ファン論


とっとと帰ればいいのに、先日、打合せ終わりで、
プロデューサーさんと駄話に花を咲かせてしまいました。
もう中年にもさしかかろうかという年頃になると、
無理をしない話で盛り上がれちゃいます。
意識の低い話は、楽しいですね。
しかし、この「無理をしない」というのは、
時として難しいものです。でも、いいんです。
ちょっと不謹慎でも、ちょっと迂闊でも、
あんまり「無理」せず人に接したいものです。

で、そんなおじさん二人の会話の中で、
先日の「サザンオールスターズ」のお話が出てきました。
偉い人からメダルをもらって、それを見せびらかしたのが
不敬だっつうことで、謝ったあれです。
(あれ、合ってます?これで)
個人的に、「サザン」及び「サザン的なもの」に、
敬意は払うものの、全くもって興味がないので、
その経緯なるものを僕はちらっとくらいしか
知らなかったんですが、事の次第を一応、
そのプロデューサーさんから聞ききました。
別に不敬か不敬じゃないかとか、
謝るべき謝らないべきとかは、
はっきりいってどうでもいいです。
それはどうでもよくて、なにが気になったかというと、
「ファン」ということです。
なんでも、聞くところによると、
「長年、ファンだったのですが、
クワタさんにはがっかりしました」的言説も
ちらほらあったとか。
(あの、改めて言いますが、ソースとかないですから。
迂闊に、迂闊に話進めております)
つまり、クワタさんのことはすごく好いているのだが、
今回のその立ち居振る舞いは気に入らない、
いや、ファンであるからこそ叱咤激励の意味も込めて
苦言を呈しているのだ、といったところでしょうか。
しかし、どんな意識や立ち位置で、
好いている対象を解釈しているのか
非常に気になるところです。
いや、そもそも「ファン」ってなんなんでしょうね。

僕にとって、「ファン」の原初体験は、やはり野球でした。
愛知県と言えば、中日ドラゴンズ、
そう、「ドラキチ」と呼ばれる人種に
囲まれ僕は育ったのです。
当時、時折親に連れられ野球観戦に行ったものです。
で、僕は、その時のことを思い出します。
たとえば対戦相手は巨人、たとえば投手が桑田
(まあ、奇しくもクワタなんですが、とにかく)としましょう。
打席には、彦野ですよ。
九回裏二死三塁、一点差、投げ切れば桑田の完投勝利。
いやぁ、ほんとに桑田はいい投手でした。
彦野、三振です。
と、この時、「ドラキチ」たちは、桑田を責めるでしょうか、
「桑田!まんまと抑えやがって!」、
いえいえ、こうはなりません、
むしろ「彦野、この野郎、いっぺん死んでこいて!」
という怒声が飛ぶことでしょう。
そう、これが「ファン」ですよね。
なぜ、好きな方を咎めるのか、
なぜ、好きなものをやりこめた相手に
悪意を向けないのか、謎です。

なにげに、僕は、この現象を
ドメスティックヴァイオレンスとほぼ近似値だと
思っちゃいます。
で、DVされちゃう方は「ファン」ありきでしか
存在できないもんですから、
「ファン」をないがしろにできません。
典型的な供依存ですね。
もしかしたら、ファンって、獅子身中の虫の
最たるものってことかもしれません。
そう言えば、思い出しました。
ジョンレノンも自称ファンに殺されちゃいましたよね。

ただですね、僕はこういった「ファン像」みたいなものを、
頭から否定する気にもなれないんです。
ここで冒頭の話に戻るんですが、
やっぱり無理してるか否かがかなり重要な要素として
そこに関わってくるんじゃないかなと思います。
「長年、ファンだったのですが、
クワタさんにはがっかりしました」的言説と
「彦野、この野郎、いっぺん死んでこいて!」
という野次とは、
やっぱり同じ意識から発せられていないと思うのです。
前者は完全に善意ですね、意識高いです、
正しいことを言おうとしている感じがぷんぷんします、
どうやら敬うべき対象に敬意を払わなかったという理由で
クワタさんを断罪しようとしているようですが、
教条的にあろうとしてる風に見えてつっこみどころ満載です。
ようはすげえ無理してるっぽく見えます。
ひるがえって、後者は、これはもうただの酔っ払いですね。
断然意識が低いです。全然正しくありません。
でも、ものすごくドラゴンズが好きそうです。
正しいとか、正しくないとかどうでもよくて、
ただドラゴンズに勝ってほしいようです。
多分、ドラゴンズが勝てなかった次の日は
工場の仕事にも精が出ないことでしょう。
無理してませんね、
完全に素で迂闊なことを口走ってるだけですね。
なんとなく憎めない、
むしろ愛すべき存在に感じてしまいます。
正しい「ファン」などいないのかもなぁという
ぼんやりとした見解を大前提に据えたうえで、
僕は前者より、後者の方が
よりよい「ファン像」のような気がします。

「ファン」の語源は、
ファナティック(FANATIC)なのだそうです。
ああ、なるほどなと思うわけです。
なんなら、現在僕たちが目にする(させられる)
意識の高い一般市民の意見って、
すげえファナティックだなぁとか改めて思います。
みんな「ファン」なんですねぇ。
これがまた、みんなモラルを基調にした
ファナティックなので厄介極まりないんですよ、
ああ、くわばらくわばら。
(モラル=道徳とエチカ=倫理のことは
また改めて書きたいですね)
「ファン」の語源が、
「ファニー」(FUNNY)になれば、
みんな楽しくていいのになって、
また意識低いこと言って、今回は終わりにしておきますか。


(いながき きよたか)




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