恋愛考


ふと「人生の中で、恋愛してる時間って思ったより、短い」
と気づきました。
えっと、すいません、僕の場合です。
長い人もそりゃいるでしょう。
でも、こと個人的なことを思い出しますと……、
初めて恋人ができたのは、あの時だから、
あれから、あの人と、あの人と、あの人と交際して、
結局、あの時結婚したから、あれ!
結局、恋愛期間、四年とちょっと?
片思い期間も含めていいなら、六年くらい?
んでもって、すでに既婚者なので、
今後、一応原則的には恋愛はしないとなると、
僕の寿命を仮に70年だとして、
恋愛年数は、70分の6、実に8パーセント!?
僕の人生における恋愛成分は、なんと、消費税分なのでした。
(ちなみに、2017年には、増税ェ)

これを多いと見積もるか、少ないと見積もるか、
これは、ちょっとわかりませんね。
ただですね、「世の中における恋愛の価値」から
相対的に判断するなら、圧倒的に、
少ないのではないのでしょうか。

考えてみれば、世の中は、恋愛で充ちてますねぇ。
映画もドラマも、歌も小説も、恋愛の量で言えば、
まあ、8パーセントでは効かないだろうことは、
みんな肌で感じているのではないでしょうか。
と言っても、最近の恋愛、一昔前に比べれば、
穏かに価値を下げているように感じます。
なにせ、僕が青春期を過ごした90年代は、
今なんかじゃ比べ物にならないほど、
恋愛は高騰していましたから。
犬も歩けば恋愛に当たるってなくらいで。
もっと言えば僕は肌で感じておりませんが、
80年代なんっつったら、
まさに恋愛天国地獄だったんじゃないでしょうか。
クリスマスに、こぞって高級ホテルや高級レストランを予約し、
それにあぶれた恋愛男子は恋愛女子からなじられる
という逸話を、80年代に青春期をすごしたおじさまから
聞いたことがあります。
げに、おそろしきは、恋愛ですねえ。

さて、もちろん、この定量化的叙述には、トリックがあります。
時に恋愛には、時間を凌駕するだけの
質量というものがありますから、
一概に、時間のみではその価値をはかりしれないわけです。
恋愛の瞬間風速とでも申しましょうか、
これを苦に自殺する人なんかもいるくらいなわけで、
時間じゃ割り切れないほどの質量が恋愛にはあると、
もちろん頭では分っているつもりなんです、僕も。
(これも、なんだか、世間一般が規定する恋愛の価値の高さに
踊らされているような気もしないでもないですが)

ただ、僕は、なんだか、昨今忌み嫌われ出した
「同調圧力」という枠組みの中に、
「恋愛」がかなりの割合で含まれていることを
忘れていやしないかと、思うわけです。
「恋愛に関する同調圧力」
これを「恋愛抑圧」と呼ぶことにしましょう。
フロイトばりの、「抑圧」機能
(たとえばエディプス・コンプレックスなど)を、
「恋愛」も果たしているというのは、
あながちたわごとでもないかもしれません。
どういうことかと言うと、
恋人ができないことやモテないことが、
人間のある種の価値を規定していると思いこまされている?
ということです。
なにせ、「モテない」ことを苦に病んで、
事件に及ぶ人間すら出る始末。
これはいかんです。

「モテ」とは、一番手っ取り早く、そして困難で、
かなり原始的な、承認欲求を満たす方法だと思います。
好きな人から、好かれる。美人から好かれる。
イケメンから好かれる。
巨乳から好かれる。
細マッチョから好かれる。
なんでもいいですが、プリミティブな自己実現が
そこにはあるような気がします。
逆を言えば、モテなければ、一番原初的な承認、
そして自己実現はない(と思わされている)のです。
でも、これは、オノレが感じる実感ももちろん伴っていますが、
制度化され、なにがしかの権威から与えられた
自己実現ってのも半分くらい混じってるんじゃなの?
っていうのが、最近の僕の見方です。
というのも、先ほど申しました通り、
世の中は、結構、「恋愛」で回っていて、
そしてそれが「恋愛抑圧」につながっていたりするからです。
「結婚」って、もしかしたら、
この「恋愛抑圧」から逃れるある種の手っ取り早い制度なのか?
と思うと、「あー、結婚して良かった」、とか思っちゃいますね。

まずもって「モテ」という「承認」を疑ってかかるのも、
「恋愛抑圧」から逃れるいい方法なのではないでしょうか?
たとえば、先ほどの
「好きな人から好かれる」うんぬんという叙述を、
「オレ/ワタシ」という体言止めに再叙述してみましょう。
「好きな人から好かれるオレ/ワタシ」
まだいきますよ。
「巨乳から好かれるオレ」、
「セックスでは、オレの快楽より、
相手の快楽を優先しちゃうぜ、オレ」、
「好きな人から、告白されたんだけど、
大好きなだけに、こんなオレなんかとつきあったら、
あの子、不幸になっちゃうよな、
だから、ふっちゃったオレ」……。
結局、「恋愛」における「モテ」という「承認」の正体は、
この「体言止め」に表われているのではないでしょうか。
一見、他者との超越的な交感が「恋愛」における
最大のエクスタシーだと思いきや、
結局、「オレ/ワタシ」をめぐるエゴの闘争が、
「恋愛」に横たわる「承認」の正体になっちゃってる(泣)
のかもしれません。
昔、とある女性ライターの人が、
ぼそっと言った言葉が僕は今でも忘れられません。
「口説いてる時の男ほど、笑えるものはない」
まさに、これに気づけるかどうかが、
「恋愛抑圧」に気づけるかどうかの分水嶺なんでしょう。

結構、根深そうなこの「承認欲求」は、
じゃあ、どうやって満たすのよって、なります。
僕が偉そうなこと言えませんけど、
まあ、でも、まず、自分を「承認」してくれるのは、
自分なんじゃないかと、ようやく何周か回って、
最近は思うようになりました。
「太ってきたなぁ、このまま食べ過ぎると、
ますますモテから遠ざかっちゃうし、
健康のことも気になる、
なんとかダイエットしなきゃいけないけど、
仕事もきついし、ストレスもたまってきた、
あー、ラーメン食いたい、
食べちゃおっていうオレ/ワタシ」を
「承認」してやりゃいいんじゃなかろうか、オレが、
って思うようになったんです。
ただ、「承認」のハードルは、高く設けておきたいですけどね。
なんとなく、非モテのルサンチマンによる戯言臭がしてきたので、
ここいらで止めときますか。


(いながき きよたか)




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