関さん


先日、京都へ行って参りました。もちろん、仕事です。仕事なん
ですが、京都ですよ、当然『京都!』って、テンション上がっち
ゃいますよ。しかし、『京都!』と思いきや、日帰りの弾丸ツア
ーでした。しかも、車で……。
京都に着いて、車を降りてホテルのラウンジへ直行、打ち合わせ
を終えて、車に乗って、そのままとんぼ帰り。はっきり言って、
観光どころじゃないです。土産話の一つもありません。
それに、いい歳して、自走して京都とか、もうやめた方がいいで
すね。はっきり言ってものすごく疲れました。
始めは「新幹線で」とも考えていたのですが、「二人なら車のほ
うが安い!」ということで、朝も早くから西に向け爆走したので
した。なんだか、僕ら二人、いつまで経っても、学生気分が抜け
ないようです。
ええと、この『二人』というのは、僕と、弊社の社長をつとめる
関さんの事です。

関さんとはかれこれ18年以上のつきあいになります。
38歳も過ぎれば、20年来の友人など別に物珍しくはないと思
います。けれど、この二人は少々趣を異にしているかもしれませ
ん。なんせ1年365日中、実に300日くらい顔を合わせない
日はないんですから。
考えると奇妙なことです。

関さんとはもはや友人同士ではありません。トモダチという期間
もあるにはありましたが、いつのまにかトモダチではなくなりま
した。かといって、親族でもないわけで、なんというんでしょう
かね、コンビの相方? いや、なんか違うような気がします。た
だ単に仕事上のパートナーかな。と言っても、一緒に同じ仕事を
することが多いわけでもありません。だからその関係はいわく言
い難いわけですが、まあ、とにかく、そんな人なんです。僕にと
って、関さんという人は。

仲がいいかと言われれば、別にそんなに仲良くない気もするし、
仲が悪いかと言われれば、別に仲が悪いわけでもありません。た
だ、根本的に趣味趣向が異なっていることは事実としてあります。
僕は理屈屋です。一応、筋の通った理屈屋だと自認していますが、
関さんに言わせれば、「屁理屈屋」だそうです。僕が理屈でしゃ
べりだすと、彼はよく白目をむいて思考停止しています。
そんな関さんは、僕とは正反対の、いわば『直観』の人です。理
屈もなしに「好き嫌い」や「いい悪い」を判断してしまいます。
また、悔しいことに、なぜか直感の的中率が妙に高いんですよね。
それに直観屋なものですから、関さんにとって興味がないことに
ついては徹底的に興味がありません。特に、『歴史』や『地理』
には劣等感を抱くほど興味がないらしく、僕が悦に浸って、三国
志や戦国時代の話をすると、鼻をほじりながら、オダノブナガっ
て誰?と言い出す始末。

そんな関さんと二人で、車に乗って京都に向かいました。
毎日毎日、うんざりするほど顔を合わせているので、別にしゃべ
ることもないかと思いきや、結構、しゃべるもんですね。
前はよく一緒に飲みに行っていたのですが、最近はプライベート
で一緒になることはほとんどありません。会社にいるときも、黙々
と仕事をしているだけです。だから、普段はあんまり喋りません。
別に喋りたくないわけじゃなく、自然と会話しないというだけで
す。
でも、車みたいな狭い空間に、京都まで五時間強、二人きりで閉
じ込められれば、まあ、必然的にしゃべります。
ああでもない、こうでもないと話すのは、総じて仕事のこと。そ
れでも、10時間以上も車の中に二人でいるんですから、帰路に
着くころには話題もなくなります。

ふと、ツイッターを覗いていると、『足柄にエヴァンゲリオン』
という話題を見つけました。どうやら僕の大好きな足柄サービス
エリアに、エヴァンゲリオンの立像が飾ってあるようです。
せめてもの観光をと、「足柄にエヴァンゲリオンがおるらしいよ、
寄ってみん?」僕は、そう提案したのですが、しかし、関さんは、
まったく興味がなさそうです。
まあ、結局、エヴァンゲリオン初号機は下りのSAに立っていた
ようで、気付いた時はすでに帰郷の途についていましたから、残
念ながらその雄姿を眺めることはできませんでした。ただ、少々
喋り飽きていた我々に、初号機は新たな話題を提供してくれたの
でした。

エヴァンゲリオンは、僕にとってまさに青春そのものです。とや
かく文句を言ってはみるものの、やっぱり根底の部分では、大好
きなのです。
しかし、関さんにとっては、少々事情が違うようです。世代が少
し上というのもありますが、そもそも関さんはあまりアニメなど
熱心に見るたちではなく、僕が『エヴァ見たい』と熱心に誘って
も、まるで相手にしてくれません。しまいに、こんなことを言う
始末。
「はあ? お台場に立ってるガンダムとかみたいなものでしょ、
あんなの見たい? そもそもあれ、ガンダムじゃないじゃん」
僕は、『へ?』となりました。ガンダムはちゃんとお台場に立っ
ていましたし、初号機はちゃんと足柄に立っているはずです、そ
れを『ガンダムじゃない』とは、一体どういうことなのでしょう。
関さん曰く、「お台場のガンダムは動かないでしょ、そんなのニ
セモノじゃん。足柄のエヴァンゲリオンも動かないでしょ、だか
ら、ニセモノじゃん」とのこと。
つまり、関さんの中では、『動く』=『本物』ということなので
しょうか……、いやいやいや、なにを言っているんでしょうか、
この人は。
発想が、おじさんなのか、幼稚なのか、よくわかりません。この
場合、興味がないと言う割に、ガンダムという架空の存在をリア
ルに信じているとも言えるわけで、僕は慄然としました。
そして、もう一度深く『ガンダムじゃない』という言葉を吟味し
てみたのです。
するとなぜだか、それが『哲学的命題』のような気がしてきまし
た。
『なにをもってしてガンダムはガンダムなのか?』
こんな風にガンダムの存在論的または認識論的考察にまつわる深
い深いテーゼを関さんは投げかけたのかもしれません。
アニメの中で動くガンダムが本物のガンダムなのか、そうではな
くセル画に絵具で描いただけのただの化学物質の集合体を指しガ
ンダムと呼ぶのか、それとも大河原邦男さんの頭の中にあったデ
ザインを指すのか、富野由悠季さんのコンセプトをして本物のガ
ンダムだというのか、はたまた関さんの言うように、いずれかの
研究機関が開発した『機動戦士ガンダム』に登場するガンダムの
設定通り忠実に作られた戦闘兵器が現実化して初めてそれを本物
のガンダムというのか、それとももっと形而上的な、ガンダムを
鑑賞したすべての人々が共有するイメージの中のガンダムが存在
するのか、うーむ、難しすぎて、僕の頭はこんがらがってしまい
ます。

「もしかしたら、関さんが言っていることは、壮大な哲学的テー
マかもしれないね」
僕が思索にふけりながらそう言うと、いつものように、まったく
いつもと変わらず、関さんは、鼻で笑い飛ばしました。
まあ、とにかく、そんな人なんです、関さんという人は。


(いながき きよたか)




mail
コギトワークスロゴ