昨日は憲法記念日でした。
夜七時のNHKニュースを見るまでの僕は「ああ、今日は憲法記念日だなぁ」くらいにしか考えていませんでしたが、ニュースを見て俄然「今日、憲法記念日じゃん!」に変わりました。

日本国憲法は1947年5月3日に施行されたそうです。その前までは、そうです、大日本帝国憲法だったわけです。
つまり戦争が終わっても、2年余り、日本は大日本帝国憲法下にあったというわけですね。
当り前っちゃ当り前なんですが、これってなんだかちょっと変な感じがするのは僕だけでしょうか。
ご存知の通り、大日本帝国憲法下では、日本人は国民ではなく臣民。つまり、臣民に人権はあっても、あくまで君主(=天皇)から与えられたもの、お上の都合で人権なんてどうとでもなる、というのが実情でした。この辺りのことは、先日ちょっと話題になった『教育勅語』にも書かれていたことですよね。とりあえず国と天皇が危うくなったら、命を賭けて守りなさいよってやつです。
で、戦争に負けてボロボロ状態、敵国に半分支配されながら、2年余、まだ国民は臣民なわけでした。
もちろん、新しい憲法制定には時間が必要ですから、手続き上やむを得ないというのは自明ですが、例えば、もし僕が当事者だったら、やっぱり変な感じがしたんじゃないかと感じる次第。
戦争中臣民であるのは仕方ないとして、戦争に負けても臣民であり、そして2年経って国民になる。このタイムラインの丁度真ん中の2年間の泣きっ面に蜂感が半端ないです。

さて、こんなことを振り返りながら、7時のNHKニュースの話に戻りましょう。
トップニュースは、時の首相が憲法について発したメッセージについて、内容は「2020年までに憲法改正を目指す」ってことでした。
一緒に見ていた五才になる息子がすかさず僕に質問を浴びせます。
「ケンポウってなに?」
うーむ、僕は文系と言っても文学部、法律のことはよくわかりません。頭を振り絞りようやく出て来た答えが、
「国の形を決める法律のことだよ」
言ってみて、まあ我ながら無難かなと思った次第、しかしすぐに質問を返されます。
「ホウリツってなに?」
「守らなきゃいけないことが書かれてる言葉のことだよ」
まあ、相手は五歳児なんで、とりあえず納得したのかどうか怪しいものの、「ふーん」とか言いながら目の前の焼きそばに再びがっつき始めたので、ほっと胸を撫でおろしたわけですが、一応、自分の言葉をまとめますと、
「憲法っていうのはね、国の形をきめるために守らなきゃいけないことが書かれている言葉だよ」ってとこでしょうか。
これが正しいのか間違っているのか、ぜひ専門家からの意見を俟ちたいところですが、同時にあらためて個人的に勉強でもしてみようという意欲が湧きました。息子にちゃんとしたこと、教えたいですもんね。

さて、行ったり来たりしますが、時の首相が「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と宣いました。
憲法を改正するか否かについてはおそらく様々な考えがあることでしょう……、と言ってとりあえずこの話は終わりにしたいところなんですけど、現状を見渡すとどうやら実は様々な考えなんてないんじゃないかと思っちゃいますよね、反対の人たちは何がなんでも反対!のようですし、しかもかつて(今もか)「自衛隊は違憲だ!」とか言ってた人が憲法改正反対なんだもの。本当に頭を痛めるべきところはここなんだと思います。
『「憲法改正」に賛成か反対か』ってだけで済むわけないでしょうに、国の形を決める言葉なんですから。普通に考えて、賛成でもいろいろな意見があって、反対でもいろいろ意見があるのが自明なんです。

ちなみに、記念に(憲法記念日ですし)僕の所見をしたためますと、憲法改正にはとりあえず賛成です、でも自民党の改正案には断固反対です。じゃあ、どう改正すればいいのかと問われるとよくわかりません。多分、九条あたりが引っかかってるんだと思います。その他は特に異議はないんだと思います。誤解されるといやなのでもう少し書くと、平和主義は堅持です。ただ確かに現在の憲法と現実の日本との間にはネジレがあるのも事実です。戦争を完全に放棄し、かつ他国の軍事力に頼らない道はないのかなと夢想したりするのです。

これ以上は専門家ではないので、という言葉でそっと逃げるとして、少し本日の首相のメッセージに戻ってみましょう。
なんでも「新しい憲法が施行される(略)2020年を、未来を見据えながら日本が新しく生まれ変わる大きなきっかけにすべきだ」そうです。
どうやら首相は日本という国民国家に生まれ変わってもらいたいようです。
ハッキリ言って僕はこの『生まれ変わる』という言葉にカチンときました。
そして、ここ最近の日本(政府)に感じていた違和感の正体を見た気がしたのです。
「さあ、今こそ生まれ変わろう」
こんなセリフ、安いナンパ師だって言いません、怪しげな自己啓発セミナーの詐欺師くらいですよ、僕がセリフで言わせるとするなら。
「生まれ変われ」という言葉を解体していくと、「君の人権を認めない」という成分が混入していることに気付くはずです。なぜなら「生まれ変われ」というのは人格の否認だからです。
それよりも為政者はまずはこう言うべきなのです。
「生まれ変わらなくていい」、もしくは「君は君のままでいい」。
圧倒的承認こそ「人権」の前提なのではないでしょうか。
だから少なくとも「生まれ変わりましょう」などと言うヤツの尻馬にはまずもって僕は乗れそうにありません。


(いながき きよたか)




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