日本ヤバい?


いやー、あっという間に選挙日ですね。
一体、何月の何日が選挙日なのかもわからず、
この原稿を書くのをきっかけに調べて見たら、
12月14日でした。
危うく選挙行かずじまいにするところでした。
あぶねえ、あぶねえ。
なんて書くと、
「よしよし、キサマも選挙を大切にするよき市民かな」
なんてとりあえずのお墨付きが貰えそうですが、
いや、そんなことないんですよ、
今回の選挙にはいつにも増して頭を抱えさせられています。
なんなら、棄権・白票も止むを得んかなとも思う次第。
でも、選挙、行ってしまうんですよねぇ、
なんか貧乏性というか、
もらえるものは唾でも欲しいってなくらいの貧乏性なので、
選挙権なんていうありがたい権利があるかぎり、
とりあえず行使してみておきたい所です。
でも、それは、選挙前、特に今回かまびすしくさけばれる、
「選挙へ行け」運動に動かされたのでは断じてないことだけは、
ここに明確に記しておきたいなと思います。
誰が何を言おうが、
「行け」と言おうが「行くな」と言おうが、
僕は多分選挙に行くんですから。
はあ、それにしても、嫌ですね。今回の選挙で頭を抱えるのは、
まるで、「選挙へ行く? 行かない?」が
我々の持てる最大の争点になってる点です。
最高に、嫌です。
争点を人任せにしちゃいけないということの証左ですね。
別に行きたくないなら、それでいいじゃない。
行きたいなら、ツレションしなくていいじゃない。
ダメですかね。

ところで、「日本、ヤバい」ですか?
この「日本、ヤバい」的感覚は、おそらく、
現在日本を覆う総意のような気がします。
(あ、この『ヤバい』は、文字通り、『危うい』という意味です、
『凄い』の意ではありません)
注意しなくちゃいけないのは、
保守陣営も、リベラル陣営も、
その他、そこに収まらない市民たちも、
同じく「日本、ヤバい」と思っているところです。
ヘイトも反ヘイトも、原発推進も反原発も、
主婦も、企業家も、学生さんも、だいたい「日本、ヤバい」と
潜在的に思ってるんじゃないでしょうか。
もちろん、かく言う僕も「日本、ヤバい」感満載です。
ただ、それぞれの立場で「ヤバい」と思うこと、
そしてそれに対する態度が違うところが注意点です。
これって、なんか異様だなと思うわけです。
だって、「ヤバい」から「ヤバくないようにしよう」と
思うことは100パーセント善意でしょう?
でも、善意が善意とぶつかる事態が発生しているわけですよね。
「お前の善意、ぜってぇ間違ってる」対
「いやいや、お前の善意の方が絶対間違ってる」
という闘争ですよね。
僕は、それが複雑に絡み合う果てが、
おそらく「戦争状態」なのだと思います。
こんなこと書いてるようなヤツは、
「ただの相対主義者だ」と、「主義」の烙印を
押されるのでしょうか。
僕は「主義」から逃げ続けたいだけなのですが。

話は選挙に戻りますが、確かに現政権に対して、
僕は非常に疑問を持ちます。
そして、知識人や文化人と呼ばれるような人々の中に、
現政権に対して、危惧を持つ人が多いことも理解できます。
けれど、その結果、「選挙へ行こう」の大合唱に
繋がることは全く理解できません。
「選挙に行って、安部政権を打倒しよう」なら、
理解できるけど。
(理解できるだけで、賛成するか否かはまた別)
中には、選挙に渡り鳥の比喩があるそうですが、
渡り鳥って、どっちかって言うと、全体主義的イメージない?
なんとなくセンチメンタルで、勇壮さもあるんですが、
「渡り鳥は突然旅に出る。
飛ぶ群れの起源を遡れば一羽の鳥だ」という比喩は、
「戦争」にこそ、有効だなとか思ったりしちゃうんですが……、
まあ、とにかく、僕は、そういうこととは無関係に、
苦し紛れに選挙へ行って、
苦し紛れに候補者と政党を選ぶことだと思います。

さて、最近、「日本、ヤバい」と思うと共に、
祖父のことを思い出します。
僕の祖父は、一農民でした。
戦中、満州に渡り、荒れ地を開墾して、
妻をめとり、子供をもうけ、
終戦間近、兵隊に取られました。
自身不在の間に、満州にはソ連が侵攻し、
残された妻と子は集団自決で亡くなりました。
このお話自体は悲劇です。
そして教訓を孕んでいます。「戦争は悲しい」と。
けれど、僕の祖父は、決してその体験を悲劇として
勇壮に語ったりなんかしませんでした。
苦しくて、悲しい、個人的な経験として、
できるなら秘したいと考えていたかどうか
わかりませんが、とにかく
教訓のある寓話にはしませんでした。
昔からよく思います。
悲劇が雄弁に語られ始めたら、
黄色信号が灯ったと思って差し支えない。
すごく正しくて、そして、誰もが納得するような
素晴らしいお話を皆が共有し始めたら、
黄色信号は点滅、赤間近です。
注意したいのは、
これは現政府側に対しても言えるし、
現政府に対抗意識を持っている側にも
無関係ではないという点です。

最後に、坂口安吾の「堕落論」の最後の一節を
引いてみましょう。
「人は正しく墜ちる道を墜ちきることが必要なのだ。
そして人のごとくに日本もまた墜ちることが必要であろう。
墜ちる道を墜ちきることによって、
自分自身を発見し、救わなければならない。
政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である」


(いながき きよたか)




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