「文型か、理系か」

理系に憧れる。
それは、もう、ものすごい憧れである。
どっかにいい理系の脳みそがあったら、取り換えたいくらい。
普段脚本とか書いてて、そりゃ、まあ、文章なわけだから、
文系的素養が相当ないと書けないでしょう
なんて思われるかもしれないけど、
本当は、脚本って、けっこう構造計算したり、
パズルしたりすることが多いから、
理系的思考の方が向いていると思う。
そういう意味でも、憧れるわけだが、もっと根源的に憧れている。

文系と理系と十把ひとからげにいっちゃうけど、
もともとの違いはなにかというと、
人文科学と自然科学の違い、
ようは人間を相手にしているか、
自然を相手にしているかということだ。
子供のころ、宇宙のこととか考えると、
眠れなくなったりしたこと、絶対あると思うんだけど、
だから、僕は宇宙こわいから、文系を選んだ
(とか、かっこつけて言ってみたりして、
でも、けっこう本気でそうだから困る)。
でも、今は、人間の方がコワい。
大人になると、人間のこととか考えて、
眠れなくなるのだいうことを、
子供の頃はわからなかったな。

どうせこわいなら、
『人間こわい』より『宇宙こわい』を相手にしていた方が、
なんかロマンあるなぁと思うのだ。
だから、今の僕の理系憧れは、それ。
人間よりも宇宙にロマン感じるようになっちゃった
というのが、憧れの正体だ。
でも、たまに理系の人と話したりする機会があっても、
彼らはそんな風には全然思ってない様子である。
むしろ、「あなたみたいな考え方、
それがまさに文系の文系たるゆえんですよ」
なんて言われるのがオチだ。
確かにそうである。
『人間こわい』より『宇宙こわい』方がマシ、
なんて考えこそ、人文科学のミソの部分だったりする。

理系の大巨人について、明るくないのだけど、
ちなみに文系のいわゆる巨人たちって、
けっこう出発点、
ないしは、たどりついた場所が絶望ってことが多い。
いや、絶望ってのとはちょっと違うか。
いずれにしろ、相手にするテーマがネガティブなことが多いと思う。
ドストエフスキーとかいかにも重いし、
ニーチェなんか狂っちゃうわけだし、
バルザックとか人間喜劇とか言いながら、
けっこう悲惨そうだし、
マルクスとかフロイトとか、
なんか人間の暗い部分を相手にしてるっぽい、
挙げ出したらきりがないけど、
人間ってダメだなぁってところからみんな出発してる。
だからこそ、素晴らしいんだみたいな
『人間賛歌』に落ち着くこともあるにはあるけど、
僕がひねくれてるだけなのか、
そういうの胡散臭いって思っちゃう。

それに比べるとノーベル物理学賞とか獲っちゃう人みてると、
目がきらきらしてるよねって思うのは、
隣の芝が青く見えているのだろうか。
で、ちょっと調べてみると、
あら、理系の人でも、絶望な人は多そうだ。
自殺している数学者は結構いるみたいだし、
物理学者も変わり者が多いみたい。
確かに、理系の神髄は神の領域だと聞くし、
真理に近づいた人間はいずれ平常な精神で
いられなくなるというのも想像がつく。
そっか、宇宙も人間も、こわいことには変わりないのか……。
じゃあ、今日も、人間相手に、仕事しますか。
ああ、それでも、やっぱり、理系って憧れる。




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