夢


本末転倒を承知で言いますと、夢の話はあんまり虫が好きません。
夢そのものについては、たいへん興味があるのだけど、夢の話と
なるとどうも拒絶反応が起きてしまいます。
眠っているときに見る夢のことです。
ちなみに、今回は、キング牧師が言うところのドリームについて
は一切触れません。

だいたい、夢と麻薬とよっぱらいの話は、共通している感じがし
ます。
一連のオカルトやフードファディズムと一緒で、結局、永遠に証
明できない与太話に過度の共感を求められているような気がして
しまいます。
当の経験者は実感を伴っているように感じているのに、聞かされ
ているこっちは妙に空々しくなってしまうのです。それに、実感
をかみしめている者だって、怪しいものです。夢やそれに似た幻
影はそもそも、幻影であって、結局はオートマチックに作り出さ
れた空想みたいなものなのですから。

そういうわけで、「こんな夢を見た」で始まる夢の話は、総じて
つまらない、けれど、でも、ある種の天才的な語り部の手にかか
ると、格段に面白くなるポテンシャルを秘めています。
「夢十夜」なんかまさに、「こんな夢を見た」話の最高峰ですよ
ね。
他には、それが夢であるとはっきりとは同定できませんが、内田
百閒や泉鏡花などが書く幻想的なお話は、めくるめく夢の世界そ
のもののですし、マルケスの『百年の孤独』を読んでいるとくら
くらするような明晰夢を漂っているような気さえしてきます。
つまり、僕は、夢そのものではなくて、夢を語る語り手の凡庸さ
に虫が好かないと、ただ、それだけのことかもしれません。
夢そのものに落ち度はありませんし、超絶テクを駆使しさえすれ
ば、夢は格好の題材になるのかもしれません。

それに、やはり夢それ自体は非常に興味深いものです。
お恥ずかしい話なのですが、中学生の頃のこと、何度か夢精を経
験しました。仕方ないですよ、若いんだもの。ただですね、その
時、毎回同じ夢を見るんですよね。
空を飛ぶ夢です。僕の場合、独力でふわりと飛ぶのではなく、フ
リークスくらいおっぱいの大きな女性か男性かもわからない巨人
に抱かれて、空を飛ぶのです。
すると、きまって夢精します。
夢精の気持ちよさも忘れて、僕はこの夢に興味を抱きました。今
なら、グーグルで、『夢精 空飛ぶ 巨乳』とかで検索している
ところですが、当時ネットはありません。学校の図書館へ走りま
した。夢から始まる本を探していたら、あった、あった、ありま
した、その名も、『夢判断』、フロイトと書いてあります。
辞書形式で、夢の意味が羅列してあります。もちろん、巨乳の項
はありませんでしたが、空を飛ぶ夢の項はありました。なんでも、
性的興奮を表すそうです。
「当たっとるがや……」、静謐な図書館の中、なにやら背徳的な
気分に高揚しながら、そそくさとその『夢判断』を僕は借りてい
きました。
家に帰って丹念に読み、「ああ、また空飛ぶ夢、見ないかなぁ」
とか思いながら、眠りについたことを覚えています。

それにこんなことを思い出しました。
『夢判断』には、きちんと夢精についての言及があったような気
がします。いわく、性的経験のビフォア/アフターで夢精の夢は変
わるそうです。
ビフォアボーイが見る夢精の夢は、当時僕が見たような、不定形
で性別未分化な性的存在が出てきたり、空を飛んだりするけれど、
アフターボーイが見る夢は、性的交渉そのものなんですって。
「確かに……」
はい、僕にも経験があります。晴れてアフターボーイになった後
も、一度だけ、夢精したことがあったのですが、その時は、フロ
イト大先生が言うように、妙になまなましい性的交渉そのもので
した。そして、それきり、ひさしく空飛ぶ夢を見ていません。

確かに、歳を重ねるごとに見る夢が変わってきたというのは、実
感としてあります。
この原稿を書く直前の事、アイデアが浮かばず、事務所のソファ
でふて寝をしておりました。
夢の中で僕は、なぜか舞台に立つことになっているのです。しか
し、まったくセリフを覚えておりません。でも、否応なく幕は上
がってしまいます。あたふたしながら、僕はお客さんの前ででた
らめなセリフをしゃべり始めようとするその時、がばっと起き上
がり夢から覚めます。
ここ五年ほどでしょうか、こんな夢を何度も見るようになりまし
た。
僕は思います。つまらない夢を見るようになったもんだと。
というのも、十代、二十代前半までは、とても変な夢を見ていま
した。おいそれと言語化できないような、ヌルヌルとしていて、
善悪もないような、ひどく陰鬱とさせる、アメーバのような夢で
す。

実家に仏間があります。そこに先祖伝来の脇差が飾ってありまし
た。中身はもちろん竹光でした。本身は父がどこかに隠している
と言っていました。夜中、気配がするので、眠たい体をようやく
起こして仏間に降りていくと、父が固まっています。見ると脇差
がありません。なにやら非常に気が急いてきょろきょろするので
すが、父に制せられます。突然にゅっと闖入者が現れます。闖入
者は人の形をしていますが、暗いことこの上ありません。手には
脇差が握られています。僕にはなぜかどうしてもそれが竹光だと
は思えず、胸騒ぎばかりするのです。父をかばうように、闖入者
の前に出ると、彼は鞘を抜きます。ぎらりと冷たく本身が光って
います。「やはり」と、僕は思います。父は僕をかばってくれま
せん。でも、それでいいような気がしました。僕の方が父をかば
おうと思っているのですから。時が停滞します。闖入者が僕に向
かって刃を下します。停滞した時のせいで、すべてがゆるやかで
す。僕の身体に食い込んだ刃までもが。肩から袈裟懸けに、灼熱
が駆け抜け、僕は、時間をかけて、ゆっくり死にました。
何度も、何度も、少年の僕に、死の夢が繰り返されました。それ
はひどく陰鬱でありながら、同時につまらなくはありませんでし
た。
翻って、いつのまにか、そういう夢を見なくなり、現在の僕は、
前述のつまらない夢を延々と見続けます。
これも僕がアフターボーイになったからなのでしょうか。なんの
アフターか、それは、もしかしたら、童貞かもしれませんし、青
春かもしれません、拘る時代を卒業して、うまく生きられるよう
になったことなのかもしれません。


(いながき きよたか)




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