コギトについて少し


シナリオ執筆で年頭から唸っている。普段のサイクルより重いのでなかなか時間が取れずにいる。そもそも映画を観に行けていない。読んだ本も数冊、衣食住もままならない。
ライターにとっての文章は糞のようなもので、食わなければ出ない。この場合食うとは、カタカナで言うところのいわゆるインプットというやつである。食い溜めはできる。が、限界がある。少々腹が減ってきている。

食えはしないが考えることはできる。世の中の動きに疎くはなるが、漏れ聞こえてくるニュースを元に考えることもできるし、仕事で接するあれやこれやについて考えることもできる。

今年もすでにいろいろなニュースが飛び出たらしく、どれも話題になったが、話題になった順にいまいち語るに足らない感じがする。ニュースを受ける側の人々の雰囲気を勝手に忖度するに「裏切られた」感情が問題になっている気がする。ニュースを受けた小市民たちが「裏切られた」と怒る。この図式に僕は大いなる疑問を感じる。語るに足らないといいながら以下雑感である。

例えば不倫が発覚したとして、裏切られたのは不倫をされた配偶者である。不倫とはいつでも不倫男とその妻と不倫女の間で愛憎が渦巻く安っぽいドラマだ。
当事者にある程度の名があればこれはニュースである。しかしニュースを聞いた小市民が不倫相手の女に「清純なタレントだと信じていたのに裏切られた」と怒る料簡がわからない。不倫のニュースを聞いて僕はおよそ「へえ」とニヤニヤするだけだ。不倫ごときニュースにはこの「へえ」が最も重要でそれ以上それ以下でもない。

「裏切り」には「信頼」が常に対にある。僕なんかも結構裏切られてきた方であるが、その都度「信頼」の方に疑いをかけてきた。そのおかげでいまやこの我が「信頼」というものに一定の強度を感じるほどである。まして「裏切られた」と怒るのはよほど低脳であると自戒を込めてきた感さえある。
さて、今回テーマにしたいのは「裏切り」でも「信頼」でもなく、この「疑い」というやつである。

今更ながら弊社「コギトワークス」という名の由来について言及してみる。
「コギト」はまさしくデカルトの第一命題「コギト・エルゴ・スム」より拝借した。一般にcogito(羅)とは英語のthinkと同義である。が『方法序説』を丁寧に読むと神を疑う私というやつが出てくる。そこを起点にして「考える私がいる」すなわち「コギト・エルゴ・スム」(考えるゆえに在る)が導き出される。思考の契機は「疑う」ことにある。
映像の仕事に限らずほとんどの仕事は「考える」ことを放棄しては成立しない。よしんば成立してもきわめて質が低い。そして「考える」ことの源は「疑う」ことだ。
コギトワークスの名にはこの「考える」=「疑う」が機能しますようにという願いを込めた。

シナリオを書いていて直面することがある。特に人物を彫る時、時折「このキャラクターはこんなことをしないのでは?」という声を聞く。清廉潔白なヒロインが少しでも迂闊な言動をすると視聴者が愛せなくなるという批評も聞く。そういう場合多くは疑いが足らない。人物を記号と見立てている。
よくシナリオを書くとき人物の履歴書を書けと言われる。ところが慣れずにこれをやると人物を記号化させていく手順に陥る。記号化して疑いを晴らしていこうというのだ。
しかし一面的な人物ほど胡散臭く、またつまらないものもない。人間はもとより多面的であり多義的である。そこにドラマがある。

ただこうも「疑い」を礼賛すると、それはそれで胡散臭く思われるかもしれない。もとより疑うことは悪い文脈で使われることの方が多い。なにも信じることの価値を徹底的に転倒させたいわけではない。信じることもそれはそれで充分必要なことだ。
疑うことと信じることの間には絶妙な平衡感覚が要される。
確か昔の大江健三郎がこんなことを言っていたような気がする。
『人生の秘訣は、希望しすぎないこと、希望を捨てないこと』
これは実感を含めて確かに秘訣らしい。そしてさらにこう敷衍してもいいだろう。
『人生の秘訣は、信じすぎないこと、信じることをやめないこと』
または、『疑いすぎないこと、疑うのをやめないこと』

とはいえ現在の日本は場当たり的ポエム流行真っ盛りである。口当たりがいい言葉でさえあればなんでもお題目にしたがる。「信じる」は、どうやら口当たりがいい陣営に引き込まれているようだし、「疑う」は悪性の言葉と断じられがちだ。両者とも勝手に分別されて居心地が悪そうだと思うのは僕だけだろうか。

「疑い」が足らない時代だと思う。なぜそうなったのか、いつからそうなったか、わからない。わかれば病巣を駆逐することもできるかもしれない。しかし現状誰にもその気がない。「素直」という仮面をかぶった思考拒否より、思考を張り巡らせようとする「疑心暗鬼」の方がまだよいのに。時に心に疑いの鬼を飼うことが必要だ。「疑い」の復権はいつになるだろうか。


(いながき きよたか)




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