吉本隆明2


2009年がどういう年だったのか、僕はもう忘れています。
別に、覚えていなくてはいけないわけではありませんが、
ゼロ年代の終わり、そして、10年代の始まりとして、
なんとなく気がかりでいることは確かです。
そしてその年の暮れ、僕は吉本隆明さんにお会いしました。
前回のお話の続きです。しばし、お付き合いください。

さて、前回はメディア論的プロローグについて書きましたが、
次に僕たちが質問したのは、(当時の)「情況」についてでした。

2009年の「情況」を駆け足におさらいすると、
バラク・オバマ氏の大統領就任と
日本での民主党による政権交代というトピックが
上げられると思います。
なんとなく漂う厭世感と
その反動による大きな変換への希望が見てとれるようです。

早速僕たちは、
この「民主党」について吉本先生に質問しました。
「民主党はいかがですか?」
その言葉には、民主党に対する疑念と、
彼らに日本の政治を任せておいていいのだろうか
という不安がにじんでいたと思います。
が、そんな僕たちの不安を裏切るように吉本先生は、
楽観的にも聞こえる調子で、
「いいでしょう」と即座に断言しました。

吉本先生のお話の要点はこうです。

「資本主義は、おそらく、今後もっと先鋭化するだろう、
それはあたかもナチスのようである。
そしてその先鋒は中国やロシアになる。
そういう国家間の中では、威張ろうとしない方がいい。
自民党は、そういう意味では非常に威張ろうとしている。
だから、自民党は論外。
では、共産党や社民党に任せられるかというと、
全く任せられない。
共産党は、自民党的保守と真反対の立場として
威張ろうとしている。
そういう意味では、両者は似ている。
かつての本物のインテリゲンチャも、
共産党に追い出されてしまったし、
現在は非常に薄っぺらい。
となれば、民主党はうってつけだろう」

ここまではどこか消極的選択のように聞こえます。
ですが、小沢一郎にも鳩山由紀夫にも、
僕らが彼らに抱くマスイメージとは違う本質があり、
捨てたものではないのだそうです。

「小沢一郎は、自民党時代から比べれば大いに変貌した。
元々急進的進歩主義者だが、
マイルドな進歩主義者となった。
彼が民主党にいることは、
同党にとって非常に有益である。
一方、鳩山由紀夫も実は非常に理論家である。
民主党、及び、鳩山という人物の理論的支柱は、
実は三浦つとむという人物である。
三浦は、唯物論者、マルクス主義者であるが、
まずはレーニンを疑えというところから出発した。
そのために共産党を除名された人物でもある。
こういう人を理論的支柱にする民主党は、
尖鋭的にいけば、共産党になってしまうが、
相対的な保守的にいけば、
結果としてレーニンの手前までは行ける気がする」

僕なりにまとめれば、民主党は、
(そんな言葉はありませんが)あまり例を見ない
『保守的リベラル』だと、先生は言っているようでした。
そして当時の情況を先生は、こんな言葉で表します。
『静かなる革命』
民主党がやろうとしていることは、うまくやれば、
第二次戦後革命になるかもしれないというのです。

しかし、現在の僕たちは、
民主党が結果的に敗北した事実を知っています。
では、その時吉本先生が言っていたことは、
ピントがずれていたのでしょうか。
いえ、先生の意図は、盲目的に「政権交代」を
ことほぐことだけにあったわけではなさそうでした。
その時、先生が繰り返し言っていたのは、
「ひとまず、誰が何と言おうと今後四年間は、
時間的空間的にいい時間である」ということです。
ひとまずは旧社会体制ではない時間が始まり、
それは四年間で潰えるかもしれないが、
逆に言えば、四年間は必ず続くのだというのです。

その場にいた僕はもう少し先生の本意をうかがうために、
質問しました。
「とはいえ、各方面で非常に閉塞している気がします。
そういう気分が実感としてあります。
今後をどう生きるかについてヒントはありますか?」
すると、吉本先生は答えてくれました。

「民主党が、今後、どのような経緯をたどるかを
注視していた方がいい。
けれども、ひとまず四年間は自由な時間が続く。
作劇しているというあなたは、
僕のようなこんな古臭い老人よりも、
とてもいい場所で、いい事をしているのだと思う。
大いに、作劇の世界で、
いいと思う自分の考え方を持って活躍すればいい。
自分の考え方で、よく活躍し、よく活動する、
それが一番大事である。
政治や、社会が何と言おうと、四年間は自由だ。
その間に自分を確立すべきである。
四年間をどう過ごしたかが、
文学や音楽に大いに関わると思う。
どこにも行きようがないわけだし、
サボってても、サボってると言われないような
情況ができた。
それは時間的空間的にいい時間である。
この持続時間、情況時間を
どのように運用できるかが問題になると思う」

なるほどと僕は思いました。
先生が言いたいことは、なにも民主党の政策が
信頼たり得るとだけ言いたいのではなく、
それまでにはなかった四年間という時間が
出現したことに、大いに期待しているのかと、
そこでようやくわかったのです。

その後、現実の社会は、確かに四年間の空白が続きました。
一応の総括として民主党は敗北したという考え方で
世間は同意していると思います。
そしてその四年の間には、「震災」という
とても大きな出来ごとが起こりました。
僕たちは、このとても大きな出来事を
どう考えればいいかに追われ、
充分に情況時間を運用することができなかったのだ
と思います。
これは、もしかしたら、吉本先生も
予想外の出来事ではなかったかと思うところです。

今現在の僕が思うことは、
やはり、先生が言うところの情況時間に
もっと敏感でいなければならないなということです。
そしてこうも思っているわけです。
「震災」が壊したものは、
なにも人の命や街や原発だけでなく、
そうした敏感さみたいなものも同時に
破壊して行ったのかなと。
だから、なおさら、もう一度敏感さを
取り戻せたらいいなと思っています。

吉本隆明という人物を考える時、
彼がどういう人物か総括するなら、
僕は、彼を『かなり進歩史観を持って
共産主義批判を行った共産主義者』と言うかもしれません。
吉本先生は、共産主義者たちの内側から、
その身体を喰い破るように絶えず批判を
行い続けた「新・左翼」であり、
だからコムデギャルソンも着れたし、
ポップカルチャーにも接近出来たのだと思います。
このバランス感覚は、
実はいわゆる現在の「リベラルな人達」に
失われているものなのではないかと思います。
誤解を恐れず「震災後」というくくりで言えば、
「リベラルな人達」は、
美談や正論や正義が大好きであるという
印象を持ってしまいます。
それは、「左翼的」美談であり、「左翼的」正論なだけで、
かっこを外してしまえば、先生が言ったように、
自民党に代表される保守陣営とあまり
違わないのではないかとさえ思います。
そんな現状を思う時、僕はコムデギャルソンを
着ながら左翼がやれる吉本隆明的存在が
やはり必要なのではないかと痛切に思います。
「なに言ってやがんだ、威張りたいだけじゃねえか」と、
硬直している現在のリベラルに対しても
保守に対しても笑いながら言い放てる
吉本隆明的存在は再び現れるのでしょうか。

先生とのお話は、この他にも多岐にわたって行われました。
ここにすべて紹介することは叶いませんが、
いずれにしろ、僕は事あるごとに
その時の録音を聞き返すことだろうと思います。

(いながき きよたか)




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