お酒考


先週に引き続き、山梨の話である。
サクランボ狩りの後は、白州蒸留所へ行ったのだった。僕として
はこっちが本命のつもりである。
『白州』は、サントリーが出すウイスキーの銘柄である。文字通
り、山梨県北杜市は白州町で作られている。
白州蒸留所では、工場見学ができる。その日もたくさんのお客が
工場見学をするため受付で列を作っていたのだが、本当の目的は
どうやら後学のためではないらしい。
サントリーさんは太っ腹である。工場見学も無料なら、工場見学
を終えたお客さんに、ウイスキーをタダでふるまう。ほとんどの
お客さんは、タダ酒目当てと思われる。
かくいう僕も、タダ酒を楽しみにしていた。楽しみにしていたが、
もちろんそれだけではない。工場見学もれっきとした楽しみの一
つだった。
まず、樽の貯蔵庫を案内してもらった。巨大な倉庫中にウイスキ
ーのむせ返るような香りが充満し、肌から酔うような感じである。
その倉庫の中で、ウイスキーは長い時間をかけ、熟成する。そし
てその味わいは置かれた環境に如実に左右されるという。海辺な
ら海辺の、森なら森の環境がウイスキーの中に閉じ込められるよ
うなイメージだろうか。
続いて、醸造所に赴いた。巨大な木桶の中で麦汁が発酵し泡立っ
ている。そういえば、工場敷地内に立ち入ったときより、辺りに
はなにやら甘酒のような香りが漂っていた。それはこの発酵中の
麦汁が醸していたのである。極めてよい香りである。

個人的に、理化学の知識はまったくないが、発酵食品に、とてつ
もないロマンを感じる。発酵と腐敗の境目は、人が食せるか否か、
それのみで、科学的な違いはないそうだ。なぜ人間は微生物が食
品を化学変化させるこの発酵食品を食すことができるようになっ
たのだろうか。
まずもって、酒というものが不思議である。酒は有史以前より飲
まれてきたという。つまり、文字よりも格段に古いということだ。
そしてそのルーツは口噛み酒にあるといわれる。乙女が穀物を口
に入れよく噛み、甕に吐き出して保存するのだ。メカニズムは分
らないけれど、発酵というものを既に自分たちのものにしていた
というわけだ。ロマンを感じずにいられない。

話が逸れたが、麦汁の発酵が終わると、いよいよ蒸留である。銅
製の巨大なスチルポットで二度に渡って蒸留し、こうしてできた
原酒を各種様々な樽に詰めて熟成するのである。
ちなみに『白州』の麦汁はサントリーの天然水で仕込まれるの
だそうだ。そして、この仕込みと同じ水で割りを作るのが、究極
の水割りになるのだそうである。

工場見学を終え、ホールに案内され、ハイボールと水割りがふる
まわれる。氷にいたるまですべて白州蒸留所内でボトリングされ
る天然水だそうだ。やけにうまい、しかもおかわりまで出してく
れる。サントリー、さすがである。けれど、一度、飲み始めると、
一杯、二杯では物足りなくなるのが人情である。
工場併設のバーでは、数々の珍しいウイスキーが試飲できるよう
になっている。こうなれば、試飲せぬ方が野暮というものである。
選びあぐねた結果、山崎と響を試飲することにした。山崎の方は
1986年製のシングルカスク、響の方は、シェリー樽の原酒で
ある。両方、絶品であった。まず山崎、アルコール度数は高いが、
角がない。かと言ってすっきりしてつまらないというわけではな
く、濃厚である。後味はとても落ち着いている。
次は響の原酒である。シェリー樽のせいか、甘い香りが強い。後
味も主張が強いが、決して鬱陶しい主張ではない。先ほどの山崎
よりは刺激的だが、心地よい刺激である。
ちなみに、これはタダではない。しかし、良心的な値段でいただ
ける。つくづくサントリーさんは見上げた会社である。


しかし、こんなことを書いていると、相当な酒豪で、酒にも詳し
そうだが、別にそうでもない。酒に弱くはないが、強いたちでも
ないし、それに、酒の席もそれほど好きではない。仲間とわいわ
い楽しくやることは好きなのだが、そのあとが嫌いである。昔か
らその気はあったが、最近とみに、痛飲した次の日が憂鬱である。
酒に弱くもないので、記憶の方ははっきりしているだけにたちが
悪い。しかし強くもないので、酔って気の大きいことばかり、虚
勢を張って威張り散らしたりしてしまう。決まって残る二日酔い
の居心地の悪さに、加えて、究極の自己嫌悪に襲われる。泣きっ
面に蜂である。
どうしたら、酒席を楽しめるようになるものか。
本当は、一人か二人、多くても三人くらいで、上等な酒をダラダ
ラ飲むのが、一番楽しいお酒のやり方かもしれない。
この上等の酒、というのが、なかなか難しい。酒が上等なのもさ
ることながら、飲む雰囲気も問われる気がする。
たとえ、焼酎だって飲む雰囲気さえ上等ならば、楽しめる。よう
は気持ちの問題だろうか。

数ある酒席の中で、よい記憶もあるにはある。
普段はそんな高級な場所には行けもしないが、一度友人に銀座の
バーに連れて行ってもらったことがあった。僕はそこで、とても
幸せな気持ちになったのだった。
ロマーノ・レヴィというお酒をご存じだろうか。イタリアの伝説
的グラッパ職人、ロマーノ・レヴィが作った酒の名である。
グラッパという酒は、いまでこそありがたく飲まれているようだ
が、元々はワインにおけるカストリ焼酎のようなものだ。しかし、
そんな上等でないとされるお酒に、ロマーノ・レヴィの名が冠さ
れると、ゆうに数万円は下らない超高級な酒になる。通販で購入
できるようだが、その昔は市販されておらず、直接蒸留所までい
かねば手に入らなかったらしい。
なにがすごいかというと、とにかく、すべて手作りだということ
だ。ラベルまで一本一本手書きという念の入れようである。
こう聞くとかなり気どっていそうだが、ロマーノ本人は、いたっ
て純粋な人物で、聞くところによると、子供のような人物だった
らしい。
僕は、そのバーを訪れるまで、恥ずかしながら、ロマーノ・レヴィ
を知らなかった。けれど、マスターは少しも威張る様子もなく、
ロマーノについて、嬉しそうに教えてくれた。彼はロマーノの
熱心なファンで、たとえどんな大金持ちでも、気に入らなけれ
ば、門前払いを食わせたというロマーノ本人の蒸留所まで赴き、
懇意になり、たくさんのボトルをわけてもらったという。手書
きの可愛いボトルが、バーカウンターに並んでいた。中には、
60年代のプレミアムボトルもあった。
「もったいなくて、なかなか飲めませんね」と、思わず気を遣
うと、マスターは、首を振った。
「いや、これは、お酒です。飲まれるために生まれてきたもの
ですよ」
そして、惜しげもなく、一杯、僕に注いでくれた。
たかだか数ミリリットル、飲もうと思えば一口で飲める、時間
にしたら数分のこと。しかし、その味は、今でも忘れることが
できない。
なかなか、手の出る代物ではないが、たしかに、マスターの言
う通り、お酒は「飲まれるために生まれて」くるのである。ま
た、飲んでもらうために造らなければ、お酒ではないとも言え
るかもしれない。
しかし、ロマーノ・レヴィはいずれ飲めなくなる。なぜなら、
本人は6年前に亡くなり、そして、ロマーノ・レヴィは、ロマ
ーノ・レヴィにしか造れないからである。


(いながき きよたか)




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