ニコってる?


先日、知り合いのディレクター、
Hさんと久しぶりに夜を徹して痛飲しました。
侃々諤々話し合いながら、
ついに四軒目に突入した時のことです。
ふと「明日、なにをするか」という話題になりました。
家族と買物に行く約束があったので、
「まあ、ニコタマとかで買い物ですかね」と、
僕が答えると、Hさんは、俄かに気色ばみました。
「ヤバいよ、いながき君、ニコタマ的人生を送ってるなんて!」

ちなみに、ニコタマというのは、
二子玉川駅周辺のことですね。
なんでも江戸時代、多摩川流域のこの地に
双子の渡しがいたとかいなかったとか、
そんな由来を持つ二子玉川は、
現在開発に開発を重ね、
一大商業地域に発展しつつあります、
それもかなり「オシャレ」な。
ただ、僕は、Hさんの言葉の真意が
すぐには理解できませんでした。
そしてお互いが持つニコタマに対する
パブリックイメージの齟齬のおかげで、
ああでもないこうでもないと小一時間ほど無駄にしました。
やりとりの論点は、おおむねこうです。
「便利だし、いいじゃないですか、ニコタマ」と、僕。
「便利さに堕落してはいけない。
こだわりを捨てたらクリエーターはおしまいだ」と、H氏。
便利なんですよねぇ、ニコタマ。
なんでも揃ってるし、
街自体がファミリーにも安心設計だから、
つい買物はニコタマで済ましてしまいます。
でも、H氏は、そんな安心設計そのものが
クリエイティブ魂を擦り減らせると主張したのでした。

でも、そもそも、H氏の言うニコタマって
どういう場所なんでしょうか。
ようはこういうことだと思います。
『均質化された空間』

現在のニコタマは、ほんの数年前まであったような
裏街の商店街や妙に込み入って狭い道などが
見事にすべて整理され、
超巨大商業施設に生まれ変わりました。
とは言え、そこは超都市型空間でもなく、
足を伸ばせばすぐに多摩川の河岸があり、
周囲の自然は豊かそうです。
超高級とまではいきませんが、
センスが感じられるような雰囲気作りがなされていて、
この絶妙な空間作りが、
90年代に青春を送ったような意識高い系の
40歳前後のファミリー層から壮年層までを
大いに取り込んでいるような気がします。
この、ナチュラルっぽいにも関わらず、
その実、消費の欲望を余すところなく満たせる
というバランスを持ったモデル都市が
ニコタマというわけです。
いうなれば『均質化』の極北です。
「いいじゃん、いいとこだらけじゃん」とも思います。
が、確かにH氏が言うところの
「ヤバい」ニオイがほのかにしてくるのも否めません。

確かに、たまに地方などに行くと、
今、自分がどこにいるのか分らなくなるような
錯覚を覚えます。
特に郊外の景色に地方差がなくなり、
まさに『均質化』されているなとよく思います。
日本にかつてあったような猥雑さはことごとく漂白されて、
あるのは時間的、空間的な縮小と、選択や思考の拒否です。
H氏は、そういう非常に便利で楽な空間に甘んじることは、
クリエーターとしていかがなものか?と警鐘を鳴らしたのです。
これには「はい、すいません」と言うしかありません。
僕は、ある種の便利さ、無思考さを甘受しています。
「だって、楽なんだもの」
こう言うと、またH氏は僕を御叱りになるでしょう。
「楽なことから創造は生まれないでしょ!」

実は、僕だって、この『均質化』への
違和感をずっと持ち続けていました。
僕はそれを『揺らぎのない世界』と
呼ぶことにしていました。
それはこういうイメージです。
さざ波立つ水面が段々と静謐になっていくように、
お湯と水が混ざり合って、
やがて一定の温度に収斂してしまった定常状態のように、
それは違和や猥雑さや選択の余地のない世界です。
いずれ、社会はこの『揺らぎのない世界』を
求めるんだろうなぁとおぼろげながら想像していました。
そしてそれは現実のものとなりつつあるようです。
それが好ましいか好ましくないかは別にして、
そんな世界では理屈やモラルからこぼれてしまうものは
即座に漂白されてしまうような気がします。
クリエイティブというのは、
えてして理屈やモラルからこぼれおちているものです。
それに、元来、さざ波立っている状態、
つまり差異の多い世界でしか、進化は起こりえません。
だから、『揺らぎのない世界』では、
あまり進化やクリエイティブは歓迎されないことになります。
これは危ういです、特に僕たちにとっては。
この点は、僕もH氏と同意見です。
はっきり言って、『揺らぎのない世界』の極北である
ニコタマはつまりません。

ただ、最近僕は、このつまらなさも
悪くないなぁと思ったりします。
いや、世の中がすべて道徳的で、
均質化されればいいなんていうことは、
これっぽっちも思いませんよ。
気に入らないものを排除しようとしたり、
うわべの正しさを強要するような人とは、
断じて友だちになりたくないです。
そんな彼らが求めた結果、
どこもかしこもショッピングモールだらけになったら、
非常にさびしいです。
でも、方や、そういう整然とした思考停止状態の空間を
排斥するのも、なんかミイラ取りがミイラのことわりで、
いごこちが悪いんですよね。
僕だって、日本のどこもかしこも混沌とした街になったら、
それはそれで困ると思います。
だから、ごくごく理想的に言えば、
この『揺らぎのない世界』部分と種々雑多で
猥雑な空間がモザイクのように
同居している世界がいいんだよなぁ、
なんて無理難題を夢想したりします。

結局、Hさんとのニコタマをめぐるやりとりは、
ルサンチマンとも思えるニコタマへの憎悪を、
僕がのらりくらりと交わし、
「以後、気をつけます」とぺこりしてその場は軟着陸しました。
恵比寿のバーでラムを飲みながら、そこはまさに猥雑な空間です。
で、朝帰りして、短い睡眠をとって、
家人に叩き起こされたら、
やっぱり、ニコタマに買物に行きます。
猥雑さと均質化した世界を行ったり来たりすること、
それが僕の理想です。


(いながき きよたか)




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