともかく、街をダンプが爆走していた時代が、
懐かしいっちゃあ懐かしいのである。

どこの町もそうなのかもしれないが、
なんとなくだんだんとその町のアイデンティティというものが
失われつつあるのかもしれないなぁと最近よく思う。

でも、そうだ、瀬戸には、
窯業の他に実は焼きそばという文化があったのだった。
焼きそばで有名なのは富士宮だ、
だが、瀬戸の焼きそばは有名ではないけれど、
僕らのソウルフードだった。
小学生の頃、土曜日、半ドンで家に帰ると、
おっかあが、「今日、昼、なにする?」と聞く。
「焼きそばでいい?」
「焼きそばでいいわ、ああ、ヤセの焼きそばにしてよ、絶対だに」
「へ!」
すると、おっかあは、車を飛ばし、深川神社商店街まで行く。
深川神社商店街には、一軒飛んで二軒の焼きそば屋が並んでいる。
『福助』と、『大福屋』である。
『福助』の店主は、痩せている。
『大福屋』の店主は太っている。
二人共、通りに面した鉄板の上で汗をかきながら、
焼きそばを炒めている。
おっかあが帰って来る。
「ごめん、ヤセの焼きそばいっぱいだったで、
今日、デブの焼きそばね」
「えー、いいよ」
そうして、僕たち兄弟は、焼きそばを頬張る。
デブもヤセも、見たところ、
まったくおんなじ作り方なのだが、
なぜか僕らはヤセの焼きそばを愛していた。
僕たち兄弟は、なぜヤセはヤセのままで、
デブはデブなのかについてあれこれ想像してみたものだ。
デブはつまみ食いをするからデブなのだ。
つまみ食いをしないヤセは
きっと仕事に真剣に取り組んでいる。
だから、その差が味に出る。
そうだ、きっとそうだ、だからヤセの方が若干、
少しだけ旨いのだ、と。

そこで瀬戸の焼きそばの特徴を少し。
瀬戸焼きそばの麺は、蒸し麺である。
というか、そこが最大の特徴である。
味は、醤油ベース。豚の煮汁を足して、味を調える。
だから、けっこう甘い。
ソースをかけて食べたりするが、
ソースをかけるといっそう醤油ベースの煮豚の味が引き立つ。
これで完成。
取るに足らないように思えるが、
この作り方で、他に類を見ない独特の焼きそばが完成する。
ああ、書いてたら食べたくなってきた。

ヤセの店主の店、『福助』について少し。
残念ながら、『福助』はもうない。
遠い風の噂だが、ヤセの店主は亡くなったそうだ。
実は、僕は、このヤセの店主の息子さんと
通っていた塾が同じだった。
同級生は無論誰もがこの『福助』の焼きそばを
食べた事があるわけで、
そういう意味でも、
この息子さんを神聖化していたのだが、
別のとあることが更にその神聖化に輪をかけていた。
彼の名は別名『マルバツ大王』。
マルバツという遊びをご存じだろうか。
井桁に書かれた線に交互に○と×を書いて
三つ揃えたら勝つというアレである。
『福助』の息子さんはそのマルバツが異様に強かった。
今、思えば簡単な攻略法があるとわかるのだが、
それを小学生にしてマスターしていたのだから、
すごいのかすごくないのか……。
というか、とにかく『福助』の息子は
マルバツが強いというところだけで充分すごいのだ。
話が逸れたが、あの『福助』の味はもう味わえない。
ちょいちょい帰郷した際の楽しみが一つ減った……、
と思いきや、朗報がある。

数年前、実家の近くに一軒の瀬戸焼きそばを
売る店がオープンした。
名前を『一笑』という。
なんでも、ヤセの店主のお姉さんのお孫さんが始めたらしい。
ややこしいことこの上ないが、
『福助』の味を再現しようと奮闘中のこと。
次、帰郷した際は、おっかあとマルバツでもやりながら、
『福助』の味を再現していると言われるその焼きそば
食べてみたいところだ。




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