今対昔


訳あって、本日、お肉屋さんで、一キロのブロック肉を買い求めたところ、こんな光景を目にしました。
やっぱり、お肉屋さんといえど、職人さんなんですね。「ブロック肉一キロください」という僕の注文に、五十がらみの店員さんはニコニコしながら、10キロはあろうかという巨大な肉塊を出し、目の前で、あっけらかんと包丁を入れるではありませんか。
ほいっと、切り取ったブロック肉を、計量器に乗せたのを見て、思わず、僕は唸りました。表示は、「1058g」、1キロという注文に誤差わずか58gです。
あまりに何気ないしぐさだったので、危うくスルーするところでしたが、いやいやいや、すごい神業ですよ、これは。
言わば、人間計量器、いや、機械にだってできない職人技かもしれません、10キロの肉塊から一刀両断で、1キロだけ切り出すなんて。

実は、僕は、子供のころから職人さんに囲まれて育ちました。
父がタイルを作る工場を営んでいたので、実家には、職人さんたちがよく出入りしていました。そして、そこには、様々な職人技を持った人たちがいました。
タイルの原料になる土を指先でつまむだけで含水率を当てる職人さん。原料の含水率は、焼き上がりのタイルの出来不出来に、直接かかわるだけに、原料になる土を作る職人は、土に含まれる水分を厳密にコントロールしなければなりません。達人になれば指先で微妙な水分の多寡を感じることが出来ますが、まだ経験が浅いうちは、土を舐めて確かめるそうです。
さらには、タイルを手で持っただけで、その厚さがわかる人間ノギス職人。僕もやらせてもらいましたが、全くわかりませんでした。この職人さんは、タイルの厚さ0.5ミリの誤差まで軽々と言い当てることができました。
あとは、検品のおばちゃんもすごかった。おばちゃんだからと言って侮ってはいけません。検品一筋30年以上、毎秒何十枚とタイルが流れていくベルトコンベヤに向って、鉄球のついた指示棒みたいなやつで、(ちなみに手作り)コンコン、タイルを叩いていきます。すると、時折、タイルを取ってごみ箱へ投げ入れるではありませんか。音を鳴らして適合品、不適合品を聞き分けているわけですね。「見なくても、わかるの?」と思っちゃいますが、ごみ箱に入れられたタイルを取り出してみると、確かに、傷が……。しかも、よーく探さないとわからないような微かな傷です。

タイル屋さんみたいな特殊な職場だけでなく、さっきのお肉屋さんの例のように、常日頃、普通に生活しているだけでも、ささいなすご技に、僕たちは触れているように思いますし、それに、こういった職人技は、別に卓越した匠だけが持っている技能ではないと思います。いわば、職能という特殊技術ですね。
少々めんどくさいかもしれませんが、真剣に、長い年月をかけて、一つの仕事に打ち込むと、こんなお得な能力が身につくわけです。
自分に合った仕事が見つかるまで、なんにでも挑戦してみるというのも、確かに大事かもしれませんが、うかうかしていると、気付けば職能を習得するために必要な年月が残されていない年齢に差し掛かっているなんてこともありえます。見極めが大事ですね。

と、ふと自分のことを思い返してみました。
普段、机に向かってパソコンをパチパチやっているだけです。果たして、人間ノギスさんや、人間計量器さんたちに拮抗するだけの職能を有しているのか、ちょっと不安になりました。
ブラインドタッチ? いや、ちょっとスケールが小さいですね、しかも習得するのは簡単ですし。
日本語で、文章が書ける? いや、小学生でもできます。
ダーッと書いて、無意識に、今何文字、何シーンと、わかるわけでもありません。
シナリオを書き終えて、即座に出来上がる映画の尺をばっちり計測できるわけでもありません。
唯一、文章をながーく書ける、それくらいしか思い浮かばないのです。
とすると、シナリオライターには、とりたてた職能なんて必要ないのかもしれません。
人並みに言葉を知っていて、少しの忍耐力があれば、できちゃうのかも。
ちょっと寂しいと思うと同時、だからこそ、ますます僕は職人にあこがれてしまいます。

昔、職人技が無性に見たい時期があり、伊勢まで旅行をしたことがありました。
伊勢型紙ってご存知ですか?
布を染めるための型紙のことです。柿渋で塗り固めた和紙を彫刻刀で微細に切り、模様をつけ、それをまっさらな布に当てて、糊を塗るわけです。そしてそれを染めると、糊が塗ってある場所だけ染まらず、模様が浮かび上がるんですね。いまでいうシルクスクリーンの要領です。
伊勢型紙には四種あり、中でも縞彫りという技法は超絶テクニックを要します。
彫師が二枚の和紙を重ねて、縞を切り抜きます。1センチに11本の縞といいますから、もう、肉眼でもモワレを起こすほどです。これだけでもすごいのですが、貼師という人がまたすごい。この二枚の和紙の間に極細の絹糸を通し、寸分たがわず貼り合わせるのです。これがまた、超絶テクです。
どうしてもこれが見たくて、伊勢まで行ったわけですが、残念ながら貼師さんのお仕事は見られなかったものの、彫師さんのお仕事は、それはもう見事なものでした。
いろいろとお話しを伺ったのですが、中でも不思議なことは、貼師さんのなり手は代々女性だということ。
なぜかと伺うと、彫り師の男性から、「手先が器用だから?」というなんともボンヤリした答え、「いやいや、あんたも超絶器用だろ」と思ったもんです。しかし、本当になぜなんでしょう。やはり職人の世界は、理屈では語れないのかもしれませんね。
しかしながら、わけても残念なことに、特にこの縞彫りの貼師さんの若いなり手が現在まったくいないことです。
彫り師のおじさんも、早晩伊勢型紙の技術は失われるだろうと、まあ、あっけらかんと言っていました。
ほんと惜しいですねぇ、今の政府も、「日本すごいー」が大好きなら、こういうところに、ボーンと資本を投入してもいいように思いますが……、そしたら、僕もシナリオライターなんてすぐに廃業して、伊勢に行きます。おっと、職人技を習得するには、すこしロートルすぎますよね。
おとなしく仕事に戻ります。


(いながき きよたか)




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