短い文章が苦手。というか、恐怖しているといってもいいです。
普段文章を書いておいてなんですが、それともだからなのか、本当にそう。
でも今の世の中かなり短い文章を求められる場面が多いじゃないですか。
ラインとかもそう、ツイッターもそう、フェイスブックとかもあんまり長いと、ダルいと思われがち。
「いや、昔はポケベルというのがあってだな」と思うかもしれませんが、あれは文章じゃなくむしろ「本日晴朗ナレド浪高シ」的暗号文に属するのではないかと思う次第。
とにかく短い文章が貴ばれる時代です。

先日、家内(とか書いたら文筆家として意識が低いんでしたっけ? そんな烙印は回避したいところ、言い直しましょう)、妻が熱を出し寝込んでしまいました。
外出していたところ、彼女から携帯にメッセージが。
『こりゃインフルだな』
おっと本当にインフルだったら、息子や僕にうつったら大変です。誰が彼女の看病をするのでしょう。ましてインフルじゃない場合もあるわけで、僕は『インフルだったら隔離政策だね、病院行ってきてね』と、メッセージを返しました。
すると、『愛のない言葉だなぁ、もっと優しく言って欲しいなぁ』と返ってきました。

僕の短文恐怖症の由縁はまさにこれです。
『いんふるだったらかくりせいさくだね、びょういんいってきてね』
という文に愛があるかないか、優しいか優しくないか、実は絶対的には測れません。
愛がある、ないし優しい言葉というのは、言語そのものに含まれるのではなく、コンテクストにしか存在しないので、言葉に含まれる愛の成分は相対的にしか測れないのです。
シナリオを書いているとよくわかるのですが、たとえ「愛してる」というセリフを書いていても愛のない言葉として書いていることだって多々あります。
しかし散発的な短文には圧倒的にコンテクストが不足します。
じゃあ、どうして『いんふるだったら~』が優しくない言葉になるのか……。

日本語は他に類をみないモダリティの言語だそうです。だから言葉がモダリティに左右にされがちなのです。
と、こう書かれても、はっきりいって「はあ?」です。
『モダリティ』って?
日本語に訳すと『様相』。というかこれもなんのこっちゃです。
こういう場合は語源を探ってみます。
「modality」は「modal」という形容詞の名詞形です。「modal」の日本語訳は、「叙法の」です。これもよくわかりません。
「modal」はどうやら「mood」の形容詞形のようです。
「mood」つまり「ムード」です。

言い直しましょう。日本語は他に類を見ない「ムード」に左右される言語です。
こう言われてみるととっても分かる気がします。
「バカ」という原理的にあまりいい意味ではない言葉を一つ例にとっても、わかりやすいかもしれません。
話者のムード(モダリティ)によって、「バカ」は罵倒になったり愛のささやきになったり、それこそ無数の言説を採るのです。
本当に日本語ってとっても難しい。というか、日本語に限らず、言葉のことを知れば知るほど、『果たして言葉はもしかしたら通じないことを前提としているのかもしれない』と頭を抱えてしまいます。
コンテクスト(文脈)やモダリティ(ムード)、シニフィエ(意味するもの)、コノテーション(潜在的意味)……、説明はすっ飛ばしますが、これらの作用を頭に入れておかないと、コミュニケーションはあっという間に齟齬に陥るでしょう。

現に僕は日常生活のあちらこちらでレッド・ツェッペリンのコミュニケーション・ブレイクダウンが聴きたくなります。
(妻との前述のやりとりの最中もロバートプラントの歌声が高鳴っていました)
そして、意図を伝えようと言を尽くしてすら、時に神経を逆なでたり、高を括られたりしてしまいます。
それが短い文ならばもうお手上げではないですか。

ツイッターを覗き見ているとお手上げどころの騒ぎじゃありません。言葉の戦場のように見えてきます。
他者を逆なでない140文字はおおよそ『宣伝』・『過度な紋切』・『食い物』くらいでしょうか。いや、食い物も逆なでたりするか……。
あとはもう流言飛語の世界。みな受け取りたいように受け取り、怒りたいように怒る。そしてまた言葉はズレた言葉を産み、ズレた言葉を産む。そんな修羅場は楽しいっちゃ楽しいんですが、まさしく修羅の道だなぁと、やっぱり恐怖です。

これを避けるにはどうしたらいいか、つらつらと考えたりします。つまり短文を放つことを恐怖しなくてもいいようにするにはどうすればいいかということです。
一つは、まず話者と聞き手、双方が言語の特質を理解することです。
大前提は、言語がそれとして伝わるにはかなりの諸条件をクリアしなければならないということを知っておくことです。そしてそれを踏まえてもなお発話には命がけの跳躍が必要であることも気に留めておく必要があります。放たれた言葉は、それが如何に受け取られようと元には戻せず、最悪誰かの心の中で犬死することがほとんどだということです。
しかし、これを話者と聞き手、つまり言語を扱う全人類が念頭に置けるかどうかはなはだ疑問です。
だとすれば、残された道はただ一つ。できるだけ発話しないということです。
ただ、これはキツい。発話者にかなりのストレスを強いることになりそうです。
だとするなら、やはり、何かを伝えるときは、言を尽くし、誤解の芽をできるだけつぶしながら、粛々と伝えるしかないのです。
なのに短い文ときたら、その余剰がない……。
本当にみなさんどうやってラインでの会話を乗り切ってるんでしょうか、コツが知りたいです。

(いながき きよたか)




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